日々ログ

成瀬川さん

成瀬川さん、『眠れないのは誰のせい』全話拝読しました!

短期集中連載、おつかれさまでした!

わたしがお送りしたお手紙への「変則的な返信」でもあるとのこと、どうもありがとうございます!!


成瀬川さんと女性たちとの関係については、それぞれ個別の事情がおありで、わたしが口を差し挟む問題ではないので、それについて感想を書くのは控えたいと思います。


第3話で取り上げておられたとおり、フーコーが同性愛者であったというのは、今ではよく知られた話ですよね。

フランスの歴史小説家ローラン・ビネが書いた『言語の七番目の機能』のなかで、フーコーのそういう伝記的エピソードが描かれています。

かなり露骨な性的描写があるので、これ書いてゆるされるんだ!? と逆に驚いたほどです。

フランス国内では、同性愛はもう隠しておくべき事実(タブー)ではないのでしょうね。

ヴェルレーヌとランボーが恋人関係にあったというのも、有名な話ですからね。

余談ですが、ローラン・ビネの『HHhH プラハ、1942年』は良い歴史小説なので、おすすめです。



第15話でフーコーの「生の政治」を取り上げておられましたね。

近代以前の権力は「目に見える権力」で、人々は権力から逃れようと努力してきました。

一方、近代の権力は「目に見えない権力」で、権力がわたしたちの間に内在化(内面化)していく、という考え方ですね。

この社会構造を、親が子供をしつけることに喩えて、「権力のディシプリン化(規律化)」とか「権力の身体化」と呼びますね。


それによって、「正常さ」への志向が生まれ、何が「正常」でないと見なされるのか、という「異常」への関心が生まれ、結果として同性愛者など「異常」と見なされた対象を非難し、排除する社会になっていく。

同性愛者は古代から存在していたのに、近代になって同性愛嫌悪が強化されたのはなぜなのか、ということをフーコーの理論によって説明できるわけですね。

自分たちを縛るものを自分たちで率先して作っている、という社会構造は皮肉なものです。


コロナ禍でフーコーの著作が再び注目されている、というのは知りませんでした。

成瀬川さんのおかげで、久しぶりにフーコーの「生の政治」についてじっくり考えることができて、良かったです。



「〈倫理レベルにまで及ぶ(内在化された)支配〉に〈抗う〉こと」が、今回のエッセイの意図であるという言葉に、なるほど得心がいきました。


成瀬川さんの高校時代から23歳までの実体験に基づくエピソードの途中に抽象的な政治哲学の話が挟まれているのは、エッセイのなかで浮いているというか、かみ合っていないように思う読者もいるのではないか、と思います。


人生において、嫌なことや、もやもやする出来事、道理を説かれても納得できないことというのはたくさんありますが、それを言葉にして説明するのは難しいものです。


そのもやもやを筋道立てて説明してくれる道具が、哲学や思想です。

人によって手に合う道具はさまざま、マルクス主義だったり、フェミニズム理論や精神分析学だったりしますね。


前回のお手紙でも少しふれたアドリエンヌ・リッチは、少女時代に受けた性的虐待を題材とする詩を書いています。その苦しい実体験が背景にあってこそ、「強制的異性愛」(異性愛こそ文化的強制)という発想が出てくるのだし、彼女の理論に説得力があるわけです。


成瀬川さんにとってはフーコーが、これまでの実体験を説明する理論であり、その苦しさ乗り越える武器のひとつであるのだな、と伝わってきました。


「僕は抗う!」という力強い宣言が、成瀬川さんの人生をあらわしていると思います。

勝ち目のない相手であっても、押しつぶされるような状況であっても、「抵抗」するという意志を持ち続けることが、成瀬川さんの執筆の原動力になっているのだと伝わってきました。


エッセイの最終話までお読みして、まだまだ語り足りないこと、いまは語るタイミングではないから語らないでいることがたくさんおありなのでは、と感じました。

薬の副作用について書いておられましたが、これからも書き続けるためにも、お体ご自愛くださいね。

引き続き応援しております!!


2024/07/14 21:58

カギ括弧の中で文が終わる場合、句点(。)を打つべきかどうか問題

文章ルールの話、これで最後です。

カギ括弧の中で文が終わる場合、句点(。)を打つべきかどうか?


大手投稿小説サイトでは、会話文の最後の句点を省略している小説と、会話文の最後の句点を打つ小説、どちらも見られます。

どちらかと言えば、カギ括弧内の最後の句点を省略している小説の方が多いでしょう。


これは文章作法としてどちらが正しいのでしょうか?


「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕案」(昭和21年、1946年)では次のように示されています。


 「」(カギ)の中でも文の終止にはうつ(例4)。

(例4)

「どちらへ。」

「上野まで。」


文化庁の「国語分科会第23回議事要旨」(平成16年)では、この問題について次のように議論されていました。


委員:かぎ括弧で,「はい。」のように句点を付けてから,かぎ括弧を付けるが,規則はあるのか。


文部科学省・文化庁:学校教育では句点を付けている。これは,先ほど出ていた「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕(案)」を指針としているためである。


委員:文学作品では,ほとんど句点を付けていないのではないか。


文部科学省・文化庁:現在の作家の中で,付けているのは黒井千次氏と吉本ばなな氏くらいである。



つまり、「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕案」の基準に従えば、カギ括弧内の最後の句点を打つルールが正しいと言えます。

