放射線照射の後に起きる副作用。

まれに微熱とか咳とかが長引くことがあるらしいです。

肺炎になることがあると。

「放射線の副作用でなった肺炎である」という原因が重要で、それにあわせた治療方法があるとのことなので、肺炎になったらその旨をして医者に告げること。そして放射線照射してくれた病院にも伝えること。

もしそうなったら連絡してくださいと言われてました。

が、私はなんともなかったです。


これについてはちゃんと「万が一こういう症状が続いたら」と事前にお医者さんから指示されるので、そこは安心ですね。けっこうしつく言われた記憶があるので、だいたいの人がこれを聞き逃すことはないでしょう、うん。


2017/08/01 08:37

そのウィキペディアに出ていた「世界でもっとも孤独な鯨」というのは良い表現ですね~。自分のことなのかなと思いました。なんか自分かわいそうですね。
男女差もあるのでしょうが……知能差もあるのでしょうが……至道先生は52ヘルツのクジラ的なところがあるように見えてきてしかたがないのでした。


いや、そこまで孤独ではないでしょう。ないでしょう。うん。


私はとても情緒的に女性的な人間なんで、そんなふうに感じてしまうだけなのかもしれないですね。

>至道先生、いつもお話が、私の想定しているものよりずっと大きくなる……。見ている未来がでかすぎるよ。人生についてもうちょっとでかく考えます。わたしも。



前にも「性差」について出したので蒸し返しみたいになって恐縮なのですが、この点における佐々木先生とぼくとの違いというのは「性差」が如実に表れている部分なのかなと感じていました。このプチ座談会を通して、最初の時点からずっと感じており、客観視して興味深く思っていたところです。


「女性は今日を生きている人たちで、男性は未来を生きる人たち」というのがぼくの理解しているところです。もちろんぼくが正しいと言い切るつもりはなくて、これは自分の意見です。

女性は繊細で周りの多くのことに気づきますし、目に見える部分を信用される方々だなと感じています。一方の男性は、無精で、周りのことに関心は低目ですが、将来の方向を見たがる人たちなのかなと。


とくに我々人類が非常に長きにわたる生活を営んできた狩猟採集時代においては、まだ見ぬ獲物をどこまでも採りに行く役目は男性のものでした。残った女性たちが目に見える木の実や野草を刈り取る役目でした。男性は意志力や理論に力を発揮する左脳が優勢で、女性は感情やコミュニケーションに重きをおく右脳が優勢です。

優勢という言葉では軽々しく聞こえますが、もうまったく別のアプローチで物事を考えていると思います


とくにぼくなどは男性のなかでも極度なまでに男性側に寄ってしまっていて、女性に叱られないと周りのことがわからないし何もできないレベルの残念な人間です。

だからぼくが常に宇宙全般、世界全体、人間の生涯みたいなスパンから話が入っていくのは、これは自分のこうした特性を考えると、自然なことなのだろうなと自分では理解しています。だからぼくなど、女性から見たら異次元の人だと思われます。妹とか、母親と話をしていても、この根本から全然違っているなと常日頃から感じています。

こんな超極端なタイプでもせめてマシなのは、いちおう自分のダメさ加減・異常さ加減についての理解があるということでご納得していただけないでしょうか(笑)

佐々木先生が小説を愛する気持ちがすごく強く伝わってきて、思わず微笑んでしまうようなお話でした。こちらが嬉しくなるような、そんな気持ちになりましたね。


佐々木先生が「こうであってほしい」と感じていた部分を、京極先生が代弁してくださったんでしょうね。崇高に小説を愛する人たちの思いというのは似通ってくるのかもしれません。


その点で自分は特定の居住地がないような人間かもしれず、こうした純粋さを前にすると、上手く言葉にできないのですが、邪魔しちゃいけないなというか、自分などは一歩引くどころか二歩も三歩も引いてスーパー謙虚にいなくてはならないなという気持ちにさせられます。

古来より人間が崇拝するところの神っていうのは、そういうむき出しの純粋さがあって、その純粋さに心を揺さぶられたり、当てられたりする人たちが一つの大きな動きになっていくのかなとか、そういう色々に思いを馳せております。

札幌ー。

猫充ー。

猫の柔らかい挨拶頭突きー。


避暑的には想定していたより寒かった。避暑らしく避暑ですね。半袖でちょっと肌寒い夜の雨降り。

2017/07/31 19:28

至道先生


読んでくださり、ありがとうございます。

至道先生の心にはヒットしませんでしたか。それはそれで「なるほど」という感じがします。


あの話はすべて正論で、かつ、私は京極先生の小説がとても好きだという前提があり。

私の胸に一番刺さったたのは「本が出ないという人は、そもそもなにも書いてない」みたいな部分でした。すみません。いま札幌で、東京に幽を置いてきたので、ぼんやりとした「こんな部分ありましたよね」の概略です。


