日々ログ

現代では消滅した「字上げ」ルールの話

「字下げ」の話から派生して……

かつては「字上げ」という文章作法がありました。


字上げ(上げ書き)というルールは、「擡頭(台頭)」と呼ばれていて、敬意表現として使われていました。


明治以降、「字下げ」や句読点などの新しい文章作法が一般に定着していったのに対して、明治初期まで公文書で使われてきた「擡頭」「闕字」「平出」などの文章作法は消滅していったのです。


「闕字(欠字)」は高貴な人の名前や役職などの前に1字空けることです。より敬意をはらって「2字空け」するルールもありました。


「平出」は「平頭抄出」の略とされ、高貴な人の名前や役職の前で改行し、他の行の書き出しと同じ位置から書き出すものです。


「擡頭」は「平出」よりもさらに敬意表現を強くしたもので、高貴な人の名前や役職の前で改行し、他の行よりも1字か2字高く書き出すものです。


敬意の度合いとしては、闕字→平出→擡頭の順で敬意度が高くなります。

このような敬意スタイルは、漢字文化圏において使われたルールでした。


「闕字」は大宝律令(701年)で朝廷の公文書として定められたものが一般に定着し、武家文書や村方文書、私信まで広く使われるようになった文章作法だったそうです。



「擡頭」の例をいくつか挙げてみましょう。


「永楽帝勅書」(相国寺所蔵)より

(永楽5年、応永14年、1407年)

室町幕府の三代将軍義満が派遣した遣明使に、明の皇帝が与えた勅書。

「勅」が1字上げ、「天」が2字上げとなっています。



「明神宗贈豊太閤書」(宮内庁書陵部所蔵)より

(万暦23年、文禄4年、1595年)

明の皇帝神宗が豊臣秀吉に宛てた勅諭。

「皇帝」「天命」「成祖」が2字上げとなっていますね。



日本の中世文書では「闕字」か「平出」までが一般的で、「擡頭」ほどの強い敬意表現はそうそう見られなかったそうですが、幕末になると「天朝」や「王政」を「擡頭」にした文書が見られるのだそうです。

西郷隆盛が書いた書状や、藩領よりは「天朝御領」を望む嘆願書(村方文書)など。



しかし、明治になると、公文書で「擡頭平出闕字ノ例ヲ廃ス」と定められました。

「太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第四十一巻・官規十五・文書三」(国立公文書館所蔵)より。



漢字が伝来してから1000年以上使われてきた文章ルールが消滅してしまうって、逆に驚きなんですが……。

一部の例外があるとは言え、階級制度がなくなることの影響って、想像以上に大きいことだったんだなぁ。



現在の書物では「擡頭平出闕字」を見ることはないですが、皇室に関する文書や、神職が神々に奏上する文書においては、いにしえの敬意スタイルが残っている可能性もありますね。


2024/07/13 14:21

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