南ノさん
南ノさん、発話に関する興味深いお話を教えてくださり、どうもありがとうございます!
また、お忙しいなかで「巨大猫の民話①②」もお読みいただき、感謝の気持ちでいっぱいです!!
わぁ、南ノさんは高校時代にプーシキンをお読みだったんですね~。南ノさん、文学少女だったんだろうなぁと想像をふくらましております^^
『大尉の娘』と言えば、日本の宝塚が「黒い瞳」という劇題で舞台化していて、こちらも素敵ですよ。
『ルスランとリュドミラ』のプロローグも、お楽しみいただければうれしいです。
そうなんです、大昔にフランス語を勉強しておりました(遠い目)
無事に初級を修了し、中級フランス語、フランス語コミュニケーション応用、総合フランス語までとりました。
総合フランス語ではモードの歴史(オートクチュール、プレタポルテとか)みたいな内容の仏語テキストを読んでいたので、日頃何気なく目にしているカタカナの服飾用語が実はフランス語由来だったんだなぁと勉強になりました。
中級フランス語でLe Petit Prince(星の王子様)の精読をやって、原語で一番読みたかった本が読めて満足して、そこでフランス語学習はひと区切りとしたのでした。
フランス語の基礎を学んでから、次に取り組んだのドイツ語でした。
その当時、わたしのオルガンの恩師がイタリアに住んでおられて、その先生の紹介でオーストリアのアカデミーに参加させてもらえることになり、喫緊の課題としてドイツ語を勉強したのでした。
そのあたりの話は、オーストリアの旅行の思い出というテーマでしゃべログでかんたんに書いています。
そうやってドイツ語を勉強していても、行きの電車を乗り間違えて(乗る前に駅員さんに確かめたのに)、全く見知らぬ土地の無人駅で途中下車し、ここはどこ……?と呆然としたりしたのでした。
アカデミーが修了したあと、どうやって帰国したかはほとんど記憶に残ってないので、何もアクシデントが起きなかったということは、いちおうドイツ語を学んだ成果はあったのかな……。
その後、同じご縁でイタリアのアカデミーに参加することになって、イタリアは観光客がたくさん来るから英語の案内表記があるだろうと思っていたら、現地では駅名も町や通りの名前もイタリア語の表記しかなく、愕然としたのです。
オーストリアやスイスとの国境に近い山あいの村々を巡り歩いたので、二か国語表記になっているところはイタリア語とドイツ語でした。英語は皆無でした。
ちなみに、山奥に行くと、イタリア語とラディン語の二か国語表記になるのです。ラディン語って何……?と思いますよね。
空港の電光掲示板ですらイタリア語しか書いてなくて(ドイツに飛ぶ便でもドメスティック扱いだから)、予定の便が謎の遅延をしていて、あのときほど、あらかじめイタリア語を少しでも勉強しておけばよかったと思ったことはないですね。
流ちょうに話したり、難しい文学作品を読んだりする必要はなく、最低限、自力で公共交通に乗って目的の場所まで行って帰ってこれるようにするためにも、現地の言葉を学ぶって大事だなぁとしみじみ思います。