追悼 水木一郎
師も走る季節に、アニメソング界のレジェンド、アニキ、こと、水木一郎氏が亡くなりました。
何も忙しいときに亡くならなくても、最後まで忙しい人なんだな。
私のアニメ史の中の最初の記憶は「ポールのミラクル大作戦」なんだけど、「マジンガーZ」はそれよりも古かったんだなぁ。
その頃は、アニメ、あるいは、アニメーションではなく、漫画、あるいは漫画映画と呼ばれていて、テレビ番組的に底辺に位置していた。親は、動画であっても紙媒体であっても、絵が動く=漫画の認識だったから、そんなものばっかり見てたらバカになる。と、思い込んで微動だにしなかったよ。
だから、NHK総合で「ニルスの不思議な旅」が始まった時などは、国民の金を使って、子供だましの遊びの番組を作るなど、言語道断だと非難されたものだ。子供番組は、教育のほうでやるべきだ。ってさ。
でも、そういう気持ちがわからないわけでもない。初めて、CGが導入されたのは、なんだったっけなぁ。ナディアではすでにCGは当たり前だったかな。あまりに、コンピューターっぽい硬いラインと手書きのセル画が馴染まなくて、技術の先取りはいらんなぁ。と思ったものだ。
それが、今や、世界に誇るサブカルチャーだもんね。そして、そういう流れの土台を作ったのが、その当時の人たちなんだよね。
アニメソング、通称アニソンは「歌」というにはあまりに幼稚に思われてて、その歌手といえば日陰の存在だったけど、いつから「アニソン歌手」が、憧れの存在になったんだろう。「めぞん一刻」で、村下孝蔵が歌ったときに、この人が何でこのアニメに曲を作ったんだろうって、びっくりして、「レンズマン」で、アルフィーが主題歌を歌ったときに、これから、アニメソングって、一般的になってくんだろうな。って思わせた。
その間も、特撮の主題歌とかを地道に着実に歌ってて、特撮ヒーローのイケメン俳優に若いお母さん方の注目が集まるようになって、急に子供のおもちゃじゃなくなってきた感じ?
いずれにしても、その業界の草分けだったことには変わらず、今のアニメの地位を確立するきっかけを作った人たちの一人だった。
なんか、一つの時代が終わったんだなぁ。
ご冥福をお祈りいたします(合掌