日々ログ

サンバ②
この本は二回読んだ。最初は高二の時。事前に、なんかの雑誌の紹介では「現代のドグラ・マグラ」なんてレヴューがあって大いに関心を寄せていた。実際すごい没入感をもって読んだ記憶がある。感受性が豊かな時期だったのか「どっぷり」その世界に引き込まれてしまったような…。ただ初読では消化は追いつく訳が無い。長い時をおいて無性に思い出され、改めて読むべきとの思いを持った。今度こそしっかりその世界の成り立ちを読み解こうと思って挑戦した。

幼き頃の、あの『黄金の時代』を取り戻さんとする動機は痛いほど分かる。年を経れば、心は致しなく厚い「瘡蓋」で覆われていってしまう。感受ではなく、だたの記憶の再起がその役割に代わる。自分の考えなどではまったくない、世間に溢れる言説を、あたかも我のものとして思うようになる。不満や焼き付き/焼き焦げが、個我の先鋭化/硬直化を引き起こしていく。

これは、何人たりとて免れる術は持ち得ない。

みんな「私」と言う名の牢獄に繋がれるようになる。


この事態からの脱出奮闘記であることは間違いない。これをテーマにするということ自体、トンデモナイ挑戦だ。二回目の再チャレンジの時には、ボクはもうGや禅の教えに触れてしまっていた。だから、読んでいるうちに、作者が可愛そうに思ってしまった。観念、思念、哲学ではどうしようもない事柄なのだ。なぜならそれらは過去の記憶の再起、その統合/組み合わせでしかないのだから。マインドをもって、マインドの檻を破る事は適わない。

情報時間空間という概念自体も心の考案である。

それらはあるには在る。だが語られる前に、それらはしっかりと(寸分の分かたれもなく)経験されなければならない。もし言葉が有り得るとするならば、自然とそれは口をついて出るものだろう。

しかし、それを発したものは今はもうどこにもいないのだ。


脱出は○を経るしかない...


〈了〉

2018/08/28 12:57

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