インターミッション⓷ ラスト 12/*。
仮説を一つ...。
前提は:
既に語ったきたエデンからの追放劇が決定的な出来事であった。
結果この地球での寿命ある生存の意義は煉獄でのものと同じである。
贖いと回心の為に然るべくの十字架の道が人生において備えられる...。
ここからです。
人類皆にとっての元型とすべく一つの民族が選ばれた。
神はこの民族の中から然るべくの人間とダイレクトに関係を