評価が嫌いな理由
ここでいうなら、☆の数。
良いねだったり、pvであったり、独自のポイントシステムであったりする、SNSによって違うものだけど、とにかく、良かったよ。あるいは、ちょっと、これはどうなの。っていう、読者からの匿名の意思表示のシステム。
私は、それが嫌いだ。
なんだったら、感動の感想もいらない。誰かが着て読んだ。それだけあればそれでいい。
以前、お世話になってた、のんびりしていた小説SNSにも、五段階評価の評価システムがあった。お互いに感想を書きあって、その感想が、トップページにのる。トップページのった感想はそれだけで目に付く。
遠慮のない感想が、次々に上がってくる。
ディスプレイ越しに見る文字列は、その向こう側にいるはずの人間の感情を映さない温度のないものだけど、それが負の感情をのせると、簡単に心に傷を残す刃になる。心の傷は、治らない。
それを知らない馬鹿どもが、人が書いたものに、ケチをつける。
感想でも評価でもない。ただ、ケチをつける。それを諫める書き込みが、掲示板にされると、それにもかみつく。小学生が高校生に向かって、「あなたのそれは小説ではない」と書く。自分の書いたものに、感想が付くと「あなたにいわれたくない」。
どうしろと?
σ(゚∀゚ )オレ、マンセー!
σ(゚∀゚ )オレの書いたもの、サイコー!
そんな感想しか受け付けない。つまり、そういうこと。
ある時、感想が付いた。要領を得ない感想だったけど、「私のも見てね!」だけは理解できた。お礼もかねて、読みに行ったら、中学生でも、もっとましな文章を書くだろうというものが置いてあった。
今日はお天気でした。そんな近況報告にもコメントが付いた。
どう返信していいかわからない。
どうでもいい冗談にも、反応があった。冗談を解説するのも疲れる。そういう意味じゃないんだけど、それを説明するべきかどうか迷う。
自分の書いたものが評価されるのは緊張する。決して、五つ星パンパカパーン! なものを書いたつもりはないが、☆一つでもないと、自分では思う。
☆評価にも、いろいろある。
☆三つが普通。☆二つでもうちょっといけんじゃね? ☆一つは努力しよう。
と、☆三つを基準にしていい、悪いが前後に来るパターン。
☆いいね! ☆☆なんか、伝わってきた ☆☆☆感動した! ☆☆☆☆ちょ!面白いよ。☆☆☆☆☆商業ベースで行けんじゃね!?
と、いい順番に星が増えていくパターン。この場合、☆一つ付いたら、普通に面白かった評価になる。
吉凶評価で行くと
☆凶 ☆☆小吉 ☆☆☆中吉 ☆☆☆☆大吉 ☆☆☆☆☆吉
余談だけど、吉凶は、本来ならば、吉が一番良くて、凶が一番よくない。
一番良い吉に向かって、ちょっと良い→小吉。なかなか良い→中吉。結構よい→大吉。最高!→吉。と、なるらしい。へー。
今、おみくじ基準で、吉が標準。それより、ちょっと良いが小吉。吉が最高に良いのが大吉になってますよね。けど、大吉引いても、良いこと書いてないことがあって、なるほどー、と思う。
そんなことはどうでもよくて。
評価は良いことばかりじゃない。そして、その悪い評価は、自分でも、なんとなく理解していることが多い。それを、ズバリ指摘してくれるならいいけど、抉るような書き方をしてくれる人もいる。
言葉にはしないで、ブーイングしてくれる人もいる。その場合は何が悪かったのかわからない。自分が、メンタル豆腐なので、滅多につかないはずのブーイングがついてると、それだけで、気持ちが萎れる。自分の書いたものでなくても。それを押させた自分に、非があったんじゃないかと、考える。
そうやって、疲弊したころに、その小説SNSは閉鎖された。
子供のお遊びみたいなところだったから、画像は著作権無視の違法だらけだったし、運営も面倒になったんだろうな、とは、思う。
いい評価ばかりが欲しいわけじゃなく、正直な評価が欲しんだけど、否定的な意見を言葉を選ばずもらうと、勝手に落ち込む。
それは、自分にもらったものだけじゃなく、人がもらった感想を読んでも、そこまで言うことかなぁ、と、勝手に傷つく。
例外は、お互いにやりあってるとき。そんな時は、対岸の火事よろしく、面白く拝見させてもらってます。程度を超えた時は、見なきゃいい話だしね。
そんなわけで、評価は、あまり必要とはしてません。
ただ、読んでくれた人が面白がってもらえるのが、私の、唯一の目標であり、書く理由となっております。
悪しからず、ご了承くださいませませよ。