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『バガヴァット・ギーター』第2章
女々しくなってはならない。このつまらぬ気の弱さを振り落とせ。立ち上がるのだ。敵を焼き尽くす者よ。

アルジュナは言った。
どうしてビーシュマやドローナに戦場で矢を射かけることができようか。彼らは尊敬に値する人々ではないか。

この高潔な師たちを殺すくらいなら、この世で物ごいをして生きるほうがましだ。たとえ師たちが利益を望んでいるとしても、彼らを殺せば、血に汚れた快楽だけをこの世で味わうことになるだろうから。

我らが彼らを征服すべきか、あるいは彼らが我らを征服すべきか、どちらがよいかわからない。ドリタラーシュトラの息子たちは、我らの面前に立ち並んでいる。もしも、彼らを殺すのであれば、我らも生きることを望むべきではない。

私の本質は弱さで汚れてしまい、心はダルマに惑う。私はあなたにお願いする、いったい何が私にとって善であるのか、はっきりと教えていただきたい。私はあなたの弟子だ。あなたに寄る辺を求める私に教えを説いていただきたい。

私の五感を枯らす悲しみをどうしたら打ち払えるのか、私にはそれがわからない。たとえ、比類のない、繁栄した地上の王国を得たとしても、また神々さえも支配する力を得たとしても。

「私は戦わない」と告げて沈黙した。

両軍の前で悲嘆にくれる彼に向かって、ほほ笑んで次の言葉を語った。

聖なる尊主は言った。あなたは、悲しまなくてもよい人たちのために悲しみ、しかも、賢者のごとく話している。賢者は、死者についても生者についても悲しまないものだ。

「私」がかつて存在しなかったときは一度もない。それは、あなたやこれらの王侯たちも同じだ。将来、我々が存在しなくなることも決してありえない。

この肉体に宿るものは、それが、少年期、青年期、老年期へと移っていくのと同じように、次の肉体へ移っていく。賢者はこれに惑わされはしない。

(五感の)対象との接触から、寒さや暑さ、喜びや苦しみ(の経験)が生じる。それらは、来ては去っていく無常のものだ。それらを耐え忍べ。

これら(の接触)に悩まされず、喜びや苦しみの中でも、心の平静を保ち揺るがぬ者、実にそのような人が不死を得るにふさわしい。最上なる人よ。

実在でないものが存在することはないし、実存であるものが存在しなくなることもない。究極の「実在」を見る人たちは、これら二つのものの最終的な真理を、このように認識する。

これら一切に浸透する「それ」は、実に破壊することができない、と知るのだ。だれも、この不変の「存在」を破壊することはできない。

これらの肉体には終わりがあると知られているが、肉体に宿るものは、永遠であり、不滅であり、無限である。それゆえ、戦うのだ。

彼を殺す者と理解する者も、彼を殺される者と考える者も、どちらも真理を認識していない。彼は殺しも殺されもしないのだ。

彼は決して生まれることも、死ぬこともない。彼はかつて生じたこともなく、また存在しなくなることもない。彼は、不生、不滅、永遠にして、太古から存在する。肉体が殺されたとしても、彼が殺されることはない。

彼を、破壊できず、不朽、不生、不死であると知る者が、どうしてだれかを殺したり、だれかに殺させたりできようか。

人が古い衣服を脱ぎ捨てて、新しい別の衣服を着るように、肉体に宿るものも、古い肉体を捨てて、新しい別の肉体をとる。

武器も彼を断つことはできず、火も彼を焼くことはできない。水も彼を濡らすことはできず、風も彼を乾かすことはできない。

彼は、断つことも、焼くことも、濡らすことも、乾かすこともできない。彼は永遠であり、すべてに浸透し、安定しており、不動であり、常に同じである。


彼は形に現れておらず、想像を越えたものであり、変化しないものであると言われている。それゆえ、あなたは彼をそのようなものと知り、悲しむべきではない。

たとえ、彼は常に生まれ、常に死ぬものであると考えたとしても、それでも、武勇に優れた者よ、あなたはこのように悲しむべきではない。

生まれた者にとって死は必定であり、死んだ者にとって生は必定である。それゆえ、避けられないことを悲しむべきではない。

万物はその始まりにおいては形に現れておらず、半ばにおいて形に現れ、終わりにおいてはまた形に現れない状態となる。これに何の悲しみがあろうか。

ある人は彼を奇異なるものとして見、ある人は彼を奇異なるものとして話し、ある人は彼を奇異なるものとして聞く。(見ても、話しても、聞いても)そのような人は彼を理解していない。

