千葉雅也さんとのやりとりに関して言えば、序破急、三幕構成、起承転結などのストラクチャーをちゃんとわきまえないと、商業作家としては微妙(ちなみに、なろう系などの「書籍化作家」はまた別のロジックです)なのですが、純文学は、前の世代の方法論を破壊したり無視したりして、それが次の世代のスタンダードになります。その意味で、脚本術的にダメでも、故にだからこそ純文学だ、とも言うことができ、それはコンテクスト、具体的には歴史と同時代性という、縦軸と横軸を考えたか、たまたまそうなることにより、純文学としての強度が保たれる、と考えています。
今度、作品内で、それについて考察してみます。そのとき、改めてリンク張りますね!
ありがとうございます。