南ノさん
南ノさん、丁寧なお返事をどうもありがとうございます!


新連載の『林檎が丘読書クラブ』も早速読んでくださったとのこと、うれしい気持ちでいっぱいです~^^

読書会の雰囲気を南ノさんに楽しんでいただけて、書いてよかったと報われる思いです。


さすが南ノさん、ご名答!

そうなんです、わたし自身をモデルとしたキャラは「弓絃葉ちゃん」です。(仲間うちでは若手なので「ちゃん」づけにしました)

キャラの名前は全員、万葉集に歌われた草木にちなんで名付けました。


「いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く」(弓削皇子)


登場人物欄も見てくださったのですね!

皆さんに、自己紹介欄に何を書くか直接お聞きして、お返事があったかたの分を反映しています。

いま空欄のかたの分も、いずれお聞きして、お返事もらいたいですね。

皆さんの本以外の趣味ってよく知らなかったので、今回お聞きして、意外な一面を知り、わたし自身も驚きでしたよ~^^


『蟹の横歩き』は、わたしも読書会がなければ手に取らなかった本です。

当初、「枳さん」がギュンター・グラスの代表作である『ブリキの太鼓』を推薦されて、『ブリキの太鼓』は長すぎて読み切れないということで、いろいろ考えて、『蟹の横歩き』を読むことになったのでした。

ヴィルヘルム・グストロフはもちろん、グストロフ号沈没事件というのも知らなかったし、現代のドイツの若者たちの考え方というも未知の世界だったので、学びが多い本でした。さすがノーベル文学賞作家だと思いました。


たしかに翻訳家で作品の印象が変わりますよね。

音楽の世界で、同じ楽譜でも演奏者や指揮者によって、印象がまったく異なるのと似ている気がします。


次回は『真夜中の子供たち』を取り上げます。

公開は来年になるかと思います。

引き続き、楽しんでいただけるように精いっぱい取り組みますね!


2023/12/10 23:43

南ノさんの『五月の死神』

※南ノさんの『五月の死神』のネタバレあります。未読のかたは以下を読まないで※



『五月の死神』は、自死を選んだ倭文子さんがどうしてそうしてしまったのか、という謎を、倭文子さんの親友である文枝さんの語りを通して、読者が探っていく物語です。


「倭文子さんを突き動かしていたのは、ただただ怒りだった。地をどよもすほどの激しい、巨おおきな怒り。それは、あのような方法を採るよりほかに鎮める術すべを持たぬものだったのだ。」(第21話より)


「怒り」の発露として、自死があるという文枝さんの言葉に、腑に落ちる思いがしました。


倭文子さんの自死が発覚したとき、事情を背景を知る大人たちは、彼女が性暴力被害を受けたことで、この先良い結婚は見込めないだろうから、人生に絶望して死を選んだと考えたことでしょう。おそらく、当然。


しかし、文枝さんの目から見た倭文子さんは絶望ではなく、「怒り」を抱えていた。

理不尽な状況に対するどうしようもない「怒り」がありながら、倭文子さんは家庭内で常に弱者であり、親の保護監督下にある年齢で、抗議する手段がほとんどない。

自死というのは、理不尽を押しつけてくる強者に対する、彼女なりの抗議の最終手段だった、と読み取りました。



『五月の死神』を読んでいる間、ちょうど並行して、ヤスミナ・カドラの『テロル』を読んでいました。

『テロル』はテルアビブで自爆テロ事件が起こるところから始まり、犯人が最初から分かっている倒叙ミステリです。

物語の冒頭で自爆テロ事件を起こした犯人は、語り手である主人公の妻でした。

なぜ自分の妻が、すべてを捨てて猛火に焼かれて死ぬことを選んだのかを知るため、主人公が妻の足跡を辿って彷徨する物語です。


『テロル』でも、複数の第三者の証言でもって、夫が知らなかった妻の人生を描こうとしていますが、夫の一人称小説であるため、妻の内面は最後まで描かれません。

祖国のためで本当に命を捨てられるのか、命よりも大事な大義ってあるだろうか……と読後ももやもやしつづけます。


ヤスミナ・カドラさんは女性名で執筆していますが、ご本人は男性です。

男性の作家だからなのか、作中の証言者たちもやはり男性ばかりで、夫が妻の内面に迫りきれていないように感じました。

(出版当時、フランス文学界で各賞を受賞し、映画化、コミカライズもされたベストセラーなので、わたしなどがこう言うのはおこがましいのですが……)


それが、南ノさんが『五月の死神』で書かれた、倭文子さんの行動を「悲しみ」ではなく「怒り」と説明したのには、すとんと来たと言いますか、とても腑に落ちたのです。

ゴリアテに対するダビデの戦いは、そう望まなくても、必然、命を捨てた無謀な行いにならざるを得ないのですね。



どうして三原山でなければいけなかったのか、を考えながら読んでいて、わざわざ船に乗って死地に赴くという道程が、倭文子さんにとっては自分の内面とあらためて向き合う時間となり、最終的に決断したということなのだと理解しました。

自死を考えるひとが、わざわざ富士山のふもとまで行ったり、沖縄まで行ったりするのと似ているのかと……。

余談ですが、沖縄には自殺志願者が多く訪れるそうで、自死を思いとどまらせ、社会復帰を助ける活動を長年行っている教会の牧師さんの話を社会学の本で読みました。



作中で紹介されていた吉屋信子さんは、当時の女性を取り巻く状況をリベラルフェミニズムの視座に立って見つめていた作家だったのだと、初めて知りました。

与謝野晶子さんもそうですが、こういう思想的積み重ねが戦前からあって、戦後の女性解放運動(ウーマン・リブ)の大きなうねりにつながっていったのだろうかと思いました。

今まで読んだことがなかったので、吉屋信子さん、手に取ってみたいです。



文枝さんがあの事件後、自分が幽霊になったように感じていたというのは、クラスで孤立していたというだけでなく、彼女自身の心が生と死の狭間にいて、いつ死に近づいてもおかしくない場所にいたからなのだろうと思いました。


倭文子さんは文枝さんに生きていてほしいと思ったから突き飛ばしたのだと思いますが、文枝さんはあとを追いたかった。


文枝さんの腕を強く引っぱり、現世に押しとどめる役割を担う和子さんは、クラスの女王さまで、にぎやかな楽しい家庭で、「生」の光を放つ女性として描かれています。

文枝さんが和子さんと抱きしめ合って涙する最後の場面に、朝日が射す情景描写から、悲しい出来事を乗り越えた先の希望をたしかに感じました。


現世に生きて戻ってきた文枝さんは、この耐えがたい苦悩を作品のなかに昇華して、文学少女から作家へと成長していくのではと想像しました。



くり返しになりますが、読み応えのある、考えさせられる物語をどうもありがとうございます。

次回作も楽しみにしていますね!


