南ノさんへ
南ノさん、あたたかい励ましのお言葉をどうもありがとうございます。
お義父さんはアメリカ文学の研究者だったので、顔合わせの席で一緒にフォークナーの話をしたのを、つい昨日のことのように思い出せます。
アメリカ文学のなかでも、ソール・ベローなどユダヤ系の作家に詳しく、常日頃からマイノリティにまなざしを向けておられた先生でした。
黒人問題にもすごく関心を持っておられて、ああ、トニ・モリスン読みましたよ!って早くお伝えしておけばよかった……。
もっとお話をお聞きしたかったです。
落ち着いたら、お義父さんが生前に発表した論文も読んでみたいね、と夫と話しています。
なんと! 「オーストリア旅行の思い出」、公開当初に読んでいてくださったのですね。
うれしい気持ちでいっぱいです^^
わたしは3歳頃から高校卒業までピアノを習っていて、その後、オルガンに転向しました。
音楽教室で本格的な指導を受けるようになる前、いちばん最初にピアノの手ほどきをしてくれたのは、母でした。
毎朝、保育園に登園する前(大人にとってはもっとも忙しいであろう時間帯)に、母と一緒にピアノのお稽古をしたのでした。
幼少のわたしはよくそのお稽古をいやがり、母が「じゃあピアノやめる? やめてもいいよ」と言うと、そのたびにわたしは泣いて「やめないもん」と答えたのだそうです。
(幼いながらにいじっぱりだったのか、練習曲はきらいでも、ピアノを弾くこと自体は好きだったのか……)
そのとき「やめる」と言っていなくて良かった。
大人になって、奏楽奉仕ができるまでになった、わたしの演奏がだれかのお役に立てるようになれたのは、幼い頃の母との日々があったおかげだと思います。
昨年は気持ちの整理がつかず、こうして母との思い出を書いたりすることもできませんでした。
少しずつ、母の死とも向き合っていかなければ、と思っています。
南ノさん、お心を寄せてくださり、本当にどうもありがとうございます。