放射線の皮膚の爛れは「皮膚が重なっている箇所」が強く出ます。

放射線技師の方に「これは……ひどいね。痛いよね」と後半、毎回同情されていたのですが、どうしてもその部分に照射しないと治療の意味がないので最後まで左乳房下部は爛れた続けたままであった。

この「皮膚が重なる」って、まあ、乳房の下乳問題などもありますが。

私の場合は「術後の手術痕の、引き攣れ」です。

三回切ったからっていうのもあるのかもしれないです。というより、それなんだろう。短期間での三回の手術なので、一回目、二回目の切断箇所とは違う皮膚を切らないとならないからね。
で、直後の腫れているときは気づけなかつたのですが(それどころじゃないというのもありますし)腫れが引いたら、これが見事に引き攣れていた。

裁縫されるかたには伝わるかな。
スカートなどのダーツの、根元の折ひだがありますよね。

ああいう感じに、私の皮膚の一部にダーツが形成されて、おりたたまれる形に重なってしまったんですよね。

放射線とはちょっとずれる話題ですが、放射線の話題でもある。
そのダーツ部分、引き攣れた箇所の爛れがとりわけひどかったのである。

放射線照射の際、傷口についても自分で事前チェックして、皮膚の引き攣れなどありましたら、気にかけておいてください。
一番はやくに爛れが出来て、最後まで爛れるのはその箇所です。
なので早めに気づいて、塗り薬の処方出してもらって、対策を。
ヒリヒリしている段階から医師に申告したほうがいいですよ。

2017/07/25 11:12

昨日今日となんとなく食べたいものを作って食べている。のんべんだらり。調味料が適度に残ってるのでそれを使い切りたい料理シリーズ。

ハチミツを隠し味にした豚の生姜焼き。
それから、過去に札幌のお店で食べた林檎のピクルスが美味しかったので挑戦してみた。
記憶しているお店の味にはならなかった。スパイスかな。もう少し甘みを入れるべきなのかね。でもピクルスとして美味しいのでいいです。ピクルスはなじんできたら、より美味しくなるしね。だいたい食べ終わる頃が一番美味しい。

桃の時期の定番。桃とモッツァレラのサラダ。美味しいオリーブオイルを買ってきたので。このサラダのキモはレモンの皮なので国産レモンを桃と一緒に用意する。
桃はなにしても美味しいね。

塩豚を仕込んだ。ちょっと塩が少なかったかもだけど明日あたりオリーブオイルでじゅわーっと焼きます。付け合わせは野菜のグリルにする予定。

書きだしてみると「私は果物が食べたかったのかな」という感じですね。
果物と肉が食べたかったのかな、この数日。いまは果物欲が満たされたので満足。

2017/07/24 19:26

(※以下、ぼくの書き込みのコピペ②です)