2023/12/10 12:31

2023年に聴いた曲まとめ
Spotifyが、わたしが2023年に聴いた楽曲のまとめを作ってくれました。



マイトップソング、1位はColdplayの"Viva La Vida"でした。これはたしかに繰り返し聴いていたので、自分でも納得。

マイトップアーティストの2位にColdplayがランクインしたのも納得。


2位の「電気のない都市」という曲は、椎名林檎ちゃん率いる東京事変の楽曲です。

もの悲しいピアノの旋律とため息のような歌声が、聴いていて心落ち着くのですが、2位にランクインするほど聴いていたとは自分でも驚き。

「電気のない都市」と言うと、震災を思い起こすリスナーも多いんじゃないかと……


わたしが林檎ちゃんを知ったのは中学生の頃で、当時のクラス担任の先生が「幸福論」の歌詞がめちゃくちゃいいぞ、と紹介してくれたのが始まりです。


林檎ちゃんのソロ曲の方が好きで、バンド活動の方(事変)はあまり追ってなかったので、「電気のない都市」と出会ったのは偶然。

友人が顧問を務める高校演劇の公演を観に行ったとき、『うわさのタカシ』という脚本のお芝居のクライマックスで、この「電気のない都市」がBGMとして使われていて、ものすごく印象に残ったのでした。

以来、事変の曲のなかでは、いちばん好きな歌になりました。


マイトップアーティストの3位に宇多田ヒカルちゃんが入っていますが、林檎ちゃんと同じく、やはり宇多田ちゃんも世代なので、長年聞き続けています。

宇多田ちゃんの最近の曲では、『キングダムハーツ』のテーマ曲として使われた"Face My Fears"がいちばん好きです。

宇多田ちゃんと林檎ちゃんは親交が厚く、互いにカバーしあったり、二人のデュエット曲「二時間だけのバカンス」などあるんですよ。

お二人とも年齢を重ねて、音楽の幅も広がり、歌声も容貌もますます美しくなっていっていますね。




マイトップアーティスト1位のM. M. Keeravaniさんってだれ? と思いますよね。

M・M・キーラヴァーニさんはインドの作曲家で、映画『バーフバリ』の音楽を書いたかたです。

マイトップソングの3位と5位の曲は映画『バーフバリ2』の挿入曲です。

Saahore Baahubali

The Saviour

トリウッドというのは、テルグ語映画のことを指します。


今年8月から10月にかけて、インドが舞台のマジックリアリズム小説『真夜中の子供たち』を移動中にちまちま読んでいました。

が、あまりに未知の世界すぎ、文字から情景のイメージがまったく湧いてこないので、雰囲気を盛り上げるため『バーフバリ』BGM集を聴きながら読んでいたのでした。

これほどの長編を読んだのは久しぶりで骨が折れましたが、BGMの助けがあってか、なんとか最後まで読み終わりました。




マイトップソング4位がYesの"Roundabout”というのは、自分でもちょっと意外に感じました。

たしかに70年代、80年代の曲がけっこう好きで、よく聴いていたかも。


EW&Fの"September"、Eurythmicsの"Sweet Dreams"

ELOの"Mr. Blue Sky"、ケイト・ブッシュの"Jig of Life"

マイケル・ジャクソンの"Smooth Criminal"など、

あの時代で好きな曲はいっぱいあります。


Spotifyのおかげで、時代を越えた名曲を聴くことができるので、良いですね。


Yesの"Roundabout”は、2012年からのTVシリーズ『ジョジョの奇妙な冒険』で、エンディングテーマとしてすごく効果的に使われていて、名前を覚えました。


『ジョジョ』の作者である荒木飛呂彦先生が洋楽大好きだそうで、作中に曲名にちなんだキャラクターがたくさん登場します。キラークイーンとか。

漫画は第1部から第4部まで全部読んで、アニメは第3部だけ全部観ました。

最近は観る時間がなかなかとれず、もう6部まで放送が終わっているとは……とても追いつけないです。


2023/12/04 22:13

桐乃さん

桐乃さん、まだ体調が思わしくない中で、Coldplayライブ体験記をお読みいただき、どうもありがとうございます!

リンク先の楽曲も聴いてくださって、うれしい気持ちでいっぱいです。

そうなんです、ライブに行ったはずが、全員で静かに黙とうする時間があったりして、なんだか礼拝に行ったような不思議な気分になりました。


桐乃さんはB'zがお好きだと、『桐一葉』のなかで書いておられましたね。

わたしも中学生くらいの頃、B'zの金色と銀色の二枚のベストアルバムを聴いていましたよ♪

「Calling」は金盤の方に収録されていたので、あのギターの鮮烈な前奏、そしてサビから始まる歌い出しはよく覚えています。

「Calling」からそのまま「さまよえる蒼い弾丸」と続けて聴くのが好きでした。

「さまよえる蒼い弾丸」も前奏が民俗音楽調で独創的ですよね。


銀盤の方、最後の楽曲が終わってから30秒ほどそのまま再生していると、隠しトラックとして収録されている「HOME」が始まるんですよね。

アコギのギターだけを伴奏に歌声が響いて、

「君を傷つけていっぱい泣かせて、僕はもう眠れなくて。後悔してるのにまたくり返す、どうしようもなくダメなんだ。ありがとうって思うことの方が断然多いのに、どうしてもっとうまい具合に話せないんだろう」

という歌詞がストレートに耳に届いて、すごく好きでした。

(歌詞の内容は、そりゃ言葉にしなきゃ相手に伝わんないだろう……と思っていましたが)


銀盤の収録曲では「いつかのメリークリスマス」と、この隠しトラックの「HOME」が一番好きだったのです。

ただ当時は、”隠しトラック”という存在自体よく知らなかったので、どこにも曲名が書いてないし、これはいったい何なのだろうと不思議に思っていました。


だいぶ後になってから曲名と原曲(エレキとビートが入ったやつ)を知ったのですが、最初に聴いたのが、隠しトラックのアンプラグドバージョンだったせいか、いまだにアンプラグドの「HOME」の方が好きです。


桐乃さんが、「Calling」と同じくらい「HOME」もお好きだというエッセイを拝読したとき、そんなことを思い出して、とても懐かしく思ったのでした。

どうもありがとうございます。


これから年末に向けて、ますますお仕事が忙しくなると思いますが、どうかご自愛くださいませ。

新連載の『バーサーカーにおまかせ!』も楽しみにしていますね!