すべての人の肉体に宿る彼は、永遠であり、傷つけられることはない。それゆえ、どんな生き物についても悲しむべきではないのだ。

自分のダルマという点を考慮したとしても、ためらうべきではない。なぜなら、クシャトリヤにとって、ダルマにかなった戦いに勝るものはないからだ。

幸運なのは、天界に通じる門ともいうべきそのような戦いを、求めずして見いだすクシャトリヤである。

したがって、もしあなたが、ダルマにかなったこの戦いにかかわらないのであれば、自らのダルマと名声とを捨て、罪を犯すことになるのだ。

さらに、人々はあなたの不名誉を永遠に語り継ぐだろう。名声ある人にとって、悪評は死よりも耐え難いものだ。

偉大な戦士たちは、あなたが恐れをなして戦いから逃げたと思うだろう。そして、あなたに敬意を抱いていた人たちも、あなたを侮蔑するようになるだろう。

敵は陰であなたの悪口を言いふらし、あなたの力をあざ笑うだろう。これほどの苦痛がほかにあるだろうか。

あなたは、殺されれば天界に達し、勝利すれば地上の世界を享受する。それゆえ、戦いの意を決して、立ち上がるのだ。

喜びや苦しみ、利益や損失、勝利や敗北、こういった中にも心の平静を得て、そうして戦いに臨むのだ。そうすれば、罪を犯すことはない。

ここまで示してきたのは、サーンキャの観点からの理解である。今度はそれをヨーガの観点から聞くがよい。それによって理知が確立され、あなたは行動の束縛的な影響を捨て去るだろう。

これ(ヨーガ)においては、いかなる努力も無駄にはならず、いかなる障害も存在しない。たとえわずかでもこのダルマをなせば、大いなる恐怖から開放される。

このヨーガにおいては確固とした理知が一点に集中している。しかし、優柔不断な者たちの理知は、多岐に分かれて限りなく多様である。

聖典の文字に夢中になっており、ほかには何もないと断言する洞察力のない者たちは、華やかな言葉を語る。

(彼らの言葉は)欲望に満ち、天界を目指し、行為の果報としての誕生を宣言し、享楽や権力を得るための多くの特別な儀式を規定する。

享楽や権力に深く執着している者たちや、これら(華やかな言葉)に思いがとらわれている者たちの心には、理知の確固とした状態が生じることはない。

聖典の対象は三つのグナにある。アルジュナよ、三つのグナを離れよ。 二元性を脱し、常に純粋性にとどまり、所有にとらわれず、真我を保つのだ。

あらゆるところに水があふれていれば、小さな井戸は無用となる。それと同様に、悟りを得たバラモンにとって、ヴェーダはすべて無用となる。

行動のみを制御すべきであって、決してその結果を制御すべきではない。行動のために生きるべきではなく、また、無活動にとらわれるべきでもない。

執着を捨て、成功や失敗の中にも平静を保ち、ヨーガに立脚して行動せよ、富の征服者よ。なぜなら、心の平静がヨーガと言われるから。

偉大さを欠いた行動は、実に、安定した理知からは程遠い、富の征服者よ。理知をよりどころとせよ。哀れむべきは(行動の)成果のために生きる者である。

理知が(真我と)結合した者は、この世においてさえ、善と悪とをともに捨て去る。それゆえ、ヨーガに専念せよ。ヨーガは行動の技術なのだ。

理知が真我にしっかりと結合した賢者たちは、行動から生じる成果を放棄し、誕生の束縛から開放され、苦しみのない状態に到達する。

理知が迷いの泥沼を渡り終えるとき、あなたは、すでに聞いたことにも、これから聞くであろうことにも、無関心となるであろう。

聖典の言葉に惑わされたあなたの理知が、真我の中に揺らぐことなく不動のものとなるとき、あなたは、ヨーガに到達する。

アルジュナは言った。理知が安定し、真我に浸っている人には、どんな特徴があるのだろうか。安定した理知をもつ人は、いかに話し、いかに座り、いかに歩くのか。

聖なる尊主は言った。心に(深く)染み込んだすべての要求を完全に捨て去るとき、真我のみによって真我の中に満足するとき、そのような人は安定した理知をもつ者と呼ばれる。