念のため誤解なきように、ごくごくちょっとだけ補足を申し上げておこうと思いまして書き込むわけですが、ほんの一文に過ぎないのですぐ終わりますけれども、この宇宙を創り出している者がいると書くと神の存在を指摘しているのかなどと疑われかねないわけで、ぼくは何もそのようなことを申し上げているのではなく、我々を取りまくすべてのこの宇宙は0と1で書き表せるものにすぎないわけでありまして、物体や液体のみならず、我々の思念や空想まで含めて数字で書き表されるもののわけで、この空間が0と1の集合体であることを排除する理由は一つもなく、そしてこの空間を創り出しているとぼくが指摘した存在(いわゆる上位世界のようなもの)ですらまた別の0と1で書き表されるもののわけでありまして、我々のこの宇宙にももうすぐシンギュラリティと名付けられた高知能AIの登場が待たれるわけですけれども、その知能とその時代最先端の記憶媒体があれば我々の宇宙すら別の宇宙を創り出すことが可能になるわけでありまして、その非常に些末で粗末な先達としてはシムシティやそういった箱庭系ゲームやMMOロールプレイングゲームに類似の片鱗が見いだされ始めているわけでありまして、それが仮に大宇宙になったとしても実のところ我々が考えているほど大規模な記憶媒体は必要なく、そもそも我々の認識こそが我々が手にしている宇宙のすべてでもありまして、宇宙の果てなどどこにもなく、我々が宇宙の果てを見ればそれが宇宙の果てになるというだけの単純な仕掛けにすぎず、月を見れば月があり、太陽があれば太陽があり、その先の別の星を我々が見れば星が現れるシンプルなプログラム上の組み立てなのでして、いずれこの宇宙も無量数の別の宇宙を創り上げていくわけでして、その意味からすると上位世界も下位世界もへったくれもないわけでありまして、我々も想像を絶するレベルのAIが出てくるともはや宇宙と宇宙の境界線まで突き破ることもできるわけで、しょせんは0と1の数字の羅列にすぎない物事のすべては、結局のところ0のようなものであり、そこには神もへちまもなく、要するに何が言いたいのかと申し上げますと、生命の連続性というのはまぁ連続と言えば連続なのだと言葉尻で無理やりこじつけ哲学者を気取りしたり顔をするのもまた乙なものではありますが、本質は別に何も連続していないのが極点なわけで、最終的には一つなのだよと申し上げておくべきであろうと思いまして、非常なるおせっかいであることは重々ぼくとしても承知している次第ではありますけれども、このような書物をまとめるにあたっては大衆迎合は避けつつ、ある意味で人間が示すところの神のようなものとして果断なる断定を下すのが本筋かと思うところではありますが、事は売れる売れないという実に些細極まる我々の目先の事柄にも絡んでくるものでもありまして、宇宙の真理と本の販売という極端から極端へ触れるのもまた愉しいものだとは思いつつ、要するに本書にかかわる関係者の皆さまがたと愉快なときを過ごしつつそれなりに皆さん黒字化してくれれば宜しいわけで、架神さんのようなバランス感覚の持ち主であれば上手い釣り合いを見つけてくれるのではないかと思う次第であります、よろしくお願いいたします。

(※以下、ぼくの書き込みのコピペ①です。)



以下はぼくの勝手な話なので、超・完全スルーでいいです。横からちょっと自分の考えを書いておきますって程度ですので。


>生命の連続性


この「生命の連続性」という類の抽象的概念が幅を利かせていますよね。しかもこの生命の連続性なるシロモノは、社会的正義・政治的正義と大いに合致しているから始末に置けないところがあると感じていました。

自分、そういう政治的正義が絡んだものは胡散臭く見てしまうタチで、いつもならその時点で思考を放り投げてササッと身を隠してしまうのですが、ここでは作品作りということもあるため、自分が思うところをつらつらと書いてみます。


ラッセルさんは体制側の方なので、この生命の連続性という視点は、哲学として言い切ってしまっているように思います。

ですがこの問題は哲学であるべきじゃなく、究極的には科学として究明されるべきじゃないかと思うのですね。哲学0%、科学100%の割合で検討されるべき議題かなと思うのです。


そこで遠大な連続性ということを想定したときに、そもそも人はどこから来てどこへ行くのかみたいなまるでNHK特番チックでこれまた胡散臭いロマンチックな話になりがちなのですが、そうじゃなくて、自分はこのあたりは量子論が答えに近い(少なくとも現時点の科学では)と考えていまして、その観点からいくと、歴史というのはそもそも一方通行じゃないわけですよ。過去も未来も現在も、直線状に、一方に流れているものではなくて、一つのプログラムとして描き出されたものが我々の目の前に提示されているだけであって、連続性なる視点が科学的に間違っているのではないかなと思えるわけです。我々の意識は漠然とした連続性があると思いこむようにプログラムされているかもしれませんが、そこが究極的根源というわけでありません。


今回我々が取り組もうとしているのは人生のゲーム化ですが、実際のところ本当に我々の現実はその手のシロモノでもありまして、宇宙は無限大に存在していて、どこかの何者かが無限の宇宙を勝手に創り出していると想定されまして、もしかしたら未来の誰かのスマホみたいなもののなかで100恒河沙もの宇宙と、そこに住む生命の意識が、とくにスマホの持ち主の意志などに関係なく、勝手に生成され押し広げられているだけではないかと考えることもできまして、プログラムですから過去とか未来とかぼくらが意識しているものも架空のものである可能性だって検討せねばならないわけで、何はともあれ巷で跋扈する「生命の連続性」なるシロモノから、政治性は排除すべきであり、真相を突き止めたければ哲学や宗教など介在させないべきであり、科学としての視点から着実に検討を重ねていくべきではないかなと思うわけです。