2023/12/03 22:47

南ノさん
わあ、さっそくColdplayライブ体験記をお読みくださり、どうもありがとうございます!

楽しんでいただけましたら、何よりです~^^


そうなんです、2日間とも当たってしまったんです。

これはもう、奇跡としか言いようがありませんね。

「陰徳を積む」って、素敵な言葉ですね。


10月の演奏会が無事終わり、Coldplayのライブ観戦も終わって、今年はもう終わったような気分になっています。

あと1か月はおまけのような気持ちです……


南ノさんの『クリスマスのおにぎり』拝読しました!

「クリスマス」と「おにぎり」という、ふだんは結びつかない単語の組み合わせからは、物語の展開が予想できず……

最初はハートフルな親子愛のお話かと思いきや、サンタに扮した「ママ」がまさか……

この短い字数のなかに、陽彩さんの人生が凝縮されていて、見事だと思いました。

ディケンズやオー・ヘンリーも書いているように、クリスマスは愛を送り合う日だと思うので、「おにぎり」に込められたママの愛が伝わってきて、そのママから伝えられた愛を、今度は陽彩さんが自分の子どもだけでなく、たくさんの子供たちに「おにぎり」という形で伝えていっているのは、まさにクリスマス物語だと思いました。

ひと足早いクリスマスの贈り物のようなお話を届けてくださり、どうもありがとうございます!


2023/11/25 20:30

Coldplayのライブに行ってきました!

NOVEL DAYSで連載中の『有機交流電燈 ダイアローグ』に「Coldplay 来日公演 in 東京ドーム」と題して、11/6のライブ体験記を前後編で書きました。

お時間のあります時に、気軽に楽しんでいただければ、うれしいです。

どうぞよろしくお願いいたします。


今回のライブのチケットの抽選申込をしたのが5月、当選のお知らせが6月のことでした。

なんと驚くべきことに、2日間の公演のうち、2日間とも当たったのです!

そんなことある!?

これで、今年の運を使い果たしたんじゃないかと思いました。


とは言え、Coldplayを生で聴きたいファンは世界中にたくさんいると思ったので、自分たちは1日目に行くことに決めて、2日目の分はリセールに出しました。

わたしたちが譲った分のチケットは、11/7の東京ドームに集まったファンのうちのどなたかの手にあったことでしょう。


海外アーティストの来日公演は予期せぬ事情で中止になることがままあるので、公演3日前くらいまで、本当にちゃんと来日してくれるだろうかと不安になり、緊張して悪夢を見たりしたのでした……


当日の感動は体験記の方に書きましたが、見どころ&名曲が多すぎ、詳しくふれられなかった曲ばかりで、書き足りない気持ちですが、前後編で約1万字になってしまったので、あきらめて公開することにしました。

演出や映像効果も本当に美しかったです。


コールドプレイのメンバー全員がすでに40代半ばなのですが、2時間ぶっ通しで歌い続け、ドラムを叩き続け、ベースやギターを弾き続けられる体力がすごい、さすがプロだと思いました。

いつまでも元気で、音楽活動を続けてほしいです。


今回のツアーのジャカルタ公演では、イスラム保守強硬派によるライブ中止を求めるデモが行われて、警察が出動する事態になっていました……

コールドプレイがLGBTの権利を擁護する立場にあることが理由です。

インドネシアでは過去にも同様のデモが行われていて、レディー・ガガのライブが中止に追い込まれています。


実際、クリス自身が政治的な発言をしているし、政治的な主張のある歌を歌っているので、どうか暗殺されませんように、と願うばかりです。


今回のツアーは環境的配慮を非常に意識しているので、「CO2排出量が多くなるから、メンバーの移動にはなるべくプライベートジェットを使わないようにして、できるかぎり民間ジェットを使う」と表明していますが、セキュリティのためにもプライベートジェットを使って!! と思ったのでした。


2023/11/25 11:32

桐乃さん
桐乃さん、しゃべログをお読みして、心配しております。

過去ログも拝読してですね、職場内部の問題に、外部の人間として何もできないことが歯がゆい思いです。

ほかの皆さまもおっしゃっていますが、どうかご自愛くださいませ。


桐乃さんの体調が落ち着きますよう、仕事環境がより良いものになりますよう、お祈りしております。


2023/11/13 21:44

佐久田さんの『ふきのとう日誌』
佐久田さん、『ふきのとう日誌』、拝読しています^^

お花の写真も、いつも楽しませてもらってます。

今さらなのですが、第53話「『侍女の物語』を読んで」の話。


鴻巣友季子さんの『女性を分断支配するディストピア』を副読本として読まれたとのことなので、同じ鴻巣さんの評論「「あり得ない世界」にいる私たち」に、興味深い内容が書かれていたので、ご紹介しますね。


トランプ政権のときに注目を集めたPeople of Praiseという、1971年設立のアメリカの保守系キリスト教団体(メンバーの大半がカトリック)があります。

この団体はもともと、男性指導者を"head"と呼称し、女性メンバーのトップを"handmaid"(侍女)と呼称していました。

アドウッドが『侍女の物語』を出版して以降、団体は"handmaid"から"woman leader"と役職名を改称したのだそうです!


