南ノさん
南ノさん、お忙しいなかでわざわざお読みくださり、コメントまで寄せていただき、本当にどうもありがとうございます!

今回はあらすじ含め5話構成と長くなってしまい、自分でもまとめていて長いなと思いつつも、難しい題材なので説明や引用をあまり削ることができず……

こうして読んでいただけて、感謝の気持ちでいっぱいです!!


そうなんです、『テロル』は読書会メンバーの感想が見事に分かれた作品でした。

「面白くない」とか「失敗作だと思う」とか、辛口コメントもけっこう出されましたね。

そうは言っても、皆さん、しっかり最後まで読み通してきているので、すごいなといつも思っています。


多くの人は面白くなければ、途中で読むのをやめると思うんですよね。

読書会の皆さんの場合、課題本だからということもあると思いますが、「面白くない」と思っても途中でやめずに、最後まで読んだ上で、どこが問題点だったのか考えるところがさすがだなと思っています。


かく言うわたしも、本書の結末は納得がいかないと思いました。

プロローグとエピローグがつながっている構成から考えるに、作者は最初からこの結末にしようと思って書き始めたのでしょうが……。

おかげで読書会の最後のほうでは、もし主人公が死ななかったらのIFトークで盛り上がってしまいました。



メロドラマやミステリといったエンタメ要素は、物語を進める原動力、読者にページをめくらせる力になるので、小説にとってなくてはならないものだと思います。

そのエンタメ要素と、作品を通して作者が伝えたいテーマ(本書で言えば、パレスチナの抵抗運動の立場に立った台詞)のバランスをとるのは難しいものですよね。


ノーベル文学賞作家のオルハン・パムクの『雪』も、あえてジャンル分けすれば恋愛小説の棚に入れてもよい物語だと思いますが、作中で語られている歴史観(トルコの近現代史)や宗教観(スカーフ論争)、人種差別の問題などが奥深いんですよね。

ストーリー(ミステリとメロドラマ)を追いたいだけだったら、こういう説明的台詞はぜんぶ無駄話に思えてしまうので、読み飛ばす読者も多いのではないでしょうか。

作者が本来書きたいのは、その説明的台詞の方なんでしょうけども……。


パレスチナ出身のガッサーン・カナファーニーの『ハイファに戻って』も、無理やり小説にしている感があってですね。

作者が伝えたいことが前面に出すぎていて、途中の台詞が、論文を読んでいるような感じを受けました。そこは全部台詞で言うのではなく、登場人物の行動(ストーリー)で表現してほしいなと思ったのでした。

とは言え、そう不満に思っているのはわたしだけかもしれないです。『ハイファに戻って』は現代パレスチナ文学で最も有名な作品と言われていますし、映画にもテレビドラマにもなっていますので。


今回の『テロル』の話に戻しますと、結末に不満が残りましたが、たくさんのことを学ばせてくれた作品で、読んでよかったです^^


2024/04/08 21:10

『ブックガイド』に1冊追加

『【ブックガイド】人生は、断片的なものでできている』に、ウィリアム・フォークナー『エミリーへの薔薇』を追加しました。

「ノーベル文学賞を読んでみよう」と題した章の2話目、ヘッセとカミュの間に挿話しています。

(受賞年順に並べています)

お時間のございます時にお読みいただけましたら、さいわいです。


『フォークナー全集8 これら十三篇』(冨山房)から引用していますが、『エミリーに薔薇を』(中公文庫)のほうが手に入りやすいと思います。電子書籍版もあります。


『エミリーへの薔薇』はミステリ仕立ての物語なので、ネタバレせずに3000字以内(注釈除く)でご紹介しています。

いちばん面白いところは結末なのですが、そこを言わずに、作品の面白さを伝えるってむずかしいですね。なんとかお伝えできていれば良いのですが……。


『これら十三篇』に収録されている短篇「あの夕陽」も名作として名高いです。

(アメリカ国内での文学的評価は、「あの夕陽」の方が圧倒的に高いです)

「エミリーへの薔薇」と「あの夕陽」、両方紹介したかったのですが、そうすると字数がすごいことになってしまうので、悩んだすえ、今回は「エミリーへの薔薇」にしました。

「あの夕陽」はキリスト教信仰が背景にある物語なので、多くの日本の読者は、アメリカの読者が感じたほどの感動を味わえないのでは? と思ったり……

聖書抜きでの説明はむずかしいですが、名作であることはまちがいないので、「あの夕陽」についてもあらためてどこかで書きたいなと思っています。



フォークナーとマーガレット・ミッチェルが同じ時期に生きた作家というのは、意外と知らないかたも多いのではないでしょうか。

しかし、アメリカ文学史の教科書"An Outline of American Literature"(アメリカ文学外観)では、フォークナーの章はあるのに、マーガレット・ミッチェルの章はないのです。

(ちなみに同世代の作家でフィッツジェラルド、ヘミングウェイ、スタインベックの章はある。後の世代の作家だと、サリンジャー、ソール・ベロー、アイザック・バシェヴィス・シンガー、ピンチョン、トニ・モリスンなど)


やはりアメリカ文学史においても、純文学的な作品と娯楽作品(エンタメ)は峻別されているということなのでしょうか……?


