ダダの話②
わたしがダダの詩で聴いたことがあるのは、クルト・シュヴィッタースの「Ursonate」(原音ソナタ)です。
この作品は、シュヴィッタースの自演による朗読音源が遺っているので、今でも聞くことができますよ。
聴いていみると、「なるほど、理解」となるのですが、言葉から意味が剥奪され、音(音素)に還元されている詩です。
なんのこっちゃですね。それって詩なのか、そもそも詩の定義とは? と、価値観をゆさぶられること間違いなし。
「Ur-Sonata」は、まさに「芸術は音楽の状態にあこがれる」というもので、「芸術の純粋化」の典型例であると言えます。
ダダの詩人であったアンドレ・ブルトンはダダと決別し、「シュルレアリスム宣言」(1924年)を発表しました。
シュルレアリスムの代表的な手法は、自動手記、コラージュ、デペイズマン(異化効果)です。
このデペイズマンの名手が、ベルギーの画家で「イメージの魔術師」と評されるルネ・マルグリット。
マルグリットの「イメージの裏切り」という絵画では、パイプのイラストの下にCeci n'est pas une pipe.(これはパイプではない)と書き込まれています。
マルセル・デュシャンの試みを、イメージ論の領域に横滑りさせたような作品ですね。
わたしはマルグリットの絵が好きで、「白紙委任状」や「大家族」など名画がたくさんあります。
これまた余談ですが、魔夜峰央さんの『パタリロ』に登場する、大魔王アスタロトが人間の魂を保管する「白紙委任の森」という場所があって、それがマルグリットの「白紙委任状」を元ネタとしているのです。魔夜さんの錯視的な美しい絵が印象に残るお話で、今でもよく覚えています。
詩の話に戻ると、日本の現代詩人、吉増剛造の「石狩シーツ」の自演による朗読を聴いたことがあってですね。
クルト・シュヴィッタースと同様に、いかに詩人が音的リズムを大切にしているかが伝わってきました。
成瀬川さんが紹介されていた、ダダの詩人である高橋新吉は読んだことがなったので、手にとってみたいですね!