近年、People of Praiseがにわかに注目されるようになったのは、トランプ大統領(当時)が最高裁陪席判事に指名したエイミー・バレット判事が、この団体のメンバーであると報じられたからです。


アトウッドはインタビューで「そういう宗教セクトがあるんです。女性を侍女と呼ぶカトリックの団体で(以下略)」と語っています。

アトウッド自身が執筆したときに着想を得たのは、People of Praiseと似たような別の宗教団体、People of Hopeではないかと言われています。


わたしたちが知らないだけで、「家父長制を敷き、夫は妻に対する権限を持つ。人間の命は受胎の瞬間に始まる」といった考え方の団体が実際にたくさんあって、その考えに賛同するメンバーが男性も女性も少なくない数、存在するというわけですね。

おどろきです。



日本でも、女性の政治家だからと言って必ずしも女性の権利の擁護者というわけではなく、名誉男性とでも言うべき政治家が少なくないですね。

男社会で勝ち抜くためには男よりも男らしいムーブをしなきゃいけないのか……。

高い教育を受ければ、自然とリベラルな考えになるというのは間違いで、社会秩序を維持する方向に進むと、男女問わずむしろ保守になるのかなと思ったりします。


最後に、「自由」の問題は奥深いですね。

エンデの『自由の牢獄』という短編には、このテーマが正面から取り上げられていて、興味深かったです。


続編の『誓願』をお読みになられましたら、また感想を聞かせてください^^


2023/10/25 22:03

南ノさん
南ノさん、さっそく『きものがたり』をお読みいただき、もったいないお言葉をどうもありがとうございます!

伊勢木綿はよく着ているので、今後も写真のなかに登場する予定です^^


「自分で敷居を高くしてしまっている」というのは、まさにおっしゃる通りだとわたしも思います。

この「敷居が高い」イメージの原因である、着物の「格」と呼ばれるドレスコードは、階級社会だった頃の残滓だと感じています。

江戸時代の武家の時代劇を見ると、TPOに合わせた藩主の着装を決める衣紋方という役職の武士がいますよね。


江戸小紋は東京を代表する型染めの伝統技法ですが、もともとは江戸城に勤める武士の通勤服である裃の柄を染めたことに由来します。

裃の柄を各藩ごとに定めて、島津家の鮫、山内家の青海波、前田家の菊菱などの定め柄(留め柄)を見れば、ひと目で誰がどこの所属か分かるようになっていたそうです。

さらには、同じ留め柄でもその柄が細かければ細かいほど身分が高い人物という決まりでした。なので、同じ留め柄の裃を来た人物が複数人いた時、その中で誰が重要人物か、ひと目でわかる仕組みになっていて(相手に名乗らせると不敬なのでしょう)、階級社会ならではのルールだなと思います。


現代において、留袖に次いで格の高い礼装とされる「訪問着」は大正4年に三越が命名して売り出したもので、長い着物の歴史の中では比較的新しい着物なのです。

留袖→訪問着→付け下げ→小紋といった新しい格付けが、日本じゅうのご婦人がたの間に「新しい常識」として浸透したのは、1960年代から70年代以降、わずか50年前ほど前のことだったそうです。


着物の格付けルールは呉服業界の販売戦略とも言われますが、その戦略に消費者が乗っかってきたから、現在があるわけです。

法律で定めた階級が廃止されても、資産や職業などに基づく社会階層は依然として存在するので、何を着てもOKとなっても、自分たちの階層にふさわしい装い=格付けというのを求めてしまうのでしょうね。

ブルデューの「文化資本」の考察が、戦後の日本にも当てはまるのでは、と思います。



2023/10/22 11:56

音楽活動、復帰しました!
先日、とあるコンサートホールで行われたオルガンのコンサートに出演し、3曲弾いてまいりました。


コロナ禍でも教会では弾いていましたが、一般のお客さまを入れた大きな会場で演奏するのは、実にまる4年ぶり!

久しぶりすぎて、リハーサルの始まる本番2日前くらいから緊張していました。

ぶじ、何事もなく終わってホッとしております。


ご存知のとおり、昨年は2回も入院し、手術も受けたので、その間、音楽活動はずっとお休みしていました。

右足のつけ根あたりの腫瘤をとったので、術後は歩くのもままならない感じでしたが、時間の経過とともにだんだんと歩けるようになってきて、現在は早歩きくらいのスピードならランニングもできるほどに回復しました。

人間の持つ回復する力ってすごいですね。


今回のコンサートのお声がけがあったのは今年6月のことで、出演を決めてから、1年以上ぶりに練習を再開しました。

7月に、復帰のあいさつもかねて、長年お世話になっている先生のレッスンを受講したところ、あまりに下手になっていてショックでした。

手鍵盤はそれほどでもなかったのですが、足鍵盤の衰えが想像以上で……。

少し前まで歩くのもやっとだったのですから、足鍵盤が弾けなくなっていて、当たり前ですね。


曲目は、これから新しく譜読みをするとかではなく、すでに完成していた曲なので、元通りに弾けるよう、日々、練習を重ねてきました。

足鍵盤の練習を再開してから、弾いているとだんだん膝が痛くなってきてですね。

元気だったころはそんな現象は起こらなかったのです。

手術と術後しばらくよろよろしていた影響により、股関節周りやふとももの筋力がかなり衰えたと思うんですよ。

それで、衰えたところをカバーするため、今まではあまり使っていなかった膝に負担をかけて足鍵盤を弾くようになって、結果、膝が痛くなるのかなと予想。

なので、以前のようにぶっ通しで長時間練習なんてことはできなくて、毎日、数回通しで弾くのが精いっぱい。


それでも、10月のコンサートに出るぞ! という明確な目標ができたのが良かったのか、ほぼ元通りの演奏まで回復してきました。



そんな中、この夏、同じ音楽グループに所属する仲間の一人が、病気で急逝して……。

そのかたはまだ50代前半だったので、非常に衝撃を受けました。

以前からご病気だったそうで、そのかたも、この10月のコンサートに向けてがんばっていたそうなのです。

そのかたが弾く予定だった曲目は、その思いを汲んで、本番では代わりに先生が演奏されたのでした。

ご遺族からの申し出で、そのかたがお持ちだった、たくさんの楽譜やCDが形見分けされて、仲間うちで特に親交があつかったかたたちが、もらって帰られました。




本番当日、久しぶりに再会した音楽仲間たちと旧交を温め、4年以上ぶりにお会いできたかたもいて、再びこの場所に来れたこと、本当に良かったです。

上手い下手に一喜一憂するのでなく、弾くことの喜びを感じると言いますか。(もちろんチャレンジ精神、向上心を持つのは大事ですが)

弾くことができるだけで幸せなんだな、としみじみ感じました。


これからも無理のない範囲で、音楽活動をつづけていきたいと思いました。

先生と音楽仲間のみんなが、元気で長生きしてくれますように。




本番を終えてひと息ついたので、ここ数カ月あまり出来なかった、落ち着いて読んだり書いたりする活動に、より時間を費やしたいです!


