インターミッション⓷ ラスト 19/*。
『形で考える』
この表現の意味するものは何だろう?。
当然に言語は関係しない。
ではここでの”形”とは何のことを言っているのだろうか?。
私見を披露するなら、モデルで考えることだと思う。
言葉を換えるなら『真髄』をもって考える。
先のB/L や P/L なんかがその例になる。
本質が分からないと、感知できないと、これはできない。
なので出来る人とできない人が出てくると思う…。
また全く関係のない事象において[類似性/共通性]を見出すができるだろうか?。
金貸業と製造業、ある民族と他の民族、左翼と右翼、また自分と他の人等…。
真髄の働きにおいては相似である事が直感できる。
『真髄』における[機能/傾向/志向性]はほぼ同じ、否まったく同じではないか!。
要は最大公約数みたいなもので把握すればの話なのだが…。
関係ないとしていたものが実は本質は同じであった。
これは、見かけからではまったく分からない/気づかないのだ。
それが辿る[運動/展開/ドラマ]としてのダイナミズも把握できなければいけない。
パターンがある/観える…。停滞は基本、自然が許さない。
意識的になるか、無意識的(機械)になるか。
統合へか、それとも、更なる分裂/退行へか。
どちらか、もしくは混ぜこぜしか道はない。
こうなってくるともう言語では追えない。
言葉化は恐ろしくめんどくさいことになってくる。
意識下の情報処理でしか[抽出/把握/理解/予想]は難しくなってくる…。
*エニアグラムの構造、その変化も念頭に置かれているのは当然である。触れんケド。
追加: 整理整頓
整理ができる人はまあまあいる。
しかし 整頓 はまた別の話なのだ。
形で考えるの中には、運動/移動 も含まれてくる。
これは便利に、実用的、実践的、に関わる重要な要素になる。
これができる人は少ない。
〈続く〉
つけたり:
やろうとしているのは、
ユダヤのモデルは普遍的で、日本においても、いや世界規模のスケールでも
これの反映が起こっていることを、自分なりに表そうとしているのです。
彼方の話では決してない。
群(グループ)として、また一個人レベルにおいても、同じ構造が確認できるのです…。
このモデルの一つが器としての自己観念に凝り固まって、先鋭化してゆく道。
これはあの
レッドドラゴンの支配に堕ちることを意味する。
もう一つは器を解消する、
つまりは罪深さを自覚的に解消することを生存の主目的とする道。
これは当然に
キリストが導きをされる。
これも精髄としての要約になるのかもしれません。