しかし、現代の小説家の間では、カギ括弧内の最後の句点を省略するルールが新しい慣習として定着しているということです。


「公用文作成の考え方(建議)」(令和4年)でも、


括弧の中で文が終わる場合には、句点(。)を打つ。

(例)「決める。」と発言した。


と明確に書いてあります。


しかしながら、小説家がいつ頃から会話文の句点を省略するようになったのか、気になるところですね。

いくつか引用してみます。



「喜助。お前何を思っているのか。」(森鷗外『高瀬舟』)


「行けというなら、行かぬでもないが、その代り、その方はわしの帰るまで、待っておれよ。」(芥川龍之介『さまよえる猶太人』)


「此所に猫がいるんだ。」(萩原朔太郎『ウォーソン夫人の黒猫』)


「やっぱりあいつは風の又三郎だったな。」(宮澤賢治『風の又三郎』)


「ここに美玉あり。匱におさめて蔵かくさんか。善賈を求めて沽うらんか。」と子貢が言った時、孔子は即座そくざに、「これを沽らん哉。これを沽らん哉。我は賈を待つものなり。」と答えた。(中島敦『弟子』)


「女は死んだよ。君には死ぬ氣があつたのかね。」(太宰治『道化の華』)


「母さん、なんぜ妾なんかになつたんです。」(織田作之助『六白金星』)


「桜の森の下へ行ってみなければならないからだよ」(坂口安吾『桜の森の満開の下』)


「そうはいかないさ。まさか時間を縦に暮らしたりするわけにはいかないだろう? 時間ってやつは、本来横に流れるものと相場がきまっているんだ。」(安部公房『砂の女』)


「つまり、冬が長いというわけだな」(星新一『冬きたりなば』)


「いいえ、ちがいます。あれはぼくの意志を超えて玉ねぎが働いてくれたんです」(遠藤周作『深い河』)


「かえるくんが一人で、東京を地震による壊滅から救ったんだ」(村上春樹『かえるくん、東京を救う』)


「呪われているんだ。未だにね」(宮部みゆき『楽園』)


「そうではなくて、何々用に翻訳するということなのではないでしょうかね。移動中に読むためのドストエフスキー。実業家のためのプーシキン」(円城塔『道化師の蝶』)



確認していて気づいたのですが、芥川龍之介や太宰治などの作品で、もともとはカギ括弧内の最後に句点が打ってある作品なのにもかかわらず、現在流通している文庫本ではカギ括弧内の最後の句点が省略された形に改訂されている場合が多いことに気づきました。

角川文庫や新潮文庫などでは、なぜかそうなっているのです。

出版社が旧字旧仮名から新字新仮名へ改訂したときに、ついでにカギ括弧内の最後の句点も削ったのでしょうか?


句読点をどこに打つかって、作家の個性が出るもので、わりと重要な要素だと思うのですが、いつの間にか句点を削られて出版されているというのは、驚きです。

作家が亡くなっていれば、そのような改訂も許されるのですかね……


2024/07/13 20:56

句読点の謎

しつこく文章ルールの話をつづけます。

「字下げ」、「字上げ」(上げ書き)ときて、句読点の話。


現代の日本語の書き言葉では「句読点」が当たり前のように使われていますが、「段落1字下げ」と同様、「句読点」も明治20年から明治30年頃に定着し始めた新しい文章ルールなのです。


現在では縦書きの場合、句点が「。」(まる)、読点が「、」(てん)ですね。


この「、」と「。」はもともと漢文を読むための符号の一種だったそうです。

明治39年(1906年)に文部省大臣官房調査課草案の「句読法案」が出され、国定教科書の基準として使われました。


戦後、文部省教科書局調査課国語調査室が句読法案をバージョンアップして、「くぎり符号の使ひ方〔句読法〕案」(昭和21年、1946年)を発表しました。

縦書き・横書きあわせて19種類のくぎり符号が示されています。


【縦書き】

。(まる)句点

、(てん)読点

「 」(かぎ)

『 』(ふたえかぎ)

( )(かっこ)

―(ナカセン)

…(テンセン)


【横書き】

.(ピリオド)

,(コンマ)

:(コロン)

;(セミコロン)

《 》(かこみ)


このようなくぎり符号が示されていました。

文部省は昭和24年(1949年)に「公文用語の手びき」改訂版を発表しました。

翌年の昭和25年(1950年)に文部省が発表した「国語の書き表わし方」の付録である「横書きの場合の書き方」では、横書きの場合は「、」(てん)を用いず「,」(コンマ)を用いるという基準が明確に示されています。


ここまで見てきて、横書きの句読点には三パターンがあることがわかってきました。


パターン①「、」(てん)「。」(まる)

パターン②「,」(コンマ)「.」(ピリオド)

パターン③「,」(コンマ)「。」(まる)



70年以上前に示された基準はこうですが、一般の横書き日本語文書ではどのように定着しているのでしょうか?


横書きのウェブ記事では、NHKニュースや大手新聞社、海外メディアの日本語版でも、「、」(てん)「。」(まる)が句読点として用いられています。


わたし自身、横書きも縦書きと同じく、「、」(てん)「。」(まる)を使っている方が読みやすいです。こうして今、しゃべログに書いていても、「、」と「。」を自然と使ってしまいます。



一方、「,」(コンマ)「.」(ピリオド)は理系の文章で多く使われています。


わたしの夫は理系の研究者ですが、その夫が書く文章は基本的に「,」(コンマ)「.」(ピリオド)を使っています。

仕事の文書だけでなく、私信でも「,」(コンマ)「.」(ピリオド)を使っているので、最初は驚いたものです。

PCのキーボードの初期設定で、「,」(コンマ)「.」(ピリオド)となるよう設定しているので、日本語入力でも「,」(コンマ)「.」(ピリオド)と打ち込まれるのだそうですよ。