2023/10/22 10:39

南ノさん
南ノさん、さっそく『聖書と文学 ~名作で読む聖書の世界』のハイジ回を読んでいただき、どうもありがとうございます!


なんと、南ノさんは小学生の頃に原作をお読みになっていたのですね。

たしかにアニメとは全く別ものですよね!!


アニメと原作で一番性格が違うキャラは、やはりペーターだと思います。

原作のペーターはクララの車イスを谷底にわざと落として壊すという、とんでもない悪ガキなんですよね。足が悪い年下の女の子に対して、悪質すぎるいじめ……。


アニメは随所でコミカルな演出を加えていて、原作で敵役のロッテンマイヤー女史も、アニメではコメディ演出のおかげで、なんだか憎めないキャラになっています。

あと、アニメでは犬のヨーゼフが良い味を出していますが、アニメオリジナルキャラなんですよね。

なので、小学生だった頃の南ノさんが「アニメの方が面白い」と感じたのも頷けます。


そして、斎藤美奈子さんの『挑発する少女小説』にハイジが取り上げられているのですね!

目次を見ましたら、『小公女』『若草物語』『赤毛のアン』など、超有名作品がずらりと並んでいますね。

斎藤美奈子さんだから、おそらくフェミニスト・クリティークなんですよね。

これはわたしも考察を読んでみたいです。ご紹介ありがとうございます!


2023/10/05 21:36

ヨハンナ・シュピリ『ハイジ』

NOVEL DAYSで連載中の『聖書と文学 ~名作で読む聖書の世界』に、ヨハンナ・シュピリの『ハイジ』を二話に分けて追加しました。

お時間のございます時にお読みいただけましたら、さいわいです。

どうぞよろしくお願いいたします。



ヨハンナ・シュピリの『ハイジ』については、だいぶ前になりますが読書ブログにも記事(2013年5月27日付)があります。

ブログで書いた時は、角川文庫版の『アルプスの少女ハイジ』から引用していました。


それが最近、古典新訳文庫から新しい訳が出ていることに気づき、「100分de名著」にも取り上げられていたみたいで、今回あらためて読み直し、NOVEL DAYSの記事を書きました。


古典新訳文庫で『ハイジ』を読み返してみて、1章から14章までの本編(本来はそこで完結)の「放蕩息子のたとえ」のモチーフの使い方が見事で、最初から最後まで緻密に配置された完成度の高い作品だなと感じました。

作者の本編の力の入れ具合と比べると、続編はさらっと流して書いた印象です。


大人になって読むと、ハイジの祖父の教育ネグレクトはかなり問題だと思います。祖父がハイジ本人のためを思ってやっている風に装っているところが、より悪質だと思うのです。

一方、ハイジ自身は虐待を受けている自覚がないので、せっかく教育を受けられる環境に連れ出してもらえたのに、おじいちゃんのもとへ帰りたいと泣くんですよね。難しい問題だなぁと思うわけです。




『ハイジ』の話から逸れますが、現代の、それも先進国であっても、教育ネグレクトの家庭で育つ子供は実在するというのを教えてくれるのが、タラ・ウェストーバー『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』(ハヤカワ文庫、2023年)というノンフィクションです。

著者であるタラ・ウェストーバーは、1986年にアイダホ州で生まれましたが、彼女には出生証明書はなく、学校に通うこともなく、家族という小さな共同体に「幽閉」されて育った女性です。


彼女の父親はモルモン教の信徒でかつ、「サバイバリスト」と呼ばれる狂信的な陰謀論者だったそうです。

世界はイルミナティという闇の組織が支配していて、そこから逃れる必要があるという妄想に凝り固まっているため、国家による洗脳を避けるために子供たちを学校に行かせない。

彼女の母親はそういう夫の妄想に深く感化されていて、彼女の兄も両親から受けた思想教育に洗脳された状態だったという……。



似たような考え方の男性が、名匠タルコフスキー監督の映画『ノスタルジア』にも登場したのを思い出しました。

世界の終末が訪れると本気で信じ込み、家族を七年にわたって幽閉した男。

その男は大音量で第九が流れるなか焼身自殺をするので、その場面だけがトラウマ的に記憶に残る映画です。



2023/10/01 22:19

台湾サンドイッチ「洪瑞珍」を実食!
こ、これは……



南ノさんがnoteで書いておられた

とってもシンプルなのに、このおいしさ!――台湾サンドイッチ専門店「洪瑞珍」

に登場する、台湾No.1サンドイッチです!!


9/16-9/17に、上野公園で「TAIWAN PLUS」という台湾カルチャーフェスが行われているということで、本日行ってまいりました。


この持ち帰り用ボックスとサンドイッチのパッケージがかわいいですよね!

招き猫ちゃん!!


昼頃に訪れたところ、長蛇の列ですでに売り切れのメニューも出ていて……。

わたしたちが購入したのは、


満漢サンド(ハム、チーズ、卵)

全粒粉ハムサンド(ハム、卵)

全粒粉チーズサンド(チーズ、卵)

マンゴーサンド

焙香烏龍

黒糖豆乳


お味の方は、甘くておいしいです!

ジャムサンドではなく、総菜サンドが甘いというのは、日本人にとっては驚きの味なのじゃないかと思います。

甘いハムサンドっておいしいの? って疑問に思うかたも多いでしょう。

でも、塩気と甘みのバランスがちょうどよく(どちらかと言うと甘みの方が立っています)、想像以上においしいですよ。

ハムやチーズの塩気と、甘みのある秘伝のバターのマリアージュですね!


