年寄りなのでもうみんなに労られてへらへら生きたい!!

>至道先生は……じゃああまり世界に対してあきらめてはいらっしゃらない?


ぼくは「世界をあきらめる」「世界をあきらめない」という二元論で考えたことはないかもしれません。

佐々木先生がよく持ち出される「ぼくと海猫沢さんとの対談」で、海猫沢さんが世界に対して「絶望しきっている」「すっかり絶望している」と何度も仰っていましたよね。たぶんそのイメージに引っ張られていると想定するのですが、それは海猫沢さんのご意見です。
そりゃぼくとて血反吐はくほど絶望したことは一度や二度じゃ済みませんけれども、幾ばくか限定された範囲内・時間内のことでありまして、全体として世界のすべてを絶望しているとか、あきらめているという風に二元論的にはとくに思考しておりません。

なるべく今の気持ちを正確に言うと、「まぁ、いいんじゃないの」とか「そんなものですよね~」みたいな感じでしょうか。
世間様が憤慨していたり、メディアで怒りが充満していたり、一部の人が高らかに声を上げていらっしゃっても、ぼくのほうは基本は何でも「オッケーです!」と受け止めております。
世論の動き、さまざまな報道、政治や経済や金融や外交に関するさまざまな危機……そのすべてが興味深いです。そして自分は、そろそろ間近に見えてきた世界的金融危機、地域紛争のような出来事、インフレや災害などに向けて、ささやかですが可能な範囲で備えをしていますので、世界のすべてを観客席にいるような気持ちで拝見させていただくことができます。

その対談では、ぼくは「核戦争が起こってどれほど世間が大変なことになっていても、ぼくだけは肯定してますよ~」みたいなニュアンスのことを書いたように記憶しています。
ぼくと海猫沢さんは同じ考えのところもあり、まったく正反対のところもあり、要するに別の人間なので意見も違います。海猫沢さんのご意見と、ぼくの意見を混同しないようにお願いできましたらと思います。大筋として海猫沢さんは命には重要な価値があるという万人共通の価値観を持っていらっしゃるのではないかなと思いましたし、一方でぼくは人間には等しく(教育されているような)価値はないという大前提に立っていますので、根幹は違う部分が小さくないかもしれないと思いますよ。
誤解を恐れずざっくり言うと、「文学の方」と、「商売人」という違いがありそうに感じます。

ではご質問を返すようですが、佐々木先生は世界に対してどのようなお考えを抱いているのでしょうか?
世界が嫌いですか、絶望していますか、愛していますか、世捨て人みたいに生きていきたいですか。

コメントを受け付けない設定になっています。

プロフィール

佐々木禎子(ささき ていこ)
作家。
札幌出身・東京と札幌を行ったり来たりしています。
1992年雑誌JUNE「野菜畑で会うならば」でデビュー。

更新中のテーマ

完成テーマ

完成テーマはありません

アーカイブ

ページトップへ