私はジョナサン・キャロルという作家さんか大好きで、ずっと「ジョナサン・キャロルみたいな小説出したいのですが」とあちこちに言ってますが、一度として「書いていいよ」と言われたことがない、でも、つまり一度として書いてないんですよ。笑。

笑、じゃないんですよ。笑っちゃだめだなあ……ってなりました。

本当に出してもらいたかったら「書いて」「これはおもしろいですね。出しましょう」と言っていたたるようにするべきだったんです。〆切りがないと書けないなんて幻想ですよね。もっと若くて、もっと無理がきくときに、どうして私は、〆切り以外のものを書かなかったのか。


生活の糧として書いて出すのとは別に、よほど書きたいなら、書くべきだったのです。しかも、ちゃんとおもしろいものを。

という反省をしました。


あと、私、本当に小説が好きなんですよー。

漫画より、映画より、アニメより小説です。

「私の好きな小説を、文章を、受けとって、私の脳内て想像したもの」は、どんな漫画より、なにより、最高におもしろくて圧倒的に美しくて残酷ですさまじいものなので、私は、娯楽として小説を超えるようなもしろいものをいまだ受け取ったことがないです。

違う意見のかたはたくさんいらっしゃることは承知しております。


けれどとにかく小説好きとしては、大御所さんにこういうことをおっしゃっていただけるとホッとするんです。


自分が書く側ではなく、受け取る側としても、小説は……私の愛して信頼して「どんなもよりすごい」と信じている媒体が、生き残ってくれることを望んでいます。

書いてる側がそれを信じないで、誰がなにを信じられるというのかと思う。


といいつつ、京極先生がそこまで小説とか本を信じてるかどうかは定かではいですけどね~。


同人誌と商業誌とのくだりについては「でも、同人誌でもいいものはいいし、同人誌になっちゃって困るのは実は作家ではなく、大きな版元さんで、社員たくさんいる大企業は利益出さないと難しいってことだよな」と思って読んでました。

が、そんなこと言い出す私は、版元さん的には、あまりよろしくない……ですね。笑。


ただ「書こう」と感じました。

〆切りのあるものと、それ以外のものも。

会社から出版されるであろう本になるものと、もしかしたらそうならないものも。


なにもしないで「出ないんですよね」と言う、たやすい日々を送るのは、そろそろやめにしないと、残り時間ないじゃないですか。私。


人生全体としては……人生全体か……人生。


人生……人生!?


至道先生、いつもお話が、私の想定しているものよりずっと大きくなる……。見ている未来がでかすぎるよ。人生についてもうちょっとでかく考えます。わたしも。


午前中に業務で渋谷に寄った帰りにようやく入手し、拝読させていただきました。


京極先生のような小説家の先輩のお言葉ですし、お話の内容も正しく、その通りであることばかりで、異論はございませんでした。

ただ胸に迫るような部分があったかと問われると、自分はそういう受け止め方にはならなかったなと思います。正論なので反論というわけではないのは前提のうえでになりますが、自分にはやや正義の色合いが強すぎたかなと感じています。

内容それはその通りなのですが、では熱く魂を燃やし信じる道を貫けばその人は正しく評価されるのかと問われれば、そういう世の中でもないことは京極先生ご自身もお分かりになったうえでの怒りや正義感なのではないかなと受け止めました。

道は一つではないし、自らの正義や理念を貫くのもクリエイターの道の一つですが、もっとカーブした道とか、ゆるい道とか、坂道とか、そんな多様性を笑って受け入れていくような側面もあってもいいのではないかなと個人的には思います。

古い出版界は死にゆく方向に進んでいることは書かれていた通りで、ならばこそまったく新しい道というのはあると思うのです。サムライのように作家のあるべき姿を求道するのは美しくもありますが、革命の先にある未来はまったく一変しているはずで、それは求道の延長線上ではなく、今まで誰も想定していなかったようなものだと思います。個別作品に向かい合う魂のことを申し上げているのではありません。人生全体の有り様とか、考え方について言及させて頂きました。

幽はまだ読めてないです、きっと読みます!