一度、どうして「、」「。」を使わないのか夫に尋ねたところ、なぜかは分からないが、「,」(コンマ)「.」(ピリオド)を使うことが、その業界に定着している慣習だから、ということでした。



「,」(コンマ)「.」(ピリオド)を使うのは理系だけかと言うとそうではなく、哲学書でも「,」(コンマ)「.」(ピリオド)は使われているんですよね。

『環境倫理学』の教科書では、400頁ぜんぶが「,」(コンマ)「.」(ピリオド)で統一されていました。英文から翻訳された本とは言え、文章中に数式を挟むわけでもないのだから、「、」「。」を使ってもよいと思うのですが……。

出版社の基準は、横書きでは「、」「。」でも「,」「。」でも「,」「.」でもかまわないけれど、それぞれの書籍内で表記を統一しているようですね。



公文書では句読点の表記が省庁によってばらばらなのだそうです。

官報では横書きでも「、」(てん)「。」(まる)が使われています。

文部科学省では、「,」(コンマ)「。」(まる)表記だったのが、近年、「、」(てん)「。」(まる)表記に変わったのです。


令和元年の「文部科学白書」では、「,」(コンマ)「。」(まる)が使われていました。70年ほど前に自分たちが示した基準に従っていたわけですね。


しかし令和4年の「文部科学白書」では、「、」(てん)「。」(まる)が使われています。


この間に何があったかと言うと、文化審議会が「公用文作成の要領」(昭和26年)をバージョンアップし、「公用文作成の考え方(建議)」(令和4年)を発表したのです。

この中で「句読点や括弧の使い方」として、新しい基準を示しています。


句点には「。」(マル)読点には「、」(テン)を用いることを原則とする。横書きでは、読点に「,」(コンマ)を用いてもよい。ただし、一つの文書内でどちらかに統一する。


このように新基準が示されると、「,」(コンマ)「。」(まる)の組み合わせは公文書で使われなくなり、一般社会の文章においてもだんだん消えていくのではないでしょうか。


2024/07/13 14:29

現代では消滅した「字上げ」ルールの話

「字下げ」の話から派生して……

かつては「字上げ」という文章作法がありました。


字上げ(上げ書き)というルールは、「擡頭(台頭)」と呼ばれていて、敬意表現として使われていました。


明治以降、「字下げ」や句読点などの新しい文章作法が一般に定着していったのに対して、明治初期まで公文書で使われてきた「擡頭」「闕字」「平出」などの文章作法は消滅していったのです。


「闕字(欠字)」は高貴な人の名前や役職などの前に1字空けることです。より敬意をはらって「2字空け」するルールもありました。


「平出」は「平頭抄出」の略とされ、高貴な人の名前や役職の前で改行し、他の行の書き出しと同じ位置から書き出すものです。


「擡頭」は「平出」よりもさらに敬意表現を強くしたもので、高貴な人の名前や役職の前で改行し、他の行よりも1字か2字高く書き出すものです。


敬意の度合いとしては、闕字→平出→擡頭の順で敬意度が高くなります。

このような敬意スタイルは、漢字文化圏において使われたルールでした。


「闕字」は大宝律令(701年)で朝廷の公文書として定められたものが一般に定着し、武家文書や村方文書、私信まで広く使われるようになった文章作法だったそうです。



「擡頭」の例をいくつか挙げてみましょう。


「永楽帝勅書」(相国寺所蔵)より

(永楽5年、応永14年、1407年)

室町幕府の三代将軍義満が派遣した遣明使に、明の皇帝が与えた勅書。

「勅」が1字上げ、「天」が2字上げとなっています。



「明神宗贈豊太閤書」(宮内庁書陵部所蔵)より

(万暦23年、文禄4年、1595年)

明の皇帝神宗が豊臣秀吉に宛てた勅諭。

「皇帝」「天命」「成祖」が2字上げとなっていますね。



日本の中世文書では「闕字」か「平出」までが一般的で、「擡頭」ほどの強い敬意表現はそうそう見られなかったそうですが、幕末になると「天朝」や「王政」を「擡頭」にした文書が見られるのだそうです。

西郷隆盛が書いた書状や、藩領よりは「天朝御領」を望む嘆願書(村方文書)など。



しかし、明治になると、公文書で「擡頭平出闕字ノ例ヲ廃ス」と定められました。

「太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第四十一巻・官規十五・文書三」(国立公文書館所蔵)より。



漢字が伝来してから1000年以上使われてきた文章ルールが消滅してしまうって、逆に驚きなんですが……。

一部の例外があるとは言え、階級制度がなくなることの影響って、想像以上に大きいことだったんだなぁ。



現在の書物では「擡頭平出闕字」を見ることはないですが、皇室に関する文書や、神職が神々に奏上する文書においては、いにしえの敬意スタイルが残っている可能性もありますね。


2024/07/13 14:21

「字下げ」ルールの話

大手小説投稿サイトの小説を読んでいて、「いちいち字下げしてあって、すごく読みづらい。横書きは字下げしない方が良い」という趣旨の感想を見かけました。(原文ママではないです)


該当の小説は、「段落1字下げ」ルールを忠実に守っていて、きちんと体裁が整っていると言える作品でした。

ちなみにその小説は商業媒体で電子書籍化されており、その同じ作者さんの別の小説はコミカライズもされています。



「字下げ」は一般的な文章作法ですよね。

「字下げ」ルールを守らない場合、「小説作法に則っていないから読みづらい」と感じる読者の方が多いのではないかと思います。じっさい、小説投稿サイトではそういう指摘をする感想もよく見かけます。

その一方で、「字下げ」ルールを守っているにもかかわらず、逆に「読みづらい」と指摘する読者もいるんだなとびっくりしました。


「段落1字下げ」という文章作法は、明治時代から使われるようになり、徐々に定着していったルールなのだそうです。

日本語の長い歴史からすると、わりかし最近の出来事ですね。

字下げと同様、大昔の書物では句読点も使われていなかったのだとか。



横書きでは「字下げ」しないで書くべきなのか?

