佐久田さんの『ふきのとう日誌』第46話「『己を殺して他人を殺す』ということ」拝見しました。
なんかわかる気がする、というのが率直な感想でした。
たとえば漫画などで、絵に描いたような優等生が実は裏では悪いことをしている、みたいなベタなお話、ありますよね。
この場合は本人の意思でやっていることなので、今回紹介された女性とはまた違うのですが、抑圧され押し殺された部分というのは消えることはなく、自分のなかに留まり一時的に鳴りを潜めているだけで、いずれどこかの場面で必ず顔を出してくる、ということじゃないかと思うのです。
この女性の場合は、はっきりといってしまえば「嫌な人」「性格に少し難がある」と周囲から思われてしまうような形で「それ」が発露してしまった。しかも当の本人はそれに気づいていないどころか、むしろ、
「いつも辛抱しているので、時にはたまらなくなって、少しぐらい休んだり、息抜きしたりしても当然ではないか」
と考えているのですよね。でも実際、彼女が休んだり息抜きしたりするタイミングは最悪で、周りからすれば、故意に嫌がらせをされているようにも受け取られてしまうという……。
まさに「復讐」ですよね。しかもそれは周囲のみならず、結局は自分自身にも返ってきて、わが身をも傷つけるという結果に。
『おいしいごはんが食べられますように』というと、あの渦中の人、芦川さんのこと、ですよね。
なるほど……。
「以前の職場でパワハラの被害に遭って、そのことで暗黙の了解のように周囲から気遣われたり、職場の配属先も自分だけが優遇されるのはあたりまえ」
と、与えられるものをひたすら貪欲に享受しているように見受けられる芦川さん。彼女の心中はいっさい描かれていませんが、
「あくまでも自分は被害者であり、善人である、いたいけなか弱い子羊」
みたいに思っていそう、という印象を受けました。実際はかなりしたたかな人物だと思うのですが。
もし、自分を押し殺して「いい子」として振る舞ってきたことへの「復讐」の発露が、あの言動の数々なのだとしたら……。
どちらにしても、怖いな、と思います。
ちなみに『源氏物語』はわたしも『あさきゆめみし』を読んだだけで、途中からはもう内容うろ覚えだったりします(^^ゞ
色を表す日本語は本当に雅で美しいですよね( ꈍᴗꈍ)