るるせの殺伐☆飼育箱

自分の楽曲タイプの話
ノイローゼ一歩手前だったのがどうにか助かった。僥倖だ。なもり先生の「楽しいことに時間使おーぜ!」という今日の絵日記に共感を覚え、本当にそうだよな、とこころが震えた。僕はこの珈琲フロート・ダークリー、五年半くらい毎日更新しているのだが、そういえば、僕の小説ってあきらかに椎名林檎の影響あると誰が読んでも思うはずだし言われることもあるけど、僕はここで椎名林檎の話ってしたことあったっけ? いや、特段なにか言いたいことがあるわけでもなく、気になったので名前を出してみただけだ。五年半も書いているとさすがになにを書いてきたか覚えていない。そうそう、ここ数日、久しぶりにDTMをやっていた。機材いじりは楽しい。『変容病棟音楽史』というプロジェクト名を付けた。僕のDTMは電気グルーヴあたりを面白がれるひとじゃないと完全にぶち切れるタイプの楽曲である。僕は自分のチャンネルに『成瀬川るるせの実験工房』って付けているくらいなのに、趣旨を理解する気がないひとが多い。もちろん下手くそなのがよくないといやそうなのだが、楽器を触れることもない人間が貶めるのは正直、下手な楽曲をアップしている僕よりたちが悪い。それに努力というか、友達がピークレベルのことっぽいことを言っていたのでミキシングとマスタリングをちゃんとするようになったのだが、「そんなことも出来ないで今までやってたんですか?」と言われたものだった。が、全部を自分一人で完結させるって、DTM人口が多いから普通のことのように思えるだろうが、難しいものだぜ。あと、僕はDTM独学だよ。ガキの頃にまさか自分が鍵盤どころかシンセサイザーの音作りからミキシング、プリマスタリングまでやるようになるなんて思ってなかったからな。定位(PAN)ひとつとっても、ちゃんとやる楽曲の場合、操るわけだが普通に使えるようになるまで3年かかったよ、僕は。才能がないのは明白なのにここまでこなすの、君は努力できるかい、って言えば、受け答えでは勇ましく答えるかもしれないが実際に努力できるひとは少ないだろう。あと、小説もだけど、自分が受け手であるだけのひとで、自分の感性がまるで「絶対的」であるかのように考えている人々がいる。評価はひとによって違う、というのがわからないで自分の感性を盲信している層が多くいる。感性を盲信しているひとはそのひとが天才でなければクリエイターには向いていない。ていうか、ひとに文句を言うということは自分がつくったときに文句を言われる立場にももちろんなるわけだが、考えるだにして防御力がなさそうである。あえて文句を言って成長を促してくれるひともいるわけだが、大抵はそうじゃないので、殴っていいのは殴られる覚悟がある人間だけなのを忘れちゃいけない、というアレだ(暴力はダメですけどね!!)。物書きもDTMもエクストリームスポーツなので、どちらにも片足突っ込んで、あたまがおかしいんじゃないか、と思う。でも、楽しみたい。

2024/04/07 22:30

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