これはウェブ媒体か書籍かで、意見が分かれる問題だと思います。


小説投稿サイトはビューワー設定で「横書き」か「縦書き」かを読者が自分で選べる仕様がほとんどなので、ここでは横書きに固定されているウェブ記事を対象とします。


ウェブ記事では「字下げ」しないで掲載されている場合も多いです。

NHKニュースウェブやBBCニュース日本版、ニューズウィーク日本版では、「段落1字下げ」をしないで、段落と段落との間に1行空白を入れています。

この「段落1行空け」はウェブ媒体で浸透しつつある新しい文章作法ですね。


一方、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞のウェブニュース記事では「段落1字下げ」しており、なおかつ「段落1行空け」もしています。



また、書籍では横書きでも「字下げ」されていて、「段落1行空け」はありません。

欧米言語から日本語に翻訳された哲学書は、横書きで出版されていることが多いのですが、これらも手持ちの本を確認してみたら「字下げ」ルールをちゃんと守っていました。


結論としては……

書籍として出版されると、横書きでも「字下げ」ルールが必須となる。

ウェブ媒体では、「字下げ」するしないの統一見解はまだない。

と言えますね。


今のところ大手新聞社は「字下げ」する派ですが、近い将来、ウェブ記事で完全に「字下げ」が消滅するのか、いまはその過渡期なのかは、あと20年後くらいに分かるのかもしれませんね。


2024/07/13 12:08

南ノさん
わあ、「黒井戸殺し」、観てくださったんですね!!

どうもありがとうございます!

お楽しみいただけたようで、良かったです~^^


わたしも野村萬斎さんの演技が昔から好きで、萬斎さんが主演なさった映画『陰陽師』(夢枕獏原作)シリーズも大好きな作品です。

おかげで夢枕獏さんの原作小説や、元ネタである今昔物語集、岡野玲子さんによるコミカライズも読みましたよ。


そうそう、三谷幸喜さんの脚本はさすがですよね!

超有名な原作をあえて翻案するという気概が素晴らしいです。原作を知り尽くしたファンが観るわけで、ぜったいにイギリスのドラマ版と比較されるだろうし……


三谷さんが手掛けた作品では、映画『ラヂオの時間』や大河ドラマ『真田丸』が大好きです^^

大河ドラマは長いので全話観るのがむずかしいのですが、『真田丸』は途中挫折したり、飽きたりせず、全編通して観ることができた作品です!!


放映当時は長野県に旅行して、真田氏ゆかりの上田城に足を運んだり、江戸東京博物館の「真田丸展」に見に行ったりしましたよ。

天正壬午の乱などぜんぜん知らなかったので、ドラマの時代考証を手掛けた黒田基樹さん、平山優さん、丸島和洋さんの著作を読み漁ってですね。

三谷さんのおかげで、一時期すっかり歴女(にわか)になったのでした^^


そして『風と花の賦ーー平安神奇譚』、短期集中連載おつかれさまでした!

また南ノさんのnoteのページにお邪魔しにいきますね!!


2024/07/11 11:57

南ノさん
「霊媒探偵城塚翡翠」のドラマ版、予告編を見てみましたが、たしかに原作のイメージにぴったりの配役ですね!

なるほど、ドラマの構成もよく練られているんですね~^^

わが家が加入しているNetflixでは配信がないのが残念です。


そして「黒井戸殺し」、タイトルから笑っちゃいますよね。

三谷幸喜さんが脚本、ポワロにあたる名探偵・勝呂武尊役は野村萬斎さんが演じています。

この名探偵・勝呂武尊シリーズは「オリエント急行の殺人事件」、「黒井戸殺し」、「死との約束」があります。


一作目の「オリエント急行」(劇中では下関発東京行の特急東洋)は、昭和8年を舞台にしているんですよ。

時代設定が原作通りなので、舞台を日本に移したことによる違和感がなく、原作の時代感が見事に表現されていました。

デビット・スーシェがポワロ役を演じるイギリスのドラマ版でも同作を観たことがありますが、それと比べても、三谷さんが翻案した「オリエント急行」はすばらしい出来だったと思います。

原作をふくらませた、三谷さんオリジナルの「犯人たちの事件簿」も面白かったです。


名探偵ポワロファンの間では、野村萬斎さんのポワロ役は賛否あったようですけど、わたしは萬斎さんの大げさな演技(ほめ言葉)が狂言師らしくて好きなので、大満足でした。


名探偵・勝呂武尊シリーズ、もし機会がありましたら、観てみてくださいね!


