選択社会の授業の思い出
『有機交流電燈 アーカイブ』改め『有機交流電燈 ダイアローグ』のチャットノベルのキャラクターは、とある学校の社会科研究部の部活風景という設定で書いています。
イメージは中学生なのですが、中学生にしては物知りな生徒たちになってしまっているので、そこらへんは大目に見てください。
どうして中学生かと言うと、社会のいろいろなことに関心を持った年代というのが、わたしにとって中学生の頃だったからです。
わたしがいた中学校では、実際に社会科研究部という部活があってですね。
その当時、わたし自身は科学部(と合唱団)に所属していたのですが、友だちは社会科研究部に所属していました。
その友だちというのは小中高、大学まで同じという稀有な友だちで、まさに幼なじみというやつですね。
わたしが社会に関心を向けるきっかけを与えてくれたのは、選択社会の授業でした。
必修の授業と違って、選択教科の授業は先生の裁量で自由度がかなりあって、わたしは社会と音楽を選んだのですが、どちらも楽しかった思い出があります。
選択社会では、映画やドラマ、ドキュメンタリーなど、映像作品を見ながら現代史を学ぶという内容でした。
授業で見た、NHKスペシャル『映像の世紀』(1995-1996)や『シンドラーのリスト』の映像と音楽は強烈に記憶に残っています。
『砂の器』(1974)のハンセン病患者たちの描写も大変衝撃的でした。
ちょうど公開されていた『コレリ大尉のマンドリン』(2001)を、先生が引率してみんなで映画館まで観に行ったりもしました。
今思えば、映画館までの移動費や映画のチケット代はどこからお金が出てたんでしょう、先生が自腹で払ってくれてたのか……?
社会を選択している生徒が数人しかいなかったので、そんなことができたのかも。
選択社会の授業では、自分たちで何かテーマを決めて調べてポスター発表するという課題もあって、わたしのチームは地雷除去活動について取り上げたんですよ。
学内でフリーマーケットを企画して、そこでの売り上げをカンボジアで地雷除去活動をしている団体に寄付するところまで授業でやりました。
今、ウクライナで地雷が大量に埋められているとの報道を見て、とても悲しいです。
チャットノベルの登場人物は先生役も生徒役も作者の分身ではあるのですが、「せとか先生」と名付けたキャラクターは、お世話になった選択社会の先生のイメージを投影しております。
実際、その選択社会の先生は、社会科研究部の顧問もしていました。
ちなみにわたしがいた科学部の顧問は、なぜか数学の先生でした。