2024/04/22 21:35

南ノさん

南ノさん、お読みいただき、どうもありがとうございます!!


わあ、「ボスコ・マグ」、気に入っていただけてうれしいです^^

わたしもこのクマのキャラクターがお気に入りで、ほかにもグッズを集めているんですよ。

そうそう、醸造所の話はつい最近の夫の実体験です。1日で150本ほどびん詰めしたそうですよ。

そのうちの数本が、わが家の冷蔵庫に大事にとってあります。



フォークナーは難しいので、『八月の光』を挫折されたというのがよくわかります。

わたしが最初にフォークナーを読んだのが、読書会の課題本としてだったので、そういう目標がなかったら、わたしも最後まで読みきれなかったと思います。


アメリカ文学の研究者だった義父(夫の父)も生前に、「フォークナーは難しい。だからフォークナーを研究していると言うと、仲間うちで一目おかれる」と言っておりました。


義父との初めての顔合わせのときに、フォークナーの話題で盛り上がり、打ち解けてお話することができたので、フォークナーを読んでいて良かったなとそのときしみじみ思いました。



そう、村上春樹の「納屋を焼く」が、フォークナーの"Barn Burning"にタイトルが似ているんですよね。(でも作者本人は下敷きにしていないと言っているのだとか)

考えてみると、村上春樹の小説を今まで読んだなかで、フォークナーの影響を感じる部分って、あまりなかった気がします。あまりフォークナーみを感じないと言いますか……。


フォークナーの文体って、とにかく、くどいんですよね。(ほめ言葉)

ひと息が途方もなく長くて、なかなかピリオドを打たない。

被修飾語ひとつに対して、カンマやセミコロンで修飾文をどんどんつなげていき、長大な文章を構築しています。

具体的な事物に対して、神話的で抽象度が高い意味づけ(比喩)を何層にも重ねて語っていく感じです。

それと比べて、村上春樹の文章ってすごく読みやすいですよね。比喩もそれほど抽象的ではないですし。


フォークナーが「乾いた印象」というのは、たしかになるほどと思いました。

読者にとっては、目を背けたくなる苦々しい事実を、ありのままに、淡々と描いているところが、突き放したような、ドライな印象を与えるのでしょうか。救いのない、苦い後味の物語も多いんですよね。


ヘミングウェイの方がむしろ「女性的」な印象というのは、目からうろこでした。

ヘミングウェイは"In Our Time"しか読んだことがなかったです。この作品は、性的な匂わせ表現が男性的な印象(男同士だけで通じ合うような、わざと下世話な言い方をしているような感じ)を受けましたが……

南ノさんのお言葉を聞いて、敬遠せず、ヘミングウェイのほかの作品も手にとってみようと思いました。

ご紹介、どうもありがとうございます!


2024/04/29 22:24

南ノさんへ②

南ノさんが「一番好き」とおっしゃられた「雨のなかの猫」、読み直してみます!


以前に"In Our Time"を読んだのは、授業の一環でして、ただ先生が語る解釈を鵜呑みにしていただけだったような気がするので、「自分で読んだ」とは言えないんじゃないかと思えてきました。英文を目で追っていただけだったのかも……


ちなみに先生は「ダンテの神曲のパロディで、聖なる愛から性愛への格下げ」うんぬんと語っていましたね(遠い目)

南ノさんとこうしてヘミングウェイについてお話して、ひさしぶりに思い返し、本当にそのような解釈が正しかったのか、あやしく思えてきました。


あれからだいぶ年数が経ち、わたし自身も読書経験値を積んできているので、いま読めば、フラットな目で作品と向き合えるのではないかと思っています。


「白い象のような山並み」も未読なので、ぜひ読んでみたいです!


丁寧に教えていただき、どうもありがとうございます^^


2024/05/01 22:35

プロフィール

ロシア文学が大好きです。 2012年2月からロシア語を勉強しています。

NOVEL DAYSで活動中です。
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