2024/07/01 21:45

『medium 霊媒探偵城塚翡翠』
『medium 霊媒探偵城塚翡翠』の漫画版を読みました。

アフタヌーン誌で連載されていて、全3巻で完結。

同名の原作小説は多くの賞を受賞し、実写ドラマ化もされているそうです。


最近、『降り積もれ孤独な死よ』という意味深なタイトルの新作ドラマの予告編をよく見るので興味をひかれ、原作の漫画を読んでみました。

そうしたら、ミステリ漫画が次々レコメンドされるようになり、そのなかに『medium 霊媒探偵城塚翡翠』のタイトルがあってですね。

あ、これ南ノさんが原作小説を読まれたと言っていた作品だ! と思い出し、試し読みして絵柄がきれいだったので、漫画版を読むことにしました。


『medium 霊媒探偵城塚翡翠』を最後まで読んだ感想は……

「うわ、だまされたー! くやしいー!!」(絶叫)

「〇〇と言っておきながら、〇〇ではないってどゆこと!? 詐欺師じゃない?」(オコ)

という感じでした。


そう言えば、ミステリってしばらく読んでいなかったので、こういうものだと忘れていました。

作者の手のひらの上で踊らされると言いますか、まんまとだまされるのを楽しむジャンルでしたね。


読み終えて、これ映像化するの難しかっただろうな、と思いました。

だって小説であれば、作者が読者に隠しておきたいことを語らないでおけますけど、映像は必然的に三人称になってしまうから、隠しておくのが難しいですよね。

犯行の場面を描いたら、役者さんの声でバレそうです。

その点、漫画はデフォルメ文化なので、読者に見せたくない情報を作者の都合で隠しておけます。

名探偵コナンでも、犯行の場面は性別不明の黒シルエットの人ですませていますね。



「霊媒探偵」と同じ手法で真っ先に思い出したのは、アガサ・クリスティーの名探偵ポワロシリーズの『アクロイド殺し』です。

三谷幸喜さんが日本を舞台にポワロを翻案した名探偵・勝呂武尊シリーズの『黒井戸殺し』では、原作の叙述トリックを見事に映像化していて、観ていて完ぺきにだまされてしまい、感動を覚えるほどでした。



「霊媒探偵」とタイトルがよく似ている『心霊探偵 八雲』シリーズがありますよね。

「心霊探偵」のほうは、主人公が死者の魂を見ることができる異能力を持つ、特殊設定ミステリなんですよ。

以前に「心霊探偵」のアニメ版を見たことがあったので、今回の「霊媒探偵」も同一ジャンルなのかと思って読み始めましたが、いや、まったく違っていましたね。

不思議なことは何もない、という意味では、中禅寺秋彦(京極堂)シリーズと同ジャンルと言えるかもしれないと思ったのでした。



2024/06/29 22:38

南ノさん

南ノさん、「功利主義と自由主義」をお読みいただき、どうもありがとうございます!

そうなんです、近代以降の哲学は社会改革運動の説明理論になってきた歴史があり、とても面白いです。


ベンサムとミルは高校の倫理の授業でも習う超有名思想家ですが、その思想が現実の社会にどういう影響を与えたのか、という政治的な側面についてはあまり授業でふれないんですよね。

思想と運動は両輪なので、両方を知ることによって歴史のダイナミックな動きが見えてきて、より面白くなると思うのです。

ただただ試験対策のために「最大多数の最大幸福」とか「満足した豚と不満足なソクラテス」といった用語を暗記するだけではつまらないですよね。



おお、宮澤賢治の読み直しをされたんですね!!

おっしゃる通り、わたしは子供の頃から宮澤賢治が大好きでして、しゃべログの『有機交流電燈』もそうですし、読書ブログの『真空溶媒』というタイトルも、『春と修羅』からとっています。


「永訣の朝」のねがいには、胸打たれますね……

高校生の頃の話ですが、「永訣の朝」を題材にした映像作品(紙芝居アニメ)をチームで制作して、高総文祭の全国大会に出品したんですよ。

なので「永訣の朝」はわたしにとって、青春の思い出深い作品でもあります^^


たしかに「みんな」や「われわれ」というフレーズは、賢治がよく使う言葉のような気がします。

『春と修羅』の序文にも、


「すべてわたくしと明滅し

 みんなが同時に感ずるもの」


「すべてがわたくしの中のみんなであるやうに

 みんなのおのおののなかのすべてですから」


という文言があるので、共感性をとても大事にしていたのかなと思います。

詩人の感性で美しいと思ったものを「みんな」(読者)にも共有したいというようなことなのかなと。

賢治は自分自身のことを「有機交流電燈」と言っているので、「直流」ではなく「交流」というところに、彼なりの意味があるのでしょうね。


思いがけず、大好きな宮澤賢治のお話ができてうれしかったです!

どうもありがとうございます!!


2024/06/17 00:10

成瀬川さん

『成瀬川るるせ短編手帖』第92話、刺激的なテーマを取り上げておられて、とても面白く拝読しました!


成瀬川さんはフーコーをお読みになっているから、フェミニズム理論にも興味を持たれた感じでしょうか?

クィア理論と言うと、ジュディス・バトラーなどが有名ですよね。

アドリエンヌ・リッチの「強制的異性愛」と「レズビアン連続体」という用語も興味深いなぁと思っています。(言い得て妙と言うか、パワーワードですよね)


リッチのような、シスターフッド的な理想を掲げるレズビアン・フェミニストの論者がいる一方で、成瀬川さんが本文中で書いておられるような、「反フェミニスト」に見える当事者たちがいるのは事実ですよね。

SM・ポルノVSコミュニティ論争と言われて、フェミニズムでは昔から議論されてきたテーマですね。

当事者の数だけ考え方の違いがあるので、LGBTQとひとくくりに語るのは無理があるなと思っています。


「オタク的記号だけで拒絶反応を起こすひと」というのは実際おられますが、多くの場合、単に絵柄の好みの問題だったりしますよね。

カバネル の「ヴィーナスの誕生」やマネの「オランピア」は芸術に分類されますが、あれらがOKで、現代日本のポルノイラストがなぜダメなのかを理論的に説明するのは、困難を極めると思います。


