日々ログ

成瀬川さん

成瀬川さん、『眠れないのは誰のせい』全話拝読しました!

短期集中連載、おつかれさまでした!

わたしがお送りしたお手紙への「変則的な返信」でもあるとのこと、どうもありがとうございます!!


成瀬川さんと女性たちとの関係については、それぞれ個別の事情がおありで、わたしが口を差し挟む問題ではないので、それについて感想を書くのは控えたいと思います。


第3話で取り上げておられたとおり、フーコーが同性愛者であったというのは、今ではよく知られた話ですよね。

フランスの歴史小説家ローラン・ビネが書いた『言語の七番目の機能』のなかで、フーコーのそういう伝記的エピソードが描かれています。

かなり露骨な性的描写があるので、これ書いてゆるされるんだ!? と逆に驚いたほどです。

フランス国内では、同性愛はもう隠しておくべき事実(タブー)ではないのでしょうね。

ヴェルレーヌとランボーが恋人関係にあったというのも、有名な話ですからね。

余談ですが、ローラン・ビネの『HHhH プラハ、1942年』は良い歴史小説なので、おすすめです。



第15話でフーコーの「生の政治」を取り上げておられましたね。

近代以前の権力は「目に見える権力」で、人々は権力から逃れようと努力してきました。

一方、近代の権力は「目に見えない権力」で、権力がわたしたちの間に内在化(内面化)していく、という考え方ですね。

この社会構造を、親が子供をしつけることに喩えて、「権力のディシプリン化(規律化)」とか「権力の身体化」と呼びますね。


それによって、「正常さ」への志向が生まれ、何が「正常」でないと見なされるのか、という「異常」への関心が生まれ、結果として同性愛者など「異常」と見なされた対象を非難し、排除する社会になっていく。

同性愛者は古代から存在していたのに、近代になって同性愛嫌悪が強化されたのはなぜなのか、ということをフーコーの理論によって説明できるわけですね。

自分たちを縛るものを自分たちで率先して作っている、という社会構造は皮肉なものです。


コロナ禍でフーコーの著作が再び注目されている、というのは知りませんでした。

成瀬川さんのおかげで、久しぶりにフーコーの「生の政治」についてじっくり考えることができて、良かったです。



「〈倫理レベルにまで及ぶ(内在化された)支配〉に〈抗う〉こと」が、今回のエッセイの意図であるという言葉に、なるほど得心がいきました。


成瀬川さんの高校時代から23歳までの実体験に基づくエピソードの途中に抽象的な政治哲学の話が挟まれているのは、エッセイのなかで浮いているというか、かみ合っていないように思う読者もいるのではないか、と思います。


人生において、嫌なことや、もやもやする出来事、道理を説かれても納得できないことというのはたくさんありますが、それを言葉にして説明するのは難しいものです。


そのもやもやを筋道立てて説明してくれる道具が、哲学や思想です。

人によって手に合う道具はさまざま、マルクス主義だったり、フェミニズム理論や精神分析学だったりしますね。


前回のお手紙でも少しふれたアドリエンヌ・リッチは、少女時代に受けた性的虐待を題材とする詩を書いています。その苦しい実体験が背景にあってこそ、「強制的異性愛」(異性愛こそ文化的強制)という発想が出てくるのだし、彼女の理論に説得力があるわけです。


成瀬川さんにとってはフーコーが、これまでの実体験を説明する理論であり、その苦しさ乗り越える武器のひとつであるのだな、と伝わってきました。


「僕は抗う!」という力強い宣言が、成瀬川さんの人生をあらわしていると思います。

勝ち目のない相手であっても、押しつぶされるような状況であっても、「抵抗」するという意志を持ち続けることが、成瀬川さんの執筆の原動力になっているのだと伝わってきました。


エッセイの最終話までお読みして、まだまだ語り足りないこと、いまは語るタイミングではないから語らないでいることがたくさんおありなのでは、と感じました。

薬の副作用について書いておられましたが、これからも書き続けるためにも、お体ご自愛くださいね。

引き続き応援しております!!


2024/07/14 21:58

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ロシア文学が大好きです。 2012年2月からロシア語を勉強しています。

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