黄砂のせい……?
黄砂アレルギーなのか、今週は咳と喉の痛みと涙がひどくてひどくて。
外出時はもちろん、オフィス内でも四六時中マスクをしていたのですが、この症状……。
黄砂(正確に言うと黄砂に含まれる有害物質)の影響、ホントにすごいですね。
もう毎日、イソジンでうがいをしていましたよ。
身近でも喉の痛みをうったえるかたが多くて、もともと花粉症を持っているかたが、黄砂のせいで症状がより悪化したと言っていました。
ひと昔前の文献を読むと、排ガス規制や化学物質排出規制などが無かった頃の首都圏や工業地帯は、大気汚染レベルが今よりももっとずっとすごかったと書いてありますよね。
大気汚染防止法や公害対策基本法が無い時代に10代をすごしたかたたちが、今は70代ですけど、今の年齢まで長生きできたことがすごいなと思います。
そのころって、どんな暮らしぶりだったのでしょうね。
一日中、こんなふうに咳や喉の痛みに苦しみながら、マスクをして学校に通っていたのでしょうか?
よく「昔は今よりも自然が豊かだった」とか「昔は外で子どもたちが遊んでいた」とかいう話を聞きますけど、その「昔」って一体いつの話よ? って思えてなりません。
江戸時代とか産業革命以前の話を言っているんですかね。
明治以前を「昔」と定義するなら実体験としての思い出話ではなく、あくまでもイメージの話、幻想郷日本を語っているわけです。
実際に50年~60年前に大都市や工業地帯で生まれ育ったかたの場合、当時の大気中の有害物質(石炭ばいじん、亜硫酸ガス、硫黄酸化物、アスベスト、重金属など)の濃度は現代よりもきわめて高い数値でした。
公害病と認定されるほど重い症状でなくても、排ガスや光化学スモッグで咳や喉の痛みが日常的にある子ども時代をすごしたかたは、多かったのではないかなと想像します。
でも、60代、70代のかたから「昔は川が汚かった」とか「昔は空気が汚かった」とかいう負の思い出話を聞くことは、ほとんどないですよね。
地方出身者が公害と無縁だったかと言えばそういうわけではなく、地方にはたくさんの鉱山が点在していて、現在は閉山となって廃墟都市となっている場所が日本中にあります。
日本有数の硫黄鉱山であった松尾鉱山の場合は、ヒソを含む鉱毒水が流域一帯の川を「魚の住めない死の川」にしてしまったので、排水を中和する施設を建設し、長い年月をかけて水質を浄化して、ようやく「サケが遡上する川」に戻すことができた歴史があるそうです。
廃坑となってから50年以上経った現在でも、毎分何十トンという鉱毒水が湧き出るため、その中和施設は24時間稼働し続けなければいけないのです。
中和施設の維持費などは年間5億円かかっているとかで、「きれいな川」を維持するためのお金のなんとかかることか、気が遠くなりますね。
流域で人々が生活していくかぎり、半永久的に中和装置を稼働し続けなければ「死の川」に逆戻りするなんて、昔の人々の経済活動による功罪が大きいですよね。