マンゴージャムが塗られたサンドは、ジャムが甘いためか、秘伝のバターが甘くないように感じました。

ジャムサンドと総菜サンドでは、間に塗っているバターを変えているのかな?


一緒に購入した黒糖豆乳ドリンクは、「東京豆漿生活」という台湾式朝ごはん専門店とのコラボメニューだそうです。


気になるお値段ですが、サンドイッチ4点とドリンク2点で2400円ちょいでした。

イベント屋台価格だからなのか、ちょっと高すぎるような……。


ちなみに、「洪瑞珍」のサンドを食べるのは今回が2回目です。

最初に出会ったのは今年4月で、有隣堂が運営するSTORY STORY YOKOHAMAの店内に、臨時出店していたのです。

そのときはサンドを3点購入したら1点おまけでつけてくれて、ドリンクも1本無料プレゼントだったので、とってもお得感がありました。

出店場所が有隣堂だったから、行列もなかったですし、売れ残りをふせぐために必死だったのかも……。



今回の上野のイベントに出店している「洪瑞珍」は、高田馬場に常設の店舗があります。

そして、「東京豆漿生活」は五反田にあるそうです。

五反田も我が家からは遠いんですが、豆乳スープに揚げパンをひたした朝食、いずれ食べにいきたいですね。


2023/09/16 22:01

シュルレアリスムとマジックリアリズム

ダダからシュルレアリスムが派生したので、ダダとシュルレアリスムは影響関係にあるのは言うまでもないです。


シュルレアリスムにカテゴライズされるフリオ・コルタサルは、日常(現実)の中に非日常(ファンタジー)が入りこむ手法で書いています。


コルタサルの『南部高速道路』では、パリに向かう高速道路で大渋滞に巻き込まれ、車が進むのを待っているうちに1日、2日と経過して、渋滞はいっこうに解消されないまま、いつの間にか季節がめぐり……というあらすじを説明するとトンデモなストーリーなのですが、読んでみると、非常にリアルな筆致で書かれているので有り得ない設定に説得力があるのです。


あれ、でも、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』やバルガス・リョサの『密林の語り部』も、リアリズムの小説に絶妙にファンタジー要素を取り入れているような……。

でも、ガルシア=マルケスやリョサはシュルレアリスムではなく、マジックリアリズム(魔術的リアリズム)にカテゴライズされています。


シュルレアリスムとマジックリアリズムの違いってなんなのでしょうね?

日常(現実)の中に非日常(ファンタジー)が入りこむ手法と言えば、児童文学の分野で言われるエブリデイ・マジックという手法とも類似していますよね。



シュルレアリスムにおけるファンタジー要素は、無意識や夢などをイメージの源泉としていたようです。(自動手記など)


マジックリアリズムの先駆者(創始者)と言われる、ノーベル文学賞作家ミゲル・アンヘル・アストゥリアスは、シュルレアリスムにマヤの神話を融合した作品を書いています。


作者のバックボーンがラテンアメリカやアフリカなどの非ヨーロッパ世界にあり、その土地に根ざした民話や神話を取り入れたリアリズム小説が、マジックリアリズムということなのでしょう。


シュルレアリスムとマジックリアリズム、エブリデイ・マジックの違いは、それぞれのファンタジーのイメージの由来がどこにあるかで、違いがあると言えますね。


日常(現実)の中に何らかのファンタジー要素がまぎれこむ

シュルレアリスム:無意識、夢

マジックリアリズム:神話、民話、伝承

エブリデイ・マジック:異世界、魔法



アストゥリアスの『グアテマラ伝説集』を読んだ感想としては、リアリズム小説なのかどうかは疑問で、マジックリアリズムと言うよりマジックそのものでしたが……。


エイモス・チュツオーラの『やし酒のみ』は、アフリカ的マジックリアリズムだと思います。

じゃあ、チェコのカフカやボフミル・フラバルはどうなんでしょう?

シュルレアリスムでしょうかね?


2023/08/12 21:48

成瀬川さん
わあ、ご訪問ありがとうございます!!

ご紹介の「mellow2Sounonly」、聴いてみましたよ。

言葉から意味を剥奪し、音素に還元するというの、まさにダダの音響詩の流れをくむ作品ですね。

クルト・シュヴィッタースと違うのは、ドラムで刻むビートが入っているところですね。


アンビエントワークス【Max/MSP】空気録音集の中では、「修羅【MSP】」がきらきらしたところが宇宙的な広がりを感じて、美しいと思いました。

「ZAN TETSU KEN【MSP】」もきれいですね。


無調の音楽と言えば、やはり未来派!!

未来派のルイジ・ルッソロの「都市のめざめ」という騒音で作った音楽を聴いたことがあって、あれを最初にやったというのはすごいですよね。

「未来派音楽宣言」「未来派調理宣言」など多数あり、機械文明や理性、合理性などを追及した芸術というのが、感覚重視の抽象芸術とは真逆の発想で、とても面白いです。

この未来派がムッソリーニに政治的に利用されてしまったのが、残念なところ。


成瀬川さん、いつもどうもありがとうございます。

このブログのタイトルからお分かりだと思いますが、わたしも宮沢賢治の作品、昔も今も好きで、よく読んでいますよ。


2023/08/12 21:18

こんばんわ!! 手前みそな話になってしまうのですが、そういうわけで(どういうわけだ)言葉から意味を剥奪し、音素とランダム性を考えて作曲したことがあります。それが『mellow2Sounonly』という曲で、リンクから飛んでYouTubeで聴くことが出来ます。あまりに呪術的に聴こえそうなので、ドラムを大衆性バリバリにして回避しようとしましたが、聴いたひとから「夢に出てきそう。ほんまもんだろ、これ」と怖がられました。

さらに、僕のYouTube『成瀬川るるせの実験工房』には、アンビエントワークス【Max/MSP】空気録音集という、僕がつくった無調性音楽などを集めたプレイリストがあります。mikaさんには理解してもらえそうなので、嬉々としてリンクを張りました。ぜひぜひ聴いて欲しいのです。

