インターミッション⓷ ラスト 10/*。
サブジェクト(Subject)とオブジェクト(Object)の関係の話をすれば
当然に二元論の話しになってしまう。
主体と客体は「自分」と[何か]である。
自分は固定だが、[何か]の方は無限に内容の差し替えが可能になる。
そんで二項は対立するって…。
根本原因は自分が思う/考える[何か]は、本当の[何か]ではないから。
*マインドで追う限り永遠に正解にはたどり着くことは出来まい。
てっ言うか〜認知の次の瞬間には、すぐ感情反応が立ち上がってしまってるから、
実質好悪つのとらまえに変わってしまってる...。
両者を密かに(不可知に)仲立ちしているものがあって、
これによって何とか見かけ上は齟齬は、ジレンマは、棚上げされ、
運動の全体秩序は保たれている。
これを第三項と呼ぶ。あの第三の力の別称と思ってもらっていい。
色々とあんだけど『社会性』をおくのが「分かり良い」。
世間体でも良い。倫理規程でも良い。社内規定でも良い。社内情報システムでも良い。
何でも良いw…。
盗めないのは格好悪いから。世間から恥とされるから。なにがしかの懲罰が加えられるから。
その後、色々と生活やり難くなるから。
これは人格からくる。恐怖を背景にした態度だ。収入とか立場とかへの懸念が抑止の力。
人格は社会性/社会的価値なるものを取り込んだ/記録したものから出来上がっている。
だから実体なき観念として制御を行っているとも言える。
「分かり難い」例としては「良心からの呵責」を避けんが為に自制を働かせる場合。
道徳感情が操舵を握る。
上の二つは全く違う。でも同時に働くことはあるだろうけどね。
ここからは端折るけど、
第三項として機能させるべきは本来は『天』である。
生きている[順当/妥当]なるシステム(秩序)として、これを受け入れるべきである。
形而上学的権威を絶えず意識して/認めて生活するってこと。
けれどこれは現在見失われてしまっている。
核事としての正解が胡乱になってしまった。
ここ日本ではかの方の人間宣言以降、流行んなくなってしまった。
神社仏閣の廃れ具合は目を覆わんばかり。
倫理/道徳/宗教は人気なくなってしまったんだって。
違うな…
「目覚める」ではなく「眠りがより深くなっていく」方に人類が流されてていって
しまっているからだ。
そうなるように作用が加わっている。
これに意識的になり、抗うようにしなければならない。
〈続く〉
蛇足:
わたしゃ〜、此の手の話は大昔に卒業してます。
自分の必殺技に[絶対化ドライブ]と〈相対化ドライブ〉なるものがある。
前者は積分化で後者は微分化に等しい。
あらゆるものが対象とされ得る。
これらを使えば:
「高きものは低く、また低きものが高きものに」自在に変わることが知れる。
また理屈を越えて「あるものが絶対不可侵不可触の価値を帯びてある」ことも。
どっちを使うかは、その時の自分の気の向くまま/直感の指し示すままw。
両方いるはいる。