近所の本屋になくて、八重洲や新宿とかのアポのときに買おうと思っていたのですが寄る時間がなく。佐々木先生の心を捉えるほどの京極先生の言葉は、ぼくも読まねばと感じております。

自分の老後の資産見積もりとか、家族とか、葬儀とか、そんなんはまあそれはそれとして。
そっちもぽつぽつと書いていきますけれども。

「適度に楽しくものを書いていきたいのだよ」という今後の自分の生き方についてですよ。
書きたいのだよと思うのだとしたら、単に、書くしかないだけですよね。
結論はそれだけだ。

幽という雑誌の京極先生のお言葉を読んで「そのとおりだなー」と思いましたが、あれを読んでる方はもしゃべログにはあまりいらっしゃらない?

やるしかないのである。楽しいなと思うんですけどね。
友だちの奢りで焼肉を食べる。やったぜやったぜ。
「セトウツミ」という漫画の話をして「セトウツミみたく、互いのいいとこ十個言おう」って言ったら「いやいやいやいやいや」とひとつも言ってもらえなかった。さらに「あなたの褒め言葉たまに心抉られるので、いいとこ言わないでもらえます?」っていいところを言うのも制限されました。
「セトウツミ」っぽい展開ですやん……。

あと、昨日の収穫。タオル枕いいですねー。
ストレートネック治したい。

2017/07/30 10:43

私の場合は老後の計画なのですが。

もうちょっと若いと子どもの有無についてどう考えるかは重要なんだろうなあ。

とてもお世話になっている親族の墓と葬式についても「私がやったほうがもしかしてスムーズなのかな」などと考えたりする最近です。まだまだ先の話で、自分の親を見取ったあとになることなのに。
子どものいない親族のことを考える。

絶縁されているとそういうことは考えなくてもいいのでしょうね。

ひとつひとつ、そんなに直前ではないタイミングで、かといってあまりにも先のことすぎない段階で、関係者各自と連携をとったうえで、たしかめて確定して、それぞれにとって納得するものとしてエンディングを迎えられたらいいなと考えたりします。
……考えすぎなのかもしれない。

介護とか、葬儀とか、墓について私は考えすぎなのかもしれない……??
放射線の副作用、まだあるよ。

顔からの発汗が大量に。

副作用だと記載したいくらいの量なのだ。とにかく、どんな場所でも私はひとりだけ滝のような汗を首と顔とにだらだら流していた。
人から指摘されるくらいの量の汗でした。
見える場所なんで、隠しようがない。激しい発汗。

最初は放射線には関係ないかなと思ったんだけど、調べてみたら関係あった。

つまり、放射線があたったところの汗腺がつぶされちゃうわけなんですよ。それから半年から一年後には汗腺はじょじょに復活していくらしいのですが、放射線照射中から一定期間、私の左胸側のけっこうな量の汗腺がずぼーっとつぶされて「なくなった」わけなのです。

人の身体というのは不思議なもので、それでも身体はいままでと同じ量の汗を一気にだそうとするものらしい。結果として、左上半身がいままで担っていた分の汗を、顔と首が請け負ってくれたみたいです……。
通りすがりの人にガン見されるレベルだったので、けっこうひどかったんじゃないですかね。
化粧なんて、崩れるとかそういうレベルではなく流れ落ちていく。
ひとりだけ風呂上がりみたいな感じにしたたりおちる汗で過ごすのは若干恥ずかしいこともあり、その時期、できるだけ人には会わない方向で過ごした理由のひとつが、これでした。

このあと抗がん剤での脱毛でウィッグつけることもあり、とにかく顔汗対策については最後まで困ってましたね……。夏の時期、持ち歩いていたのは「サラシ」「ガーゼ」をハンカチサイズに切ったものと、タオルでした。タオルじゃないと無理っていうくらいの汗なんだよ。ハンカチではすぐにぐしょぐしょに……的な。タオルで首と額含めてざっと汗をおさえてからガーゼで顔をポンポン叩く。
化粧道具は一式持ち歩く。
化粧水なども持ち歩く。

できるだけ首後ろを冷やすようにして対策してましたけど、それでも滝のように汗は噴出するのであった。

汗腺と汗の量について言及されているブログなどは特に見つけられなかったので、書いておく……。

あ、ガーゼをハンカチにするやつ、いまでも使ってます。汗と脂をポンポンと吸い取ってくれて、化粧そのものは落ちづらい「汗のふきかた」がカーゼでした。
薬局で売ってるサラシ、たぶん300円くらいだったような。それを切り分けて使って、洗って使って、とことん汚れたら捨てちゃう方式。
これ、雑誌で女優さんが汗ばむときの化粧崩れがいちばんしない汗を拭き取るものとして紹介していたので、試してみたら、私にはあっていたのでずっと使ってます。夏はハンカチとガーゼを持ち歩いているよ。