ちなみに、ハイアートとロウアートの分類方法の一種として、「長い期間勉強して身に付けないと(コンテクストが)理解出来ない」のをハイアートとする、っていうざっくりしたのがあります。この場合、僕はなにもかも独学なので、ハイアートの文脈でいうと、アウトサイダー(アールブリュット)に位置するのかもしれません。アウトサイダーも、定義の方法がいくつかあるので微妙なのですが。

2023/08/12 19:13

ダダの話②

わたしがダダの詩で聴いたことがあるのは、クルト・シュヴィッタースの「Ursonate」(原音ソナタ)です。

この作品は、シュヴィッタースの自演による朗読音源が遺っているので、今でも聞くことができますよ。

聴いていみると、「なるほど、理解」となるのですが、言葉から意味が剥奪され、音(音素)に還元されている詩です。

なんのこっちゃですね。それって詩なのか、そもそも詩の定義とは? と、価値観をゆさぶられること間違いなし。

「Ur-Sonata」は、まさに「芸術は音楽の状態にあこがれる」というもので、「芸術の純粋化」の典型例であると言えます。



ダダの詩人であったアンドレ・ブルトンはダダと決別し、「シュルレアリスム宣言」(1924年)を発表しました。

シュルレアリスムの代表的な手法は、自動手記、コラージュ、デペイズマン(異化効果)です。


このデペイズマンの名手が、ベルギーの画家で「イメージの魔術師」と評されるルネ・マルグリット。

マルグリットの「イメージの裏切り」という絵画では、パイプのイラストの下にCeci n'est pas une pipe.(これはパイプではない)と書き込まれています。

マルセル・デュシャンの試みを、イメージ論の領域に横滑りさせたような作品ですね。


わたしはマルグリットの絵が好きで、「白紙委任状」や「大家族」など名画がたくさんあります。

これまた余談ですが、魔夜峰央さんの『パタリロ』に登場する、大魔王アスタロトが人間の魂を保管する「白紙委任の森」という場所があって、それがマルグリットの「白紙委任状」を元ネタとしているのです。魔夜さんの錯視的な美しい絵が印象に残るお話で、今でもよく覚えています。



詩の話に戻ると、日本の現代詩人、吉増剛造の「石狩シーツ」の自演による朗読を聴いたことがあってですね。

クルト・シュヴィッタースと同様に、いかに詩人が音的リズムを大切にしているかが伝わってきました。


成瀬川さんが紹介されていた、ダダの詩人である高橋新吉は読んだことがなったので、手にとってみたいですね!


2023/08/12 16:57

ダダの話①

ようやく本題であるダダの話。


マルセル・デュシャンの「L.H.O.O.Q」(1919年)は、絵葉書の「モナリザ」のイラストに髭を書き加え、「L.H.O.O.Q」というタイトルをつけただけの作品ですが、ダダイズムの「偶像破壊」の頂点に位置すると言われています。

1919年は、第一次世界大戦終戦直後にあたります。

フランス語で「L.H.O.O.Q」は、リエゾンするとElle a chaud au cuisse(彼女は淫乱)の意味に聞こえるそうです。


過去に『モナリザ 100の微笑』という展覧会まで開かれたように、「モナリザ」はパロディ化される運命にあると言いますか……。

「モナリザ」は、権威ある人々が「名画」と認めた「芸術」の象徴。

だからこそ、権威に対する反抗を目論む「反芸術」の試みとして、攻撃の対象となり、数多くのパロディやカリカチュアが生み出されたと言えますね。



デュシャンが1920年に発表した、窓のオブジェに「Fresh Widow」とタイトルをつけた作品も、「L.H.O.O.Q」と同様の戦略的言葉遊びが光ります。

窓のオブジェがなぜ「未亡人」かと言いますと、French Window(フランス式の窓)から、Fresh Widow(なりたての未亡人)へ転じています。

こうしたデュシャンの言葉遊びは、言葉自体の表層的な性質を強調するもので、ソシュールの理論と響き合うものです。


この「Fresh Widow」に、デュシャンはあえてローズ・セラヴィという女性名で署名しており、それがどういう意図だったのかは後世でも議論がつきないところです。


余談ですが、芸術の世界は、はっきり言って男社会なので、女性作家が男性名で活動することはよくあることでした。

有名どころだと、ジョルジュ・サンドの本名はアマンディーヌ、『ミドルマーチ』のジョージ・エリオットの本名はメアリー。

一方、男性作家が女性名で活動するというのは、全くないわけではないですが、珍しいとは言えます。

現代の作家だと、アルジェリア出身のフランス語で執筆する作家ヤスミナ・カドラの本名は、ムハンマド。彼の自伝的小説が出版されるまでは、読者から女性作家だと思われていました。



ダダの話に戻ると、デュシャンの試みはHigh CultureとLow Cultureの枠組みを崩していくものです。


2023/08/12 16:34

芸術の世界
成瀬川さんが『修羅街挽歌』やしゃべログでダダについて書いているのを読んで、久しぶりに芸術について思いをはせたりなど。


そもそも芸術とは?

artはラテン語arsからきており、語源的には「技術」であるため、芸術(アート)=「美の技術」です。


よく言われる、ネイル・アートは芸術(アート)か? という問題を考えてみます。

ネイル・アーティストは芸術家と言うよりは、職人。

ネイル、ヘアメイク、料理などが、どんなに芸術的であっても、必ず対価を得るために行われています。

経済活動が関与するかどうかで、芸術家(artist)と職人(artisan)は区別されると言えます。

逆を言えば、経済活動を目的とせず、独創性と特別の技術で制作するならば、ネイルもメイクもファッションも「芸術」(アート)と言えるのです。


「芸術家」という社会的身分が公的に認められるようになったのは、1648年にフランスの王立絵画彫刻アカデミーが創設されてから。

これはルイ13世の時代で、宰相リシュリューが創設させました。

余談ですが、小学生の頃に読んだデュマの『三銃士』の影響で、宰相リシュリューと言うとわたしの中で知的悪役イメージです。


1648年というのは、バロック時代にあたります。

中世の職人ギルドの一員であるartisan(職人)から、国家によって身分保証されたartist(芸術家)へと変わっていきました。

しかし、「アカデミー」が権威を持つというのは、国家権力が「芸術の基準」を決定するようになるということです。

それって本当に「芸術」なんでしょうか?

