桐乃さま
桐乃さん、「憧憬①②」を拝読しました。
「支離滅裂」だなんてとんでもない!桐乃さんの仰ること、よく理解できました。
「わたしは人間をあまり信用できなくて、親しくなっても心のどこかで『このひともきっといずれどこかへ去ってしまうんだろうな』と別れる覚悟をしてしまう」という部分なのですが、実は桐乃さんとこうしてやり取りをさせていただくようになるずっと前に、確か桐乃さんと佐久田さんとのやり取りの中で、桐乃さんが同じ趣旨のことを書いておられたのを偶然読んでしまい(スミマセン)、「ああ、私と同じ考えの方がいらっしゃる」と密かに共感していたのです。
桐乃さんと家庭環境は異なりますが、私自身、人間に対して桐乃さんと同じような認識を持っているところがあります。
その理由は……これは大人になってからの自己診断なのですが、私がまず間違いなくADHDであることと大きな関係があります。
私は子供の頃から、他人の表情や空気がうまく読めず、人の話にも集中できず、そうでありながら一面では聴覚過敏だったり……といろいろ問題があったのですが、当時はADHDという言葉すら存在していませんでしたので、「自分はおかしい」「他の人とずれている」と考えるしかありませんでした。
私は小学校の時から、先生の話に集中できず、内容も理解できないので、自分でひたすら教科書を読んで勉強していました。ですから学校には通っていても、ずっと独学しているようなものだったんです(笑)
一応読解力があったのがせめてもの救いで、私は自分の問題を「文字を読むこと」によってカバーしてきたところがあります。
だから自然に本の世界に親しむ(逃げ込む?)ようになりましたし、落語が好きになったのも、ああいう「全てを肯定してくれる」ような人間関係に憧れたからなのかもしれません。
桐乃さんが仰る「ごくあたりまえの日々をまっとうに生きているひとを見るのが好き」に当たるのが、私の場合は落語だったのだと思います。
現実の人間に対しては(親も含め)、常にどこかに「恐怖感」があるのです。
変な人と一緒にいるくらいなら、自分一人の方がどれだけ心安らかにいられるかわからない、と思いながらも、小説を読んで、人間について「研究」(?)するのが好きなのですから、我ながらひどく矛盾していると思います(笑)
……長々と、私こそ支離滅裂、意味不明の内容になってしまいましたので、この辺でやめます。
明日からまたお忙しい日々が始まりますね。
どうかお体にはくれぐれも気をつけてお過ごし下さいませ(*^^*)