インターミッション⓷ ラスト 21/*。
人が大人になる時には、何がどうなってしまうのだろうか?。
この問いに自分が答えるのは可笑しな話でしかない…。
推測としての話をしよう!。
恐らくは主体が本質から人格にシフトする現象が起こるのだと思う。
ゆっくりと、長きの時間をかけてこれは進行する。
でも早い子は小学生の高学年ぐらいにはかなりが完了している。
問題となるのは本質と人格の成長におけるバランスと協働の加減。
面倒臭いので最悪のケースを上げると:
本質は幼い時期に遠に成長を停止しており、
間に合わせ以外の何物でもない人格だけが機能している状態。
当然に、この人格はろくなもんではない…。
人格とは何か?。
これは外界、つまりは
外の世界に向けての自己発現のプログラム。
つまりは如何に世間と付き合うかの処世様式のこと。
最近の自分のお気に入りとしては”プロトコル”を修めるになるw。
*自分の汚した皿は自分で洗う。
*勝てば官軍、負ければ赤軍。
*声の大きいものの意見が通る。
*知らしむべからず、頼らせよ。とかも..。
基本は遺伝的とゆうか...、親からもらうか、
隔世遺伝でじじ/ばばからのが大きく出ちゃうケースもある。
*ここは本質の属性としての性格も絡むのでややこしい。ちゃんぽんになる。
まあポイントは
転写/複写的な要素が
大きいってこと。
長男/長女の場合は親の影響がメチャ出てしまう。
無意識の模倣で、とても沢山パターンをもらっちゃうことになる。
特に感情の発露まわりに関してはねw。
周りの、身近に接する人々の様子を見て/接してそれを模倣するがある。
*育ちの環境は、だから重要な要素になってしまう。
後は学校/教育からの影響も大きい。
でも学校で学ぶのは勉強だけではない。
上下関係や集団活動を巧みに生き抜く術/作法。
なんか読んで知ったり、考えたりしたことも人格形成に影響する。
そして最後に、今回は時間がないので短くでゆく…
現実的な話として[肉体/感情/知性]の相互作用の結果として人格の発現はなされている。
この三層の[運動性/関係性]には〈軸芯〉とでも呼ぶべきものがある。この精髄、もとい真髄、
ともいうべき軸芯に関しての記述がエニアグラムのタイプ論(9種+両ウイング)である。
結論としては、
人格とは完全に人工物である。非自己なるものである。
更にだ、何を原因と呼ぶのかは定かではないが、
骨子なるものがメタ領域から刻印されている。
自然によるタイプの選定/刻印があるのだろう...。
最後に復唱する。
人格とは非自己なるものである。〈続く〉
ユダヤ何処いった?
いえいえ察してくりゃしゃんせ。
救済も射程に入れているので婉曲的に/迂回的にならざる得ないのです。