ポルノアニメを規制すべきかどうかというテーマは、わたしも以前考えたことがありますよ。

生身の人間が演じるポルノと違い、現実に加害者も被害者もいないポルノアニメの場合は、フェミニズム(被写体の人権)の問題ではなく、自由の問題(観る自由、愚行権)なのかなとわたしは思っています。

アメリカでは、コムストック法というポルノ雑誌規制法があった時代がありました。当時は産婦人科の医学書も「猥雑物」とみなされ、規制されて違反すると処罰される対象でした。

コムストック法の背景には、「性的不品行や不道徳を排して、健康で道徳的な国民を育てるべき」といった、国家的パターナリズムがあると言えますね。

同様に、売春や同性愛を法律で規制すべきかどうかを議論した、イギリスの哲学者ハートと裁判官デヴリンの論争も有名ですね。

都の有害図書条例も意図するところは同じなので、モラル(私的な道徳/不道徳)の問題にどこまで国家が干渉するのかは、パターナリズムと自由のせめぎあいだなと思います。


2024/06/05 00:26

南ノさんへ②

南ノさんが「一番好き」とおっしゃられた「雨のなかの猫」、読み直してみます!


以前に"In Our Time"を読んだのは、授業の一環でして、ただ先生が語る解釈を鵜呑みにしていただけだったような気がするので、「自分で読んだ」とは言えないんじゃないかと思えてきました。英文を目で追っていただけだったのかも……


ちなみに先生は「ダンテの神曲のパロディで、聖なる愛から性愛への格下げ」うんぬんと語っていましたね(遠い目)

南ノさんとこうしてヘミングウェイについてお話して、ひさしぶりに思い返し、本当にそのような解釈が正しかったのか、あやしく思えてきました。


あれからだいぶ年数が経ち、わたし自身も読書経験値を積んできているので、いま読めば、フラットな目で作品と向き合えるのではないかと思っています。


「白い象のような山並み」も未読なので、ぜひ読んでみたいです!


丁寧に教えていただき、どうもありがとうございます^^


2024/05/01 22:35

南ノさん

南ノさん、お読みいただき、どうもありがとうございます!!


わあ、「ボスコ・マグ」、気に入っていただけてうれしいです^^

わたしもこのクマのキャラクターがお気に入りで、ほかにもグッズを集めているんですよ。

そうそう、醸造所の話はつい最近の夫の実体験です。1日で150本ほどびん詰めしたそうですよ。

そのうちの数本が、わが家の冷蔵庫に大事にとってあります。



フォークナーは難しいので、『八月の光』を挫折されたというのがよくわかります。

わたしが最初にフォークナーを読んだのが、読書会の課題本としてだったので、そういう目標がなかったら、わたしも最後まで読みきれなかったと思います。


アメリカ文学の研究者だった義父(夫の父)も生前に、「フォークナーは難しい。だからフォークナーを研究していると言うと、仲間うちで一目おかれる」と言っておりました。


義父との初めての顔合わせのときに、フォークナーの話題で盛り上がり、打ち解けてお話することができたので、フォークナーを読んでいて良かったなとそのときしみじみ思いました。



そう、村上春樹の「納屋を焼く」が、フォークナーの"Barn Burning"にタイトルが似ているんですよね。(でも作者本人は下敷きにしていないと言っているのだとか)

考えてみると、村上春樹の小説を今まで読んだなかで、フォークナーの影響を感じる部分って、あまりなかった気がします。あまりフォークナーみを感じないと言いますか……。


フォークナーの文体って、とにかく、くどいんですよね。(ほめ言葉)

ひと息が途方もなく長くて、なかなかピリオドを打たない。

被修飾語ひとつに対して、カンマやセミコロンで修飾文をどんどんつなげていき、長大な文章を構築しています。

具体的な事物に対して、神話的で抽象度が高い意味づけ(比喩)を何層にも重ねて語っていく感じです。

それと比べて、村上春樹の文章ってすごく読みやすいですよね。比喩もそれほど抽象的ではないですし。


フォークナーが「乾いた印象」というのは、たしかになるほどと思いました。

読者にとっては、目を背けたくなる苦々しい事実を、ありのままに、淡々と描いているところが、突き放したような、ドライな印象を与えるのでしょうか。救いのない、苦い後味の物語も多いんですよね。


ヘミングウェイの方がむしろ「女性的」な印象というのは、目からうろこでした。

ヘミングウェイは"In Our Time"しか読んだことがなかったです。この作品は、性的な匂わせ表現が男性的な印象(男同士だけで通じ合うような、わざと下世話な言い方をしているような感じ)を受けましたが……

南ノさんのお言葉を聞いて、敬遠せず、ヘミングウェイのほかの作品も手にとってみようと思いました。

ご紹介、どうもありがとうございます!


2024/04/29 22:24

南ノさん
南ノさん、お忙しいなかでわざわざお読みくださり、コメントまで寄せていただき、本当にどうもありがとうございます!

今回はあらすじ含め5話構成と長くなってしまい、自分でもまとめていて長いなと思いつつも、難しい題材なので説明や引用をあまり削ることができず……

こうして読んでいただけて、感謝の気持ちでいっぱいです!!