悲しみの中にあっても心が動揺せず、喜びの中にあっても渇望を抱かない人、執着と恐れと怒りを離れている人、そのような人は安定した理知をもつ賢者と呼ばれる。

何ものにも過度の愛着を抱かず、良いものを得ても狂喜せず、悪いものを得てもひるまない人、そのような人の理知は安定している。

亀が手足をあらゆる方向から引き入れるように、そのような人が五感をその対象から退けるとき、その人の理知は安定している。

五感の対象は、それを楽しまない人から離れるが、その味わいは残存する。しかし、至高なるものを見れば、その味わいすらも消えうせる。

荒れ狂う五感は、(それを制御しようと)努力する賢明な人の心さえも、力ずくで運び去ってしまうのだ。

それらすべてを制御し、統一に達して座し、「私」を「至高なるもの」と見よ。なぜなら、五感を制した人の理知は安定しているものだから。

五感の対象に思いを巡らせば、それらへの執着が増大する。執着から欲求が起こり、欲求から怒りが生じる。

怒りから迷いが生じ、迷いから記憶の混乱が生じる。記憶の混乱から理知が崩壊し、理知の崩壊によって人は滅びる。

しかし、自分自身を律した人、執着や嫌悪から五感を開放し、自らが制御できる五感をもって、五感の対象の中を動く人、そのような人は「恩寵(おんちょう)」を得る。

「恩寵」の中で、すべての悲しみが終わる。実に、高い意識に達した人の理知は、速やかに安定する。

確立した状態にない人には、理知もなく、安定した想念もない。安定した想念のない人には平安がない。平安のない人にどうして幸福があるだろうか。

心が、さまよう五感に支配されるとき、その人の理知は五感によって奪い取られてしまう。あたかも、水面の舟が風に運ばれるがごとくに。

したがって、武勇に優れた者よ。五感のすべてを、その対象より退かせた人は、その理知が安定している。

万物にとっての夜においても、自己を制する者は目覚めている。万物が目覚めているときであっても、賢者(見る者)にとっては、それは夜に等しい。

川が永遠に満ちた不動の海に流れ込むように、すべての欲求がその中に流れ込む人、そのような人は平安へと至る。しかし、欲求に固執する人は平安を得られない。

一切の欲求を捨て、「私が」とか「私のもの」という思いなしに、渇望することなく行動するとき、その人は平安へと至る。

これがブラフマンの状態である。これに至った人は迷うことがない 。そこに立脚するならば、たとえ臨終の時であろうと、人は、神聖なる意識における永遠の自由を獲得する。



http://www.tmland.ne.jp/gita/ から引用、校正かけて、少し字数を減らしてます。

2019/02/20 11:30

『バガヴァット・ギーター』第1章
アルジュナが見たのは、叔父、祖父、師、母方の叔父、兄弟、息子、孫、そして多くの友人たち。

また、両軍に分かれた義父や朋友たち。そのとき、アルジュナは、これらすべての親族が立ち並ぶのを目の当たりにして、この上ない憐れみにとらわれ、悲しみに沈んで、こう言った。おお、クリシュナよ、戦おうとして集まったこれらの我が親族を見ると、私の手足は萎(な)え、口は干からび、体は震え、髪は逆立つ。