2017/07/29 10:32

間違ってるかもしれないけれど、至道先生が「人生そのものが必要ない派」なことについて、ぼやーんとした理解のきっかけをもらったような気がしてきました。

でもなんだかちょっと切ない気持ちになる……なんでだろうな……。
それは私の問題だなあ。なんでだろうな。
金丸マキちゃんから鶏ハムのレシピをもらう。

肉500グラム
砂糖大さじ2
塩大さじ2(クレイジーソルト小さじ2分の1)
味の濃さは好みで・肉の量を基準に調味料を加減

調味料を肉にすり込み、ラップでくるむ
冷蔵庫で1~2日置く
肉を水洗いして、水に漬け塩抜きする
沸騰した湯に入れ、火を止める、ふたをして1時間から半日置く

私がやってるレシピとの違いは……私は炊飯器で保温で一時間半放置で冷蔵庫は一日なので、一日仕込みを二日仕込みにしてみたらいいのかな。次に試してみる。

2017/07/28 11:03

チェブカフェにいく。吉祥寺。
いま行かないと札幌にいるあいだに終わってしまうので。
想像していたよりずっとチェブがアグレッシブで笑ってしまった。木にチェブが鈴なりだし、ハンバーグにもチェブだし、座席にもチェブだし。

鶏ハム……どうもいまいちなんだよなあ。作るたびに「これでいいのかな。もっと美味しくなるはずなのでは」と感じる味になる。肉はふんわり軟らかくできるのですが。味かなあ。下味もうちょっと塩を足すべきなのか。あるいはハーブとか検討するべきか。
炊飯器で作るやつです。今後もレシピの検討をしていかかねばならぬ。

一方、はずした鶏皮をカリカリに焼いたザク切りにして青いネギと一緒にポン酢で和えるのは毎回美味しくできる。鶏ハムの皮をはずす度にこれ作ってるからね。

ハチミツを無事に使い切りました。
そして今日、豆苗を炒めて、ぺんぎん食堂のにんにく油も使いきりました。
石垣島の辺銀食堂は食べるラー油が有名ですが、私は、にんにく油のほうを激推ししています。肉とか野菜とかこれで炒めたら一気にパンチのきいた美味しい味になるのだった。にくにくの匂いがぷんぷんなので翌日人に会うときは使えないですけどね。
銀座だったかの沖縄土産のショップで売ってるので買いにいくのである。秋に東京に戻ってきたら買いにいこうっと。

食べ物について語る時の私はいきいきしているな……。
食べるの大好きだ。


2017/07/27 18:22

我々の宇宙のあらゆる物事の行方は明確な確率によって決められています。我々が直接確認していないものにはすべての可能性が存在しており(※別の見方をすれば、我々が直接確認していないものは存在していないということと同義)、確認することで確率によって物事が定まります。これはプログラム上の組み立てでして、とてもシンプルです。

そして物体が大きくなるほど、それは無量数の量子が集まって構成されたものなので、さまざまな可能性が折り重なることにより集約されていくことになります。

一つのシステムとして、とても理解しやすい世界構造だと言えます。

至道先生は、二重スリット実験については、どう思われますか?

ちょうど、今年の三月に出してもらった「ディバインゲート」というアニメとゲームのノベライズを書くにあたって、量子力学とか二重スリットについてとかいろいろ考えて調べていたので、それを思いだしながら至道先生の書き込みを「ほうほう」と読みました。

統治者というか、政治的ななにかがらみで、システムの都合上いちばんよろしい感じに宗教が組み込まれたのだとしても……というか、まあそうなんでしょうけれど、でもそれで「生きやすく」なるシンプルな人間はみんな幸せであると思う。
あ、なんだか誤解をまねく書き方になりそうだな。
うまく言えないな……。
人の食べてるものが気になる選手権ひさしぶし。

野菜は高いと思うので異常に野菜が安いスーパーが近くにあるのうらやましい。
鮮度はどうかな。生野菜をむはむは食べる以外だと野菜の鮮度にはそこまで気を配らなくてもいいか。
近所のスーパーの価格帯と品物の並びで引っ越すとけっこう晩御飯のメニューが変わるよなあ。

人の食べてるものが気になる選手権でした。


仕込んだ塩豚を焼いたやつが友人に好評で昨日ひと塊が一気になくなったので雨のなか買い物に。塊ブームなのでローストビーフでも作るかと思ったがやっぱり牛肉ちとお高いなーとかんじてひよって鶏にした。鶏ハムを仕込んで作る。明日は鶏ハム。今日はスペアリブを煮ます。ハチミツがあと少しで瓶があくので札幌帰省前に使い切りたいのだが、どうかなあ。