そうなんです、『テロル』は読書会メンバーの感想が見事に分かれた作品でした。

「面白くない」とか「失敗作だと思う」とか、辛口コメントもけっこう出されましたね。

そうは言っても、皆さん、しっかり最後まで読み通してきているので、すごいなといつも思っています。


多くの人は面白くなければ、途中で読むのをやめると思うんですよね。

読書会の皆さんの場合、課題本だからということもあると思いますが、「面白くない」と思っても途中でやめずに、最後まで読んだ上で、どこが問題点だったのか考えるところがさすがだなと思っています。


かく言うわたしも、本書の結末は納得がいかないと思いました。

プロローグとエピローグがつながっている構成から考えるに、作者は最初からこの結末にしようと思って書き始めたのでしょうが……。

おかげで読書会の最後のほうでは、もし主人公が死ななかったらのIFトークで盛り上がってしまいました。



メロドラマやミステリといったエンタメ要素は、物語を進める原動力、読者にページをめくらせる力になるので、小説にとってなくてはならないものだと思います。

そのエンタメ要素と、作品を通して作者が伝えたいテーマ(本書で言えば、パレスチナの抵抗運動の立場に立った台詞)のバランスをとるのは難しいものですよね。


ノーベル文学賞作家のオルハン・パムクの『雪』も、あえてジャンル分けすれば恋愛小説の棚に入れてもよい物語だと思いますが、作中で語られている歴史観(トルコの近現代史)や宗教観(スカーフ論争)、人種差別の問題などが奥深いんですよね。

ストーリー(ミステリとメロドラマ)を追いたいだけだったら、こういう説明的台詞はぜんぶ無駄話に思えてしまうので、読み飛ばす読者も多いのではないでしょうか。

作者が本来書きたいのは、その説明的台詞の方なんでしょうけども……。


パレスチナ出身のガッサーン・カナファーニーの『ハイファに戻って』も、無理やり小説にしている感があってですね。

作者が伝えたいことが前面に出すぎていて、途中の台詞が、論文を読んでいるような感じを受けました。そこは全部台詞で言うのではなく、登場人物の行動(ストーリー)で表現してほしいなと思ったのでした。

とは言え、そう不満に思っているのはわたしだけかもしれないです。『ハイファに戻って』は現代パレスチナ文学で最も有名な作品と言われていますし、映画にもテレビドラマにもなっていますので。


今回の『テロル』の話に戻しますと、結末に不満が残りましたが、たくさんのことを学ばせてくれた作品で、読んでよかったです^^


2024/04/08 21:10

南ノさん

南ノさんがご無事でなによりです。

報道を見て、建物の倒壊や土砂崩れなどおどろきました。

被害にあわれたかたがたに心よりお見舞い申し上げます。

余震があるので、不安ですよね。

救助活動、災害復旧がどうか早く進みますように。


お忙しいと思うので、お返事はお気遣いなくお願いします。


2024/04/03 20:41

佐久田さん
佐久田さん、『ふきのとう日誌』完結おめでとうございます!

毎回、楽しみに読んでいました^^


第94話~第95話で取り上げておられた『見えない未来を変える「いま」』、とても興味をひかれたので、いま実際に読んでいるところです。

面白い本のご紹介をどうもありがとうございます!


奴隷制についての話題で、佐久田さんも引用されていた「道徳心に満ちた異端者」が社会を変える原動力となるという考察は、なるほどと思いました。

プラトンやアリストテレスやカントのような道徳的に優れた人物が、奴隷制に賛成の立場であったというのも、社会秩序の維持を善と考えるのならば、ごく自然なことなのですよね。

ベンジャミン・レイの方が社会秩序を乱す行動をしているので、教会から追放されてしまっています。


それにしても、初期の奴隷解放論者や初期のフェミニストたちのほとんどは、自分が人生をささげた運動の成果を見ないまま死んでいて、彼ら・彼女らの活動が実を結ぶのはずっと未来になってからなので、そんな先を見すえて活動をし続けたというのはすごいことだなとあらためて思いました。


現代でも、児童労働含め奴隷的労働自体はなくならないです(過労死するような働き方は奴隷的労働ですよね)が、少なくとも、奴隷的労働は悪であるという認識が社会の常識となった、道徳がアップデートされたというのは、人類は進歩しているのだなと感じますね。



つづく、生物兵器についての話題も興味深かったです。

生物兵器の脅威をアピールすることは、規制強化したいという意図に反して、むしろ悪意ある人々の欲望を刺激する結果となるという考察が驚きでした。

第一次世界大戦後に生物・化学兵器を規制する国際条約が作成されたことで、「生物・化学兵器は国連が認めるほど危険=戦略的に有効」と日本軍の上層部に印象付ける結果となり、むしろ生物兵器の研究が推し進められたというエピソードには、もうため息しか出ません。


社会の回復力(レジリエンス、立ち直る力)についての話題は、自然災害からの復興という意味でも身近なテーマで、未来に希望が持てるものでした。

広島、長崎の原爆被害からの回復力というのは、言われてみるとたしかに驚異的なスピード回復だなと思いました。


時事的な話題をいろいろ取り上げている本で、話し出すと止まらないですね。

引きつづき、読み進めたいと思います。

佐久田さんのほかの章のご感想も聞かせてくださいね!


『ふきのとう日誌』は完結ということですが、佐久田さんは、日常の何気ない話題を面白く読ませる天性の筆力があると常々思っています^^

また佐久田さんの日常もの、エッセイを楽しみにしています!


2024/03/11 21:29

桐乃さん

桐乃さん、お忙しいなかで『ドリームキャッチャー』を読んでくださり、どうもありがとうございます!


おお、桐乃さんも夢を覚えている方なんですね。

わたしもカラー映像の夢で、逆にモノクロの夢は見たことがないですね。

わたしの場合、音(効果音や音楽)がついている夢もあって、文字通り映画を見ているようだなと思っています。

後から思い返すとストーリーにつじつまが合わないところがあるので、そこが本物の映画と違うところですね。


夢の中で流れる音楽って、記憶の中の音楽から再構成しているのでしょうか。脳って不思議ですねえ。

また夢の話を『ドリームキャッチャー』として、書きたいと思います。


桐乃さんが良い夢をみられますように^^


2024/02/21 21:31

南ノさん

南ノさん、『林檎が丘読書クラブ』と『ぎゃらりい熊四手』をお読みいただき、どうもありがとうございます!


