少し説明...
「主客の二元性が破壊され、神の子を最上位の中継としての三元性への再編成がくる」。
『何のこっちゃ?』やろね...。「ゴメンなさい」です。
主客二元が普通の状態です。
私は彼女を好む、私はあの仕事が嫌いだ、私はサッカーの観戦が好きだ、etc。
S+O
では、自分の生活の中で、絶えず神の存在を意識することは可能か?。
それも最上位の、絶対的な裁定者(価値)として。
S+O+Ω これが三元の意味。
私が彼女と、いちゃついている中、彼の存在を『紳士たれ』として意識する。
私が、あの仕事を嫌々やっている時、彼は見抜き、『それではダメだ』と介入にて存在を表す。
私が、理由なく批判にさらされ、怒りに燃え上がりそうになる時、主に「側へ...』と乞う。
もう好き勝手はできなくなってしまう。窮屈すぎて無理はある。
でも、無理も何も、意識しようがしまいが、その方はいつもそこに働かれているのが真実である。このことの認識だけでも価値はある。
『絶えず祈りましょう』は、『絶えず、今、ここにおられる方を意識しましょう』でもあると思う。
これは『自己想起』への、誰にでもできる、一番簡単で、唯一の、修練かもしれない。
誰からも見捨てられない限り、生半にはできませんね。
繰り返しますが、えらい窮屈なもんです。しかし信徒として努力は続けてきています。
結果、感謝をする機会が格段に増えました。バイクで無事に家に帰っても....
窮屈というより、安心するに変わりつつある。