日々ログ

たびたびすみません。

佐久田さんのお返事を拝見して「そう、そうなんよ!」と共感するあまり、また来てしまいました。どうぞ読み流してくださいね。


「お手伝い」の範疇を超えてしまったら、もうそれは搾取でしかないと思うのです。親兄弟を養う大黒柱だなんて、荷が重すぎます。

以前、お店で見かけた親子で、ヤンキー風の母親と小学生くらいの女の子、そして未就学児の男の子の三人家族、そしておそらく母親の友人というグループで来店していて、女の子が男の子を抱っこしたりあやしたり、面倒を見ているのです。母親は友人とおしゃべりに夢中。

すると、男の子が女の子の手から離れて、お店の商品をちょっと倒してしまったのです。

そこで母親がいった台詞は、

「あんた、なんでちゃんと見てないのよ!」

小学生の女の子に、男の子から目を離すなというのです。

アホか、と思いました。

だれのこどもじゃ。

あんたが生んだんと違うんか。

理不尽に怒鳴られた女の子は、いいわけもせずに、ぐっとこらえていました。

もし万が一、男の子が怪我でもしたら、きっとこの女の子は母親から責められるだろうし、自分のせいで怪我をさせた、と本来なら必要のない自責の念にとらわれてしまうかもしれません。

そこまでこどもに背負わせるのは、ぜったいに違う、と思うのです。


佐久田さんが書かれていた自治体などの支援制度、おっしゃるように、ほんとうに必要としているひとが、まずその申請にまでたどりつくことが難しいと感じます。

そういった情報自体を自分で集めないといけないし、情報は主に文字で書かれています。読み書きが苦手なひとだと、その時点で諦めてしまうのではないかと思うのです。

生活保護を受けるべき境遇のひとが、申請すらできずに餓死してしまうといったニュースを目にすると、ほんとうにやるせない気持ちになります。


わたしの父親が亡くなったとき、父が勤めていた会社の役員さんが、遺族年金を受け取れないかと、いっしょに市役所へ相談に行ってくださいました。わたしはそのときちょうど十九歳になったところで、遺族年金を受け取れるのは、配偶者か、十八歳までのこどものみ、と職員さんから説明を受けました。

いっしょに行ってくださった方は、なんとかなりませんか、とずいぶん粘ってくださったのですが、それが規則なのでどうにもなりません。

それは仕方ないのでかまわないのですが、そういう制度があること自体を、当時のわたしは知りませんでした。あのころはまだインターネットも普及しておりませんでしたし、いまのように、ネットで検索してみるという手段もわたしにはありませんでした。

知らないということは、そういうことなのです。

もしかしたら受け取れるかもしれない支援を、その存在自体を知らないと、どうにもなりません。


保護者のいないこどもや、保護者がいても保護してくれない部類の親に育てられたこどもが、なんの後ろ楯もなく社会に出ていく場合、まずはじめに経済的に困窮します。それを克服するためにも、手に職をつけるためにも、十代のころに勉強してひととおりの知識を身につけておくことは、ぜったいに無駄にはなりません。それは身を助け、身を守る、強力な武器となります。

だから、こどもが勉強したり学ぶための時間を邪魔しないでほしい。こどもたちが将来、生きていくために必要な道をひらくのが、わたしたちおとなの役目だと思います。


すみません、わたしも熱くなってしまいました。こういったお話はなかなかひとに話せないし、物語に落とし込むには、わたしの力不足が否めなくて。

佐久田さんは物語のなかで、そういった困難な環境にあるこどもたちがそれぞれの道を自分たちの力で切り開いていく姿を描かれていて、読むたびに胸熱です。

こういうお話が読みたかった、とかつてこどもだった全桐乃がよろこんでおります(*´∇`*)

佐久田さんに出会えたことに感謝です。

2021/11/14 23:35

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「ふきのとう」とは、佐久田がつけたかったペンネーム候補。次点は「アネモネ」。

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