『真夜中の子供たち』は、噛めば噛むほど味が出るスルメのような作品だと思います。

あれはどんな意味? これはどんな意味? と考え出せばきりがなくて、その上、解釈は読者にゆだねる系小説ではなく、作者があらかじめ答えを本文に書き込んでくれているので、本当に緻密に練られた物語だなと驚嘆です。


読書会のメンバーは、皆さんそれぞれ人生経験があって、好みのジャンルや得意とする分野が違うので、わたしもいつも教えてもらっています。


10年ほど前の読書会で『百年の孤独』を取り上げたのですが、そのときは今回の『真夜中の子供たち』ほど、トークが盛り上がらなかったのです。

最後まで読み通したけど、文字を目で追っただけと言いますか……

わたしも含めて、読書会のメンバーみんな、回を重ねる毎に読書力(文章の内容や構成を理解する力)が磨かれてきているので、いま『百年の孤独』を読めば、もっともっと深い分かち合いができるのではと思ったりしています。



『ぎゃらりい熊四手』でご紹介しているダニーは、わたしが好きで集めたものです。一部、夫が購入したものもあるので、この先登場するかもしれません^^

3インチのダニーだけでなく、大きいサイズのダニーや、香港のToy2R社のQeeシリーズもそのうちご紹介できたらと思っています。


予期せぬトラブルにより、無駄に引っ越しとリフォームを繰り返すことになって、新居の内装を整えるのが遅れていたのですが、昨年の12月後半にようやくUSMハラーの飾り棚を設置することができました。

そこだけ見ると、ちょっとしたお店のようなんです!

それで、今まで仕舞っていた箱から取り出して、少しずつ飾り始めているところです。

そうそう、ブッコローのぬいぐるみも飾っていますよ~^^


わたしの趣味全開の記事におつきあいいただき、どうもありがとうございます!!


2024/02/19 22:44

南ノさん

南ノさん、昨夜お送りしたお手紙に誤字がありましたので、先ほど訂正しました。急いで送ろうと思ってうっかりしておりました……

誤 エブリイマジック

正 エブリデイマジック


everyday magicというのは、主に児童文学で使われる用語です。

『魔女の宅急便』のような、現実の日常生活に魔法や超自然的存在が出てくる物語を指しています。


magic realismまたはmagical realismと言えば、たしかにガルシア・マルケスなどのラテンアメリカ文学が代表的ですよね。

英語文学では、『真夜中の子供たち』のサルマン・ラシュディがマジックリアリズムの作家だそうです。

日本文学では「村上春樹がこのジャンルの最も重要な作家の一人」と英語wikiにも書いてありました。

中国語文学では莫言だそうで、他に著名な作家ではポーランドのオルガ・トカルチュク、チェコ出身のミラン・クンデラなどが挙げられます。


現実的な要素と魔法的な要素の融合がマジックリアリズムですが、異世界ファンタジーと大きく違う点は、作者が主題とする内容はあくまでも現実だということです。

現実について何かしら伝えるために魔法の要素を使用していると言えるのだそうです。


南ノさん、学生時代に村上春樹をよく読んでいらしたのですね! 講評のお三方、じつは見抜いていたんですかね!? すごい!!

創作秘話を教えてくださり、どうもありがとうございます!!


村上春樹の作品には、夢や無意識、精神分析などのモチーフが使われているので、シュルレアリスム寄りのマジックリアリズムと言えるのではないかと、勝手ながら思っています^^


2024/02/14 23:18

こんばんは、mikaさん。

僕はmikaさんのチャットノベル好きです。丁寧な作り込みがホームメイドパイのような味わいを感じます。

『林檎が丘読書クラブ』はやっぱりチャットノベルだから読みやすいのがポイントで。

僕、ドストエフスキーをポリフォニーで考えた場合、一番強く特徴が出ているのは『未成年』で、その次に『白痴』だと思うのです。特に『未成年』なんて、あらすじ覚えているひと少ないと思うのですよね。なのに、あの独特の会話文は翻訳を僕が読んでも、バフチンが言いたかったのはこれだ、ってのがダイレクトに伝わる。それは伝わるけど、読み物として難しい。そこがチャットノベルだと親切に伝わるな、と。

ポリフォニーの説明はmikaさんが前にここに書いていた通りだと僕も思います。偶然そうなってしまったのはもう、作品は作者を超えることが往々にあるので。面白いなぁ、とこれからも期待しています!!

2024/01/31 19:25

成瀬川さん
成瀬川さん、『早退届』の「第438話 チャットノベルをつくるときには。」で、『林檎が丘読書クラブ』を取り上げてくださり、どうもありがとうございます!!

とてもびっくりしましたよ。


「チャットノベルの〈可能性〉を見ている」とのお言葉を寄せてくださり、うれしい気持ちでいっぱいです!!


『林檎が丘読書クラブ』は、次の「真夜中の子供たち」篇を制作中ですので、引きつづきお楽しみいただけましたら、さいわいです。


近々、山形の講座へ行かれる予定なんですよね。

成瀬川さんにとって実りの多い時間となりますように^^


2024/01/25 21:51

プロフィール

ロシア文学が大好きです。 2012年2月からロシア語を勉強しています。

NOVEL DAYSで活動中です。
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