随想遊戯

いやー、肉体的にビシバシ限界が来てるよー(笑)。今、午後二時半なんだけど、シャワー浴びて眠ろうかな。ノベプラでは本日、『手折れ、六道に至りしその徒花を』がジャンル8位、『文芸部は眠らせない』ジャンル58位ですよー。皆様のおかげです、本当に。まきえ肴さんと話したんだけど、小説、ひいては作家として伸び悩んでいるひとが多い風に見える、という話をしてて。まきえさんのメソッド、PVに関しては有効だと僕も思いますので、まきえ肴さんのチャットノベル、読むといいよ! でもまあ、これは個々人の〈実存的問題〉なんだろうなぁ、と僕は思っています。まきえ肴さんは分析家だけど、無理矢理当てはめるならば、それは構造主義的側面があると思うのね、僕は。つまり、物事には必ず構造がある、と。これって例えば実存主義のサルトルがもてはやされたあと、レヴィ=ストロースが文化人類学という構造主義になっていくものを出して、サルトルが当時はいきなり時代遅れのように人々に取られた、って史実があって。同じく実存主義のハイデガーは民族主義に加担してしまったりとかもあって、ね。でも、そもそも実存主義と構造主義は反目をするか、って言ったら、「問題が別」に、思えるんだよね。同時に併走してても、ぶつかるところはあるけど、どっちが正しいとか正しくないとか、そういう問題とは別だと、僕は思うなぁ。いや、だからポスト構造主義は脱中心化を図るわけで。話を戻すと、まきえ肴さんはシスティマティックに見る視線を持っていて、それはもう、かなり「役に立つ」ものだと思うのよさ。でも、執筆を実存の問題として捉えている作家さんは多くて、着飾った自分を見せて褒められて喜ぶのは虚飾であって、ありのままの自分の感性で勝負してて、でも上手くいかない場合も、あくまで自分のありのままで結果を出したい、なので「自分がいる場所が〈自分に合わないだけ〉なんじゃないか」と考える思考法になってるのかもな、と僕は思ってて。その根底に流れているのは、「自分自身に対しての、徹底的な信頼」かな、と。要するに、プライドが余計なメソッドを許さない。自分だけを見つめる。「大局観」みたいな、大局を見つめることなく、ただ「自分の中に潜っていく」こと〈だけ〉で突破出来る才能が自分にはある、という確信があって、それがなされないのは自分が悪いのではなく、場所、状況、社会、世間、タイミングなどが悪いのだ、という思考法だろうな、と僕は思ったのだ。『文芸部は眠らせない』って作品ではそれらも詳しく述べているけど、要するにそういうこと。芸術家は、過信も必要だ。でも、自分を手放しで過信しすぎると、結果が返ってこない場合には、生きること自体をつらく感じてしまう。それに陥って、悲鳴を上げているひともいるのではないか、と。それは紛れもなく〈実存的問題〉だ。偉そうに言ってる僕だって、ダメな奴だからこんな物言いになってしまい、不愉快に感じるかもだけど、そう思っちゃったんだなぁ。この問題は、僕も文芸部とかの作品で、再び論じることにするよ。では、作品でお会いしましょう!

2020/11/18 14:32

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