現代のわたしたちが想像する、いわゆる「芸術家」が成立するのは、19世紀になってからなのです。


芸術の歴史では、バロック時代の後、1750年頃から古典派が現れます。

1789年にフランス大革命が起こり、1800年頃からロマン派の時代になります。

おおざっぱ分けると、

古典派:説明できるもの。合理性、理性、悟性。=形式重視

ロマン派:感情。「曰く言い難いもの」を重視。=抽象重視


古典派とロマン派は対概念と言えます。

19世紀を通じて、芸術の世界では抽象度の高いものの序列が高くなり、芸術家に天才(独創性)が求められるようになります。


抽象度の高いものが芸術として上位と位置づけられるようになるというのは、例えば音楽で言うと、器楽が声楽よりも上とみなされるということです。

それ以前、ルネサンスやバロックの時代では、器楽よりも声楽の方が上でした。


19世紀の芸術は、ロマン派の帰結として二つの立場に分かれていきます。

「芸術のための芸術」と「大衆迎合型の芸術」です。


L'Art pour l'art(芸術のための芸術)

英語で言うとArt for Art's Sake、芸術至上主義とも言われます。

19世紀後半、芸術家が独創性を追求するあまり、大衆に理解できなくなるのです。これを「芸術の純粋化」と呼びます。


詩の世界で言えば、言葉の意味ではなく音素が重視されるようになります(ランボーなど)

「あらゆる芸術家は音楽の状態にあこがれる」というウォルター・ペイターの言葉が有名です。

こうして、抽象的な現代音楽や現代アートにつながっていきます。

現代のわたしたちがイメージする「芸術」や「芸術家」というのは、まさにこの時代に形づくられたものです。


対概念である「大衆迎合型の芸術」は、ロッシーニやヴェルディのオペラなどが分かりやすい例でしょう。

ロッシーニは同時代の人々から圧倒的な人気を集めていましたが、音楽史上ではベートーヴェンの方が評価が高く、ロッシーニはベートーヴェンのような神格化をされていませんよね。


19世紀後半から20世紀初頭、「芸術の純粋化」から、感覚的なものを重視した印象主義や表現主義が生まれました。

以降、多種多様な~ism(主義)が現れ、現代に至ります。

代表例を挙げると、


表現主義:ムンク、音楽では無調

印象派:モネ、マネ、音楽ではラヴェル、ドビュッシー

新印象派:スーシ

野獣派(フォービズム):マチス

素朴派:ルソー

原始主義:ムーア

ダダ:デュシャン

立体派(キュビスム):ピカソ

抽象絵画:カンディンスキー

新造形主義:モンドリアン

未来派:ボッチョーニ、ルッソロ

シュルレアリスム:ダリ、マルグリット


ここでようやくダダが登場しました!

ダダ、シュルレアリスム、未来派については後ほどあらためて書くとして、歴史の話に戻ります。


20世紀に入り、権威が認めた「高尚な芸術」(制度としての芸術)に対する反動として、「反芸術」や「非芸術」を掲げる芸術家が現れました。

反芸術の音楽と言えば、ジョン・ケージの「4分33秒」(1952年)が有名ですね。


19世紀 「芸術」

20世紀初頭 反「芸術」

20世紀後半 非「芸術」

現代 ~アート


現代は、この「非芸術」の流れを汲む「~アート」の時代と言えます。

芸術家の数だけたくさんの「~イズム」があったように、現代では「アート」と名の付くものがたくさんありますよね。

アウトサイダー・アート、オプティカル・アート、キネティック・アート、ポップ・アート、コンセプチュアル・アート、ランド・アート、ミニマル・アート、パフォーマンス・アート、サンプリング・アートなどなど。


現代では、「芸術」を「芸術」たらしめているのは、「ものの見方」と言えます。

つまり、「もの」そのものではなく、コンテクスト(理由付け)が重視されるのです。

本来あった文脈から切り離して、芸術と認知される特殊な文脈に置くことで、「芸術」とみなされるわけですね。

分かりやすく言えば、美術館に展示されることで「芸術」と認知されると言えます。

こういう効果を意図して行うことを、Dépaysement(デペイズマン)「異化効果」と呼びます。

言うなれば、美術館というのは「異化効果」を生じさせる巨大な装置ですね。


2023/08/12 11:35

桐乃さん
桐乃さん、熱中症の症状があったとのこと、心配しておりました。

その後の体調はいかがでしょうか……。

二十四節気で言えば、今はちょうど大暑(7/23~8/7頃)の時期ですので、みなさんも言っておられますが、どうかご自愛くださいませ!!


そのようななかで、『きものがたり』を読んでくださり、感謝です!

わあ、桐乃さんのお父さまは大島紬をお持ちだったのですね。

もしかすると、なにかの折にご家族が誂えたお品で、お父さまがお若い頃にお召しになっていたのでしょうか。

日常的に着物を着ないかたでも、お守りのように大切に箪笥にしまっておられるという話も聞きますので、そういうお品かもしれませんよね。

桐乃さんの大事な思い出を分かち合ってくださり、どうもありがとうございます。


わたしが母から受け継いだ着物のなかに、大島紬っぽい紬もいくつかあり、マイサイズに仕立て直して、秋冬に愛用しています。

紬の産地は全国各地にありますので、大島紬という確証はなく、結城紬という可能性もあって。

自分で誂えたものと違い、譲り受けた品は証紙がないので、見た目や手触りなどの特徴から、どういう来歴のものかを想像する(推理する?)のも楽しいですね。



大暑の初候(7/22~7/26頃)は、七十二候では「桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)」と言うそうなんですね。

この暦の言葉を見て、桐乃さん!!って思ったわたしです。

ここで言う「結花」とは、来年用の花のつぼみを指しているそうで、「桐一葉」という言葉もあるとおり、桐というのは、先を見通す意味をもつ植物なのだなぁと感じ入りました。


2023/08/02 22:43

プロフィール

ロシア文学が大好きです。 2012年2月からロシア語を勉強しています。

NOVEL DAYSで活動中です。
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