一種の基地外じみたお話だと受け止める人もいるでしょうし、どう受け止められようと別に構わないのですが、幸福なるシロモノを追求していくのならば、哲学と科学を平行したほうが、少しでも近いところに到達できるのではないかなという気もするわけです。まして生命の連続性という命題になってくれば、それは科学として見つめられるべきものであると考えるところであります。

>そうなってくるともう本当に「人生とは……」となってしまいます。


ちょうど佐々木先生が輪廻転生の話も出されたので、ぼくがトークメーカーで架神さんとのやり取りのなかで前に書いた内容を次にコピペしておきますね。

別の議論のなかでの書き込みなのですが、まぁだいだい合ってるので。

>「人生自体が必要ない派」
そうなってくるともう本当に「人生とは……」となってしまいます。
至道先生の生き方は私にはとても難しい……。おっしゃっていることのとっかかりとか、手触りとかはわかるような気がするのですが、でもちゃんと把握できてないなー私はなーって思います。

東雲さんのは一気にSFですね。

私、生まれかわりたくはないんですよね。輪廻転生みたいなのはもう勘弁してくれと思ってます。
あと、悪いことしたら墜ちる系のやつだと「畜生なことをして畜生道に落ちて、金持ちの家でちやほや生きる猫か犬になりたい。もう人は、いいや」って考えてます。畜生道最高!!

……老後の話じゃなく来世の話じゃのう、おばあちゃんや。

ひとりで老後を過ごすのはけっこうつらいような気もしますね。
友だちでも夫婦でも恋人でも兄弟姉妹でも、誰かが欲しいような気がします。
not子ども。
親子関係はどこかで解消したほうが、なんとなくいいもののような気がする。
それは私の家族の問題で、一般的にもそうなのかどうかは、わからない。でも親を抱えるのも、子どもに抱えさせるのも、いやですね。自分が。我が儘ですかね~。

オンライン歌会に参加しました。


みんなで感想を伝えあうのがおもしろかったです。


私は小説だとどうしても描写が過剰になりがち。

伝えたいがゆえに長く説明したり、情景や台詞をたくさん書いて足していくので、削ぎおとすこと、研いでいくことで「伝えよう」とする姿勢がまず勉強になりました。

参加してよかったです。


感想の部分での「もったいない」という言葉にハッとした。

そういう発想はなかったので。限られた文章の数のなかでは「このイメージを伝える言葉がふたつ入るのは、言葉数が、もったいない」という考え方になるのかーって。


私に必要な考え方だ、それ。

伝えたいがゆえに吟味しよう。削ごう。研ごう。


ありがとうございました。



2017/07/23 23:21

心の相方・金丸マキちゃんに乳がん日記についてなどのメールをもらった。わーい。わーい。

まだ七月は続きますが私のなかでもう今日で七月は〆切りました。はやいな。
ノベルス一冊書き下ろし初稿と改稿。打ち合わせいくつか。プロット一本(リテイクだしきたので来週からやる)。先月書いた文庫の大幅リテイクきたので来週から組み直しと見直し。表に出せない仕事のプロットけっこうたくさんをやった。
原作したコミカライズの漫画出していただいたので、サイン会イベントをやっていただきまして読者さんたちともご挨拶できました。ありがとうございます。良い七月でした。私にしては働いた。だから旅には行けない七月だったな……。

資料読みとつんどいてる本を読んで頭を一回リセットさせて来週から気持ちとして八月に移行しようとと思います。もう七月は飽きた。という生活をすると、だいたい、世間とずれていくのだが、まあいいや。

札幌にいく飛行機の日時さえ間違わなければいいよね。


大幅改稿になった原稿。何年かに一回こういうのを出してしまうこの数年なのですが、最近さすがに理由がわかってきています。これ「疲れている」と出てくる手癖です。担当さんすみませんと思う。自己管理できてないんだな。

