インターミッション⓷ ラスト 16/*。
やはり逆境が人間を[鍛える/変える/成熟させる]のは確かなことだろう。
環境が人間を造る。「結果的に」ではあろうが。
ただし、やはりこれも、二つの方向に向けてになると思う…。
この世において強者ならんとして、生き抜くための処世術の全てを身につける。
他人の頭一つ、二つ、いや三つ抜きんでて、絶対的に有利な立場を押さえることに精を出す。
人の気付かぬことに気づけ。
またソレを利用して、いかに儲けにつなげられかを考えよ。
資金をプールするんだ。
金だ金!。金は全てを解決する。人は金の言うことならんなんでも聞く。
現場だ現場!。直接己が五感をもって世の動きをとらまえよ。そしてそれを誰にも話すな…。
これは人格、つまりは
”外に向けて”の実践の為のプログラム。
それの[洗練/強化/高度化]の道。
これはこれで実利的で実践的で必要なモノなんだけど、
所詮は”非自己”たるもののお話し。
ただの道具。
持ち込み/盗み/編み込み/練磨した、つまりは高度に仕立てた外装でしかない…。
話を戻せばっ!、
大体がだっ、誰が好き好んで過酷な環境に身を置きたいと思うだろう?。
ここには強制がなくてはならない。誰かがプロモートしてくれないとやれない。
信頼を寄せ、安心して苦悩( Suffer)するためにもこれは神でなければならない…。
決定的な事柄とは、イエスが来られて殉教をもってご自身を渡されたことにある。
神ご自身が手本となられた。それも人身に身を納めた上で!。
そして、それで、やっと、イエスを受け入れた者ならば彼の後を行くことが可能になった。
受苦が、立ち現れてくる十字架の道が、初めて意義のあるものと飲み込めるようになった。
転載:
あなたの前に、彼は十字架を背負って歩み、
そしてあなたの為に、そこで死んでくださっている。
『あなたも自身の十字架を担うこと、
そして同じくその十字架において死することができるように』と…。
もしあなたが、彼と共に死ぬなら、あなたは彼と共に生きる。
もしあなたが、彼の苦しみを同じく受け入れるならば、
あなたは彼の栄光にあずかることとなる。
人格が本質を[理解して/大切に思って/愛して]仕えてあるのが正常だと思う。
これは『良心(霊)』を尊んでの話に究極なる。
その為に向上努力するなら立派な話でしかないのだが…。
良心は現代の人間においてはかの名高きアトランティスのごとく沈没してしまっているらしい。
でっ、結果この外に向けてのプログラムが絶対的な[I]として立ち上がり、
真の主人(良心)の意を介ざす、独走するようになってしまった。
情痕として刻まれた[快/喜/満足]の一つ一つのレコード(記録/記憶)が、
まるで意思を持つかのようにして意識を乗っ取ろうとしてくる。
再度/もっともっと味わいたいのだ。先にはもう貪りしかあり得ない。
更には強烈にして反自然な、不道徳な行いにおける情痕があれば、
それが異界の窓となり、アレ等を呼び込みんでしまう。
そして憑依されてしまう。
とどのつまり、人格とは、エゴとは、ケッタイなモノたちの巣窟と成り果てるわけだが、
それでも[I]として、一つとして、自分を意識してしまうのはもう錯覚でしかない。
レギオン…。
*上の話は全て個人的な[空想/妄想/デタラメ]です。
〈続く〉
筋肉を強化する為には負荷をかけた反復トレー二ングを行うしかない。
これがモデルになる。
厳しく辛い仕事を嫌んなるぐらい何度も何度も行う。
すると、いつの間やら苦もなくこなせるようになってしまう。
基本ここにある原理を活かすしかない。いいことにおいてネー。
間違っても”薬”に縋る(手っ取り早くやっつける)ようなことをしてはいけません。
これは喩えとしての話である。