すごい肉食なメニューが続いてるなといま気づいた。
書くと気づくな。作って食べてるうちはピンとこないな。身体が肉を求めてるのかな。

2017/07/26 13:22

放射線からちょっと離れます。

手術痕と引き攣れなどについて。

自分の身体に突然生じたダーツ。
もともと深く考えないたちなのもあり「たたまれた箇所、小さいけれど、洗うの大変だな」とか「ダーツだな。人工の肉襞だな」とか「ちゃうちゃうとかフレブルのお顔の一部みたいだな」とか考えながら手当をし、爛れが治ってからふと思う。

「固い。一部の肉がとても固い」

手術痕っていうんですかね。なんなんですかね。
色も放射線で焼けてしまって抜けないし……なんですが、どっちかっていうとこの肉の固さは手術のあとの癒着ですかね。

医師は特に指示をださない。

ある日、やっとそこに思い至って聞きました。

「これって、放置しといたらどうにかなるのですか。肉は柔らかくなったりするのですか」

「それ、術後からマッサージとかして柔らかくしないと、固いまま固定するよ」

「え……。ええええ。そうなんですか。はやく言ってよ!!」

医者は、治療計画でいっぱいいっぱいなので、健康に関係のない「美容」の観点のお話やアドバイスは一切しませんよ!

というわけで軟膏を処方してもらって、その日からせっせと自分の手術痕にマッサージをほどこす私。でもあまり強くマッサージすると、その横の「なくなってしまったリンパ」が腫れてしまうのだ。
左リンパがなくなったので、循環させてくれるものがなく、ないのにそこにリンパ液が集うので、脇腹が腫れる。そして、左手全体がだるくなり、肩も痛くなる。

「適度」なマッサージのコツに至るまではなかなか大変です……。

で、いまの私。
ダーツ的な部分はそのままですけど、肉質は少し柔らかくなってます。肉質とかいうと「肉塊の表面にローズマリーとローリエの葉を散らしてからマリネ液体につけ込みよく揉み込んで一日浸してからあらためて胸に収納」したみたいですが、もちん違います。普通にただマッサージしていますが、まあ、術後の該当箇所の「肉が固い」というのを「肉が固い」以外に表現できん。肉が固いと困るとがあるかどうかも正直わからん。固いままでもいいのかもしれません。「お好みで」みたいな?

ダーツになった引き攣れについては、これ、治すとしたら美容外科なんだよね。
私は、そこに価値をあまり感じられずそのままなのですが、もし自分がもっと若かったら悩んだし考えるだろうということだけは、わかる。

顔の美醜とか、肉体の美醜とか、そういうものに価値を見いだすかどうかの問題は、いろんな要素をはらんでいて、難しい。
ただ、若いということは、私にとっては「若い」だけでコンプレックスを抱えている時期だ。自分に自信を持って進んでいける無敵の若さを誇る人たちはもちろんいらっしゃるのでしょうが、私にとって「若さ」はそうではなかった。
いまの自分は、では自信があるのだろうかというと「人は中味だ」という部分での自信を持っている。中味だろうと思っているから、皮膚にダーツができていたら「あらまあ」とおもしろがれるだけの余裕は、ある。治そうとは思わない。
でも若かったら、この引き攣れはコンプレックスのひとつになっただろうなと思う。
別に誰に見せるわけではなくても、だ。

生きていくうえでコンプレックスになるものならば、治してしまったほうが未来のためにいいのだろうとも思う。
治そうとすると「モデルでも芸能人でもないのに」みたいに言われることもあるんじゃないかなと想像したりもする。でも治したほうがその人にとって生きやすいなら、治せばいいじゃないのかなーって思います。

これ、もうちょっとこの「術後の美容整形」については、安くなったりしないのかねえとも思う。

乳がんに限らず、病気についての体験記というのの主流は「泣かせ」であり、綺麗で悲しい体験記がおもに出版されていたりしますが、それ以外の人たちの、ささやかに「生きていく」ための知恵やら収支決算の会計的なものなどをまとめてくれる「なにか」があるといいのになーと思うのでした。


というようなことを手術痕から考えたりもしています。

が、とにかく、術後の肉のマッサージはお早めに!
医者は「いまからマッサージしなさい」とか「肌がざらざらしているのもすぐに手当したら一年でちゃんとつるつるになるよ」とかは、だいたい教えてくれないはずだ。

2017/07/26 09:39

プロフィール

佐々木禎子(ささき ていこ)
作家。
札幌出身・東京と札幌を行ったり来たりしています。
1992年雑誌JUNE「野菜畑で会うならば」でデビュー。

更新中のテーマ

完成テーマ

完成テーマはありません

アーカイブ

ページトップへ