最近のお悩み
最近の悩み、それは義母(夫の母)とのつきあいです。
二月に義父が救急車で運ばれ、病院から連絡を受けたわたしたち夫婦は、搬送先へ駆けつけました。
救急治療室の家族控室で、わたしは初めて義母と会い、言葉を交わしたのです。
結婚して何年も経つのに、「初めて」って意味がわからないですよね?
でも、本当に「初めて」だったのです。
夫とは学生時代からの長いつきあいですが、婚約期間中も結婚してからも、一度も義母と会う機会がありませんでした。
義父と義妹とは、これまで何度も顔を合わせて、一緒に食事をしたりしています。
わたしたち夫婦は結婚式や披露宴をしていなくて、ウェディングフォトを撮って、両家の顔合わせをかねた食事会をしただけでしたが、そこにも義母は出席しませんでした。
夫と義父は、わたしと義母を会わせたくない、家には来ないでほしいという一点張りだったのです。
二人がそこまで頑なに義母と会わせないようにしていたのには理由があります。それは義母がこころの病気を患っていたからです。
夫の話によると、妄想性パーソナリティ障害と言うのだとか。
その病気の症状の一種なのだと思いますが、義母はわたしの結婚前の名字が気に入らないとかで、一方的に嫌われていた? ようでした。
義母が以前、嫌な目にあわされた人物(義母の主観なので事実かどうかは不明)とわたしが偶然にも同じ名字だったそうで、その人物とわたしは全くの別人にもかかわらず、嫌な思い出がフラッシュバックするそうなのです。
夫から理由を聞いた時、「は!? そんなことで!?」と意味がわかりませんでした。
そういうわけで、結婚後もわたしは一度も義実家に足を踏み入れたことがありませんでした。年末年始などは、夫がひとりで帰省しておりました。
しかし、義父の急死を契機にわたしも義母とついに対面したわけです。義実家にもお葬儀や法事の関係で何度も足を運びました。
こころの病気というのはグラデーションがあるので、症状が落ち着いているときは社会に適応できている(かに見える)んですよね。
ふつうに会話が成立して、一見するとふつうに見えるので気づかれにくいですが、身近に接すれば接するほど違和感を覚える、つじつまの合わない言動が目に見えるようになってきます。
先週は義父の四十九日のお勤めがあり、再び義実家に行ってきました。
その翌日、義母から急に電話がかかってきて、
義父の葬儀をお願いした「葬儀社の親会社がアイ〇〇だけど、AIが運営しているんじゃないの? 利用者全員がロボットに洗脳されちゃうのでは?」という内容の話でした。
一体どうしてそんな発想になるのでしょうか?
恐ろしいことに、義母は本気でそう思い込んでいて、どんなに夫が事実を説明しても聞く耳を持たず、義母のなかでは自分の妄想こそが「真実」となっているのです。
Aという事象とBという事象があったとき、AとBはそれぞれ独立している全く関係のない事象であり、それぞれを別々の問題として考えるのが、正常な認知ですよね。
しかし、義母には病気の影響による認知バイアス(認知の歪み)があるのか、AとBが結び付けられてしまって、そのせいで急に怒り出したり、不安に陥ってしまうようなのです。
わたしの旧姓が気に入らないと言っていたのも、認知バイアスなのでしょうね。
周りの家族が「それは間違ってる。正しくは〇〇」といくら言葉を尽くして説明しても、義母には全く伝わらないのです。
周りから見ると明らかに論理がおかしいことでも、ご本人のなかではつじつまが合っているので、ご自分では「おかしい」とは思っていないのですね。
説明するだけ無駄と言うか、義母は「息子から否定された」という負の感情だけが残るようで、あとからその嫌な気持ちだけを思い返して「言い方が悪い」とか「目上の人に対する態度がなってない」とか再度怒り出すのです。
全く無関係なAとBを短絡的に結びつけて不安や恐怖に陥る認知バイアスって、なんだか陰謀論者やQアノン信者たちの思考とよく似ていますよね。
ピザゲート事件とかね。
これって、精神医学では症例名がついているのでしょうか。
ここ数年、週刊誌や新聞などで『母親を陰謀論で失った』『陰謀論者になったお母さん 目を覚ましてほしいと願うだけ』『コロナ陰謀論を信じた母が「別人に」』などの、当事者家族による手記が次々と掲載されるようになりましたね。
もちろん個別の事情があると思いますが、「陰謀論者になった」というかたがたは、それまで気づかれていなかっただけで、もともとご本人が抱えていた何らかのこころの病気が根底にあって、いま表に出てきただけなのでは、と思ったりします。
義母も最初からこうだったわけではなくて、若い頃は小学校の教師だったそうです。
夫によれば、自分が小学生の頃はふつうの家庭だったけど、だんだんおかしくなっていったという痛ましい話でした。
先週のとんでもない妄想話も、義母にとっては平常運転なのです。
もしわたしたちが義母と同居していれば、虚実入り混じった話を毎日聞くことになりますよね。
そんな義母を見捨てず、長年連れ添ってきた義父は本当に頑張っていたのだな、と尊敬の気持ちをあらたにしました。