弓は私の手から滑り落ち、全身の皮膚は焼けるように熱い。私は立っていることもできない。私の心は渦巻いているかのようだ。

おお、クリシュナよ、私には不吉な前兆が見える。しかも、戦って親族を殺すことに善を見いだすこともできない。

おお、クリシュナよ、私は勝利を望まない。王国も、快楽も欲しくはない。我らにとって、王国が何の役に立つというのか。喜びが、いや命でさえ何になるというのか。

これらの人々のためにこそ、我らは王国、喜び、安楽を望むのだ。それなのに、その彼らが命も財産も打ち捨てて、今この戦場に立っている。

師、叔父、息子、祖父、母方の叔父、義父、孫、義兄弟、その他の親族たち。

おお、クリシュナよ、たとえ自分自身が殺されようと、私はこれらの人々を殺したくはない、たとえ三界の王権のためであろうとも、ましてやこの世界のためであるならば。

ドリタラーシュトラの息子たちを殺したところで、我らに何の喜びがあるだろう、クリシュナよ。この侵略者たちを殺しても、我らが得るのは罪だけだ。

だから、親族の息子たちを殺すのは、我らにとって正しいことではない。自分の一族を殺して、どうして幸福になれようか。

たとえ、彼らの心が貪欲(どんよく)のために曇らされ、一族を滅ぼすことの悪を見ず、友を欺くことの罪を見ないとしても、

一族を滅ぼすことの悪を、はっきりと見ている我々が、この罪を回避するすべを知らずにいてよいはずはない。

一族が崩壊すれば、家族に古くから受け継がれてきた諸々のダルマが失われる。家族のダルマが失われると、アダルマが一族全体を支配する。

アダルマがはびこるとき、クリシュナよ、一族の婦女たちは堕落する。そして、婦女たちの堕落に伴い、秩序の混合が生じる。

一族にとっても、その破壊者にとっても、この混合の行きつく先はまさに地獄だけである。先祖の供養がやむとき、その祖先もまた落ちていく。

一族の破壊者のこのような罪悪は、秩序の混合を引き起こし、太古より受け継がれてきた、秩序のダルマと家族のダルマが消滅する。

クリシュナよ、家族のダルマが消滅した人々は、必ずや地獄に住むことになる、と聞いている。

ああ、我らは何と大きな罪を犯そうと決意したことか、王国の快楽をむさぼり求めて、自分たちの親族を殺そうとするとは。

戦いになっても、武器をとらず抵抗もせずに、武器を手にしたドリタラーシュトラの息子たちに殺されるほうがましだ。
合戦の時に及んで、このように言い終えたアルジュナは、弓も矢も放り投げ、その心は悲しみに圧倒されて、戦車の座席に座り込んでしまった。

2019/02/20 11:29

○Power フリーエネ。

本当の話しだろうか?

碌な予測しか立てていなかったが、これが真実であればガラリと変わる。

エネルギー革命ですね。


子らに幸多からんことを。

2019/02/15 21:27

Goldberg Variation

Rosalyn Tureck さんの演奏が一番好きです。但し、57年のモノラルなんですけど。これ以外はいりません。シンプルにして素朴。何と彼女はアメリカ人。まさかアメリカ人から!?...の出来栄え。晩年のものは、自由度が増し、少しスピードがボクには早すぎる...。


残念ながらヨウツベからは消えてしまってますね。

お名前だけ憶えてあげてください。

ロザリン・テューレック

https://www.youtube.com/watch?v=4PSUL_aRGZU&index=6&list=PLMiS1FMrkFkUlbc0HYaoSASehi8Aq4cyy


ps.グールドは自分には合いません。

gatehiro

2019/02/13 19:06

gatehiro

2019/02/13 19:01

よっく言い聞かしたの。

「さあ、かき集めてきなさい」って。


後、下ろすまで大枚かき集めて寝かしてた。

バカにしていた妻も密かにくべてくれてたのが笑わせる。

パピーズは忠実に答えてくれた。


本当にすっから貫太が長かったのです。


原付で走ってて道路に手袋が落ちていたら引き返して拾いに行っってた...

「恵まれものー」ってな感じで。冬場の話し。

gatehiro

2019/02/10 21:17

gatehiro

2019/02/10 21:14

今日、財布拾った。

教会からの帰り道、お財布拾いました。不思議なのは、今日から買ってあった新しい財布を使用に踏みきろうと考えて歩いていた最中のことだったから。沢山入ってそうなので、ドキドキして帰った。これを吉祥と思い、中身の詰め替えを行い新たな財布にしてから、警察に届けに行った。


財布にまつわるエピソードは、「如何に..」の方でいつかやりたい。

ハッシュパピーの子犬たちが大活躍の話し。ヤンないかもしれない...

上でやった。


ps.:新しいのもハッシュです。

2019/02/10 20:10

アイコン変更
ゾフィー & クリステン

gatehiro

2019/02/10 08:46

gatehiro

2019/02/10 08:43

gatehiro

2019/02/10 08:42

gatehiro

2019/02/10 08:40

....

舐めたら、甘いのかしら?


gatehiro

2019/02/07 23:37

gatehiro

2019/02/07 23:37

アザちゃん2

少しでた。w


gatehiro

2019/02/07 23:31

gatehiro

2019/02/07 23:31

アザラシのアザちゃん1

無機的な巨大電算機のイメージでいきたい。

それも、スタンドアローンのニューラルでw!!!。

矛盾が味噌さ。→つまりは即時忘却。←だから白痴。

関係性はえんたんぐるで突飛にアレコレと瞬間だけ結びつく。


おぞましさをどうするか?


「なべての無限の中核で冒瀆の言辞を吐きちらして沸きかえる、最下の混沌の最後の無定形の暗影にほかならぬ―すなわち時を超越した想像もおよばぬ無明の房室で、下劣な太鼓のくぐもった狂おしき連打と、呪われたフルートのかぼそき単調な音色の只中、餓えて齧りつづけるは、あえてその名を口にした者とておらぬ、果しなき魔王アザトホース」(『ラヴクラフト全集 6』、173頁より)

gatehiro

2019/02/07 23:29

gatehiro

2019/02/07 23:27

シトリン追加
これはCGか?

gatehiro

2019/02/07 23:26

gatehiro

2019/02/07 23:25

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