LGBT
IWAKANという雑誌が話題になっていた。
性についての常識を違和感として捉えて、なぜ、見かけの性の性らしさに忠実であらねばならないのか。性別を取っ払って、一個の人間として見てみようよ。と、言うコンセプトの雑誌。
表紙に、化粧をしている男の子やポルノ雑誌を見てる女の子が載ってた。
男の子が化粧しちゃダメな理由は? 女の子がポルノ雑誌を見てたらおかしいの? っていう問いかけのようなのだが。
昔から、化粧する男の子は、少数ながらいたし、それはそれでいいんじゃないかと思うんだが、ポルノ雑誌を、大っぴらに見るのは、人間としてどうかと思うんだよ。性差の問題じゃないと思う。
私にはそっちのほうが違和感満載。
個人的な意見なんだけど、一糸纏わぬすっぽんぽんって、むき身の神経をむき出しにしてるようなものなんだと、私は思う。ちょっと遠慮しながらも好奇心の塊を誰もが持っているものなんだけど、その分、繊細さをもって扱うものなんだとも思う。その行き着く先が命の継承なんじゃないだろうか。
好奇心だけで扱っていい分野じゃないんじゃないかな。
だから、やさしく、そっと扱ってほしいのですよ。ポルノ系の話題はね。誰もが興味と好奇心でできてるんだから。
それにしても、LGBTを否定するわけではないんだが、基本的に、一個人として、一個人を心から好きになることに、なぜ、偏見が生まれるのかがわからない。男であれ女であれ、相手が同性であれ異性であれ、人を好きになるってこと、自分が自分であることに、だれか、他人の理解が必要?
自分が、そんなひどい偏見に晒されたことがないからそう思うのかも。そりゃあ、自分の家族にぐらい、自分を丸々認めてほしいって気持ちがあるんだろうけど。
けど、それを振りかざして、家族っていう関係を免罪符にして、土足で自分の内側を踏み荒らして許されるっていうのも、どうかと思うんだけどな。
うーん。
本当に、幸せとか人を好きになる気持ちとか、なかなか難しい永遠の命題だ。
P.S. いや、ワタクシは、春画の展覧会に行きたい人ではあるが。