こんなにふわふわした話ばかり書いている私ですが、もうこの十年以上は、原稿書きだしたらずっと朝から晩まで原稿のことだけ考えて生きてるのでした。というかそういうやり方じゃないと書けなくなってしまった。世界とキャラのことをえんえん考えていて、現実世界と折り合いがつかなかったりの、まさかの憑依形というかですね……。
あんまり作風と合致してないんですけどね……なにも憑依してなさげですよね。ゆるーい話ばかりで。
でも、入り込めないと書けないんですよ。
なんでなんだろうなあ……。
実際に原稿書いてる時間よりぼんやりと脳内とキャラこねてる時間のほうが長いので実労時間なら一日四時間か五時間くらいなんですけどね。と、かがみさんの「四時間にしたいんだ」の主張を見かけるたびに思っている……。

熱心にプロットを作るのに、書きだしたらぜんぜん違う話になったりするのもこの十年くらいずっと。じゃあなんでプロット作るのさみたいなことも自分にツッコミますが、プロットないと、書き出せないのもたしかなのであった。効率悪いのでいろいろとまたかえていきたい部分もある。

とにかく「憑依」というか「考え続けること」だけの体力と気力がないと散漫になっちゃうらしくて、疲れてるといかんのですよ。


私にしてはこの数年仕事量が多いのです。だから疲れが蓄積しているのです。
こんなご時世にきちんと〆切りのある仕事をいただけるのはありがたいことですし、ひとつひとつにきちんと向き合いたいので、七月は一回ここで閉めきって、残りは七月のオマケの日とします。キリトリ線をつけました。オマケの日は切って、ノリシロして、八月の頭にあとでくっつけてワープさせる。

強制的な休みを入れる方法もこの数年で取得した方法のひとつなので。
それしないとなにもかもが混沌としていくので。


なんだかお恥ずかしいお話ですと思うのでした。こういうのを書くのは恥ずかしいなーというなにかがある。でも、書いて出してしまうことで自分が精神的に気合い入れるみたいなマイルドヤンキーなケジメ?  みたいなのもあるよね。あると思ったので書いてみた。
でも「そんな大層なもん書いてるんかい、あんた」と自問するよね。
大層なもん書きたいですな。
がんばろー。 ← シメの言葉。

2017/07/21 20:52

放射線。治療を受けていながらも、私は、あまりよくわからない放射線。
どうやら、遺伝子に作用して、細胞が増えないように、あるいは、新しい細胞に置き換わるときに新しい細胞が出きないようにするらしい。
そういった放射線の働きを利用して、がん細胞を減少させる。

X線、γ(ガンマ)線、電子線などがあるとのことです。
陽子線や重粒子線による治療も一部の施設で行われているらしいですが、その効果の差は私にはわからない。検索などはしていないのですが、その後、放射線治療についてはなにか前進や変更はあるのかな?

病院にいって照射するので、土日祝日はお休みで、それ以外は毎日でした。
というわけでだいたい一週間に五日ペースですかね。どれくらい照射するかは人によって違うので通院日数も人それぞれです。

切らないで治療ができるのは利点です。

注意点として「温泉に入ってはいけない」。というのを言われた。

副作用のひとつは「疲れる」。
数日では気づかないんですが、疲労度は蓄積しますね。白血球値も下がるらしいよ。でも抗がん剤に比較するとそこまで急激に白血球の数値が下がるわけではなかった。私の場合。
通院の疲れもあったのかもしれませんが、放射線通院の時期と、そのあとはとにかくやたら昼寝してた記憶があります。疲れたので。

人によっては吐き気が出る人もいるそうですが、私はそれは平気でした。

で、放射線で一番つらかった副作用は「皮膚が爛れる」です。

爛れる……ただれるのよ。
湿疹とか、赤くなるとか、そういうのではなく「爛れる」のです。
最初のうちは大丈夫だったのですが、一定期間を経て、赤くなり……そして皮が剥け……痛いし、倦むし、じくじくして、お薬をいただいてケアはしましたがずーっと爛れ続けてました。

爛れるからといって、その箇所に照射しないとならない以上、どうしようもないので。
放射線照射を終えてからもしばらく薬を塗り続けてました。

あの皮膚の状態は、なんとも言えない見た目と痛さでしたね。

2017/07/20 20:11

昨日は打ち合わせでした。

毎年夏になるたびに「夏は苦手だ」と思う。

2017/07/20 11:48

身体に直書きされる「なかなか消えないインク」。

消えないのに衣装とか下着にはいろがうつりります、とても。
私、あんなに汚い下着つけていたの人生であの時期だけだよ……。

というくらいインクの色うつりのするよれよれの下着で暮らしていたよ。
シャツとかにもつくので、直に羽織るのもいやでしたし、あと、下着があるほうが傷口の補助になって軽くぶつかったりしても痛くないので。

というわけで「この放射線が終わったら下着は捨てる」と思って。

使いまくって「ありがとうございました」で最後に捨てました。本当によろよろでぼろぼろにしたので。インクはね、漂白しても色が落ちませんでした。赤い線がたくさんついている汚れたとしかみえない下着をずーっとつけているのはいやだった。

KEA工房

ホスピタルブラよ。きみにはとてもお世話になりました。
また次があることになったら、お世話になることでしょう。

そして放射線は……痛い……とても…………痛いことがあるのだった。
ぼちぼちと語ります……。

2017/07/18 22:34

ヒトデさんでもOKですよ(・∀・)


うちはもう実家とはほぼ絶縁状態ですし、相談する必要もなにもないですね。お願いされても聞き入れる理由もない。


現在の肉体は、現世をゲームサーバーと仮定すると、PC(プレイヤーキャラクター)ボディなんですね。プレイヤー(魂)が入るための器。なので死んだらもう用済みです。(だからといってぞんざいに扱っていいとは思ってないですが)

せいぜい、連れ合いが生きている間ぐらいは話しかける対象として、ジェムなりプレートなりがあればよくて、夫婦両方が死んでしまえば、あとは普通の廃棄物になるだけ、みなさんにご迷惑もかからないという仕組みです。

そしてまた新しいPCボディでこの地上に戻ってくる。それだけの話です。

自分は「人生自体が必要ない派」ですね~。

こだわりが一切なくなって、チャレンジ精神もかえって旺盛になります。


爆発葬面白いです!

核爆発葬とかもいいかもです。

死んだ先の満足など興味ないので、その辺に撒いてもらえれば個人的には一番好ましいんですけどねー。



>親が私に望んでるのもそういうのなんですよね。一番安くあがって、子孫がいなくなっても特にたれも困らないみたいな形にしてくれって。


非常によく出来た親御さんだと感じます。

宣伝漫画というジャンルが進化しているらしいのが日本だよという講座みたいな、勉強会みたいな、講演会みたいのにいったことがあるよ。

ネット広告で、文章や写真だけの広告を打つより、漫画広告が入るほうがあきらかにクリック率が高く、広告をちゃんと読んでくれるという数字が何年か前にとれている。

おそらく漫画を読んできて大人になった層が、いま。ネット広告を見て購買してくれる層と合致しているからではないかという話です。

文章だけだと最後まで読んでくれる率が下がるらしい。


というわけで「広告漫画」は実はけっこう「描き手」をさがしている。うまい絵の人、漫画力のある人を募集している。ちゃんと食ってけるだけ仕事がある人もいる。ただしある程度以上うまいひとは「広告ではなく、オリジナルの漫画を描きたい」と、そっぽをむくとか、あとプライドが保てなくてやめてしまうとか、いろいろあるみたいなことも聞いた。

あまりにも癖がある絵の人は広告漫画には向かないそうですが。


今後はスマホでネットを見てそこに広告がはいってくるのでしょうし、広告や実用ものを漫画でという展開は増加テイクでしょう。

ただし、これもその会場で聞いたことですが「日本特有の現象であり」「世界では、漫画は大人が見るものではないという認識が高いため、市場は日本限定になり」「だとすると上限は、どうしても見えてくるのでそこがこれからの課題」ということでした。



ゆうきゆう先生の座談会のテーマとずれる感じもするし、別に私がそこに入る必要も感じないので日々ログに書いておく。

2017/07/18 14:27

ジェムは宝石なのですね。

整理下手な家族が「そんなものになったらたぶんほかのものに混じって捨てるとかなくすとかするし、形にならないでくれるほうがありがたい」といってました……。

骨にしてから木っ端みじんに爆発させる盛大な散骨形式の「爆発葬」というのも考えたのですが「迷惑だ」と言われました。迷惑だろうと私も思う。でも爆発してみたくないてすか?  死んだらもう痛くもないわけでだったら爆発してみてもいいんじゃないかなーって真剣に考えたんですけどね。

普通に共同墓地で、安くしあげて、合同でお墓入ってみたいなのか無難かなと思っています。

親が私に望んでるのもそういうのなんですよね。一番安くあがって、子孫がいなくなっても特にたれも困らないみたいな形にしてくれって。

東雲さん

こんにちは。ナチュラルに「ひとでさん」と書きそうになり「いや、違う。筆名は違う」と、途中で消して、書き直しました。ヒトデのアイコンのインパクト強いです。


ダイヤモンドにするという案もありますが、ご家族はそれでもよいとおっしゃってますか?

下手に形をもってしまうとかえってさらに自分の死後もずっとなにかが残っていって精神的に邪魔という「だったら骨にして墓に埋めるのがいちばんらくなのでは」と振り出しに戻ったり。「配偶者の骨のダイヤモンド」「親の骨のダイヤモンド」なども「微妙」という意見がありました。


ジェムってなんだ。検索してこよう。

お骨の話題が出たのでちょっと参加させていただきます。
うちは、プレートとかジェムにしようかと言ってます。場所も取らないしいいかなと。
そういえばこのあいだ学生時代からの友だち三人と谷中をぶらぶら歩いてまわって「人生に必要なのは結局は愛よ」という人と「え、必要なのは金だよ」という人と、それを聞いて「私の残り人生に必要なのは大根とかかな」という私とで三人にわかれました。
大根が特別好きなわけではない。米であっても肉であってもいいけど、食い物と水があればいいときっと私は思ってるのかな。

「つまり米を買える金ってことで、あんたは金派」と金派に入れられました。
派閥……? 派閥でいいや。

いい年をしても「愛で米が買えるか」「愛は金では買えない唯一のものよ」と語りあい結論は出ずに「どーでもいいかー」となりました。

両方、そこそこに欲しいですね……。
そこそこに欲しいからいま貯めておくね。愛も貯蓄する。
>ゴールド

単に見て「なんか綺麗」みたいなところがありますよね。
子どものときに親戚に金を見せてもらって「あらまあ綺麗」みたいに思った記憶のまま……。

>散骨
年齢的に私のときはまだ散骨がスムーズに進まないような気がします。
でも至道先生の年代だと「自分の終末のプロデュース」もいろいろと選択肢が増えていそうですね。
私の死ぬくらいの時代に、私の求める類の選択肢もいくつか組み込まてるかなあ……。
などと言う人に限ってけっこう長生きして、実際は、私のときにも変わってくれてたりするかもしれないですね。笑。
ある年代になったら、そのまま生きるか、あるいは年単位で選択して安楽死できるような制度ができているといいな。未来。
どうかなあ。

……別に早く死にたいわけではありません。

>アプローチの仕方がまったく違っていても、でもその到達点は意外に近いのではないのかなと思いました。

何度も話に出してしまって申し訳ないのですが……。
海猫沢先生と至道先生の対談を読んでいて「でもこのおふたりともに、まだ生きていらっしゃる。四十代になっても生きていらっゃるふたりだ」というのは、読ませていただいて、私にとっては「よい」部分のひとつでありました。

生きていくことに意味があろうが、なかろうが、そのへんはもうどうでもいいのですが、生きていればもしかしたらなにかの「いいこと」もあるかもしれないし「目的」を見つける人もいるのだろうと思えるのは、とても希望のある話だと感じています。

目的なんてなくてもそれはそれでもいいんですけどね……。

打ち合わせだった。
しかし連日ひたすら暑いですね……。
外に出かけて戻ってきたら働く気力はもうない……。

2017/07/17 18:23

プロフィール

佐々木禎子(ささき ていこ)
作家。
札幌出身・東京と札幌を行ったり来たりしています。
1992年雑誌JUNE「野菜畑で会うならば」でデビュー。

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完成テーマ

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