年寄りなのでもうみんなに労られてへらへら生きたい!!

>「引きこもる」のも、「何でもやってみる」というのも、表現手段の違いだけではないでしょうか?
たまたまぼくは今の表現手段を選んでいるだけで、ドロップアウトして引きこもっている人とそれほど変わるとは思わないですね~。

そうなのですか? そうなのかな……。
と、じっと考えてみて「そうなのかも」と思いました。

A「ドロップアウトする」とB「弱肉強食の世界に関わる」は相反するものでもなく、AはBに含まれることもある……みたいな……。

死なない限り生きなくてはならないというか、死なない限り最低限「いまの社会」に含まれなくてはならない。それが生きていくことだからみたいな理解になって、なぜか切ない気持ちになりました。あれ、なんで私は切なくなるのかな……。

海猫沢さんは世界を憎悪しているような部分もあるのかもしれないですが、至道先生は世界と世間に関してはもう諦観の境地なのですか?

……私はなにを聞いてるんだろうという気にもなる質問だ。

小説を書きはじめたごく初期に気づいたことは、私はあまり世界が好きではないし世間もそんなに好きではないですしおそらく根本は人間もそんなに好きではないのですが、それでも人類愛はあるし世界も世間も愛おしいと思いたいなあと、強くそれを希求して生きているようだ……ということでした。
書いてみて気づくというのも、ぼんやりとした話です。
あんまり日常に生きてて、世界をどう思ってるかなんて気にしている暇もなかったので、小説を書いて「へー、私はそういう気持ちでしたか」と他人事のように感じたのでした。
至道先生は、もう十代のときには、好き嫌いを把握し心の形とか思考の形とかも固まって、どう生きていくかも、決めていた……んですよね。

すごいなあと思うけれど、どっちかっていうと私のほうが疎いというか、とろいだけなのかな、これは。

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プロフィール

佐々木禎子(ささき ていこ)
作家。
札幌出身・東京と札幌を行ったり来たりしています。
1992年雑誌JUNE「野菜畑で会うならば」でデビュー。

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