「贖罪」と「贖い」
「贖罪」と「贖い」という言葉は聖書によく使われており、キリスト教にとって核心とも言える重要な教理です。
そのため、外国語翻訳の過程で、明治以降に生み出された新語のように思われるかもしれませんが、「贖い」という言葉自体は、古くから使われてきた日本語です。
古語の名詞「あがひ」(贖ひ)※古くは「あかひ」
意味「つぐない」
用例「酒・くだ物など取り出ださせて、あがひせむ」(宇治拾遺物語)
動詞「あがふ/あがなふ」(贖ふ・購ふ)
意味は、①金品をさし出して罰をのがれる。②買い求める。
※もと①の意味で、②は後の用法
例解古語辞典(三省堂)より
「贖罪」と似た言葉、「罪滅ぼし」は仏教用語の「滅罪」を日本語にした表現が名詞として定着したのではないかと思います。
用例「聖の名をさへ付け聞こえさせ給ひてければ、いとよし。私の罪もそれにてほろぼし給ふらむ」(源氏・浮舟)
19世紀の聖書翻訳者(主にアメリカ人宣教師たち)は、聖書中の意味が異なる多くの単語に対して、「贖い」もしくは「贖罪」を訳語に当てており、その訳語が現代まで定着しています。
しかし、日本語古語の「贖い」と聖書の「贖い」が同じ意味であったという保証はなく、意味が似ているという程度だったのでは? と思います。
「贖い」という訳語が、もともとのヘブライ語とギリシャ語ではどうなったのか、気になったので、少し調べてみました。
旧約聖書で、「贖い」「贖罪」「あがない」と訳されているヘブライ語は、三つあるようです。
①パーダー:「買い戻す」の意味。動物や人間を金品によって買い戻すこと。日本語聖書では同じ単語を「賠償金」と訳している箇所もある。
②ガーアル/ゴーエル:「買い戻す」の意味。パーダーとの使い分けが分かりにくいが、家や畑などの財産を取り戻す場合、奴隷の自由を買い戻す時の行為を指す言葉。出エジプトやバビロンからの解放など、神がイスラエルを解放する、助け出す、という救いのわざを表現する言葉。
③カーファル:「覆う」の意味。
例1:「手を献げ物とする牛の頭に置くと、それは、その人の罪を贖う儀式を行うものとして受け入れられる。」(旧約・レビ記、新共同訳)
↑この「罪を贖う」のヘブライ語がカーファルで、直訳すると「罪を覆う」となる。
例2:神はノアに対して箱舟の「内側にも外側にもタールを塗りなさい。」(創世記)と言われる。この「塗る」という訳語のヘブライ語も名詞形「コフェル」で、直訳すると「タールで覆う」となる。
これら三つのヘブライ語をなぜ日本語で訳し分けないのでしょうか?
さらに新約聖書では、「贖い」「贖罪」「あがない」と訳されているギリシャ語は多数あります。
①リュトロン:身代金の意味。
例:イエスは「多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ)
②アポリュトローシス:身代金を支払うことによって救い出すとの意味。
例:「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」(ローマ人への手紙)
③ヒラステリオン:「なだめる」の意味
④アゴラゾー:「買う」の意味(アゴラは「市場」の意味)
⑤カタラッソウ:「和解」の意味
旧約の伝統の上に新約が書かれていることを考慮すると、古代のヘブライ語の「カーファル」に相当する意味で、ギリシャ語の「リュトロン」や「アポリュトローシス」が使われていると言えます。
これらの異なる言葉を、現代の日本語では「贖い」「贖罪」「あがない」と訳しているのですね。
「贖罪」は「買い戻す」こと、「身代金」「賠償金」を支払うことで救い出すことを意味するので、罪が消滅したわけではなく、「滅罪」「罪滅ぼし」とは意味が異なります。
最初に「贖罪」と訳した翻訳者は、正しく言葉の意味をつかんでいたのですね。