インターミッション⓷ ラスト 25/*。
Re:〈自分〉というアイデンティティ
自己同一性(じこどういつせい、アイデンティティ、identity)なる概念がある。
自己評価においての主観的な[思い/意識/評価]。
そして、まわりからの…つまりは社会的な評価、
もしくは血筋等の来歴的な現実が押し付けてくるもの。
後者はリアルで客観的な評価となるんだろうけど、
本人が得心できるものであるかどうかは怪しい。
大きなジレンマを抱え込むことになるのが普通一般なんじゃないだろうか?…。
要は『自分が何者で、いったいどういった存在であるのか?』に答えを与えること。
だから他者から自己を区別する為の[記号/要素/概念/信念]等の根拠が必要になってくる。
今ある現実的なものを比較対照して、そのどれかに場を求める。
そして、そこでの[格位/順位/身分]を上げるのが精一杯になる。
学校の話だったのかも知れないし、職場としての会社の話なのかも知れない...。
皆に良き導きがあらんことを!。
ところで、あの学界での権威者となられているエリクソンさんは、
これの確立が青年期の課題であると、ある時に声だかに訴へた。
青年期のものは取り敢えずのもので、実人生すべてにおける課題だと思うのだが...。
彼の血筋も、あの民族から引いている。
彼なくして日本でこの言葉が定着したかどうかは怪しい。
自分探しのナンチャラが流行り/流行らされましたね。
Re:『自分が何者で、いったいどういった存在であるのか?』これに答えとしての正解はないのです。
しかし、生まれてきた以上、問い続けなければならないのも事実である。
人生って、その為にあるんかもネー!。
安易に世間の押し付ける様式を信じたり、取り込んだり、染まってしまってはならない。
必ず絶望することになるから。しかしだ、世間的な評価は欲しいよねー。
これは神とのトレードオフになる。なるのが正道...。
ここでの真実の回答はマハラジに任せるとして、
自身としては析出現象により、努力に相応しい外形が[生成/生起/隆起]します。
内において相応しい満足が湧き起こります。とだけ言っておこう。
実は言葉で辿り着ける問いではないのです。
それでも考えることには意義はある。
いつかそれさえも材料になって、ある種の理解が熟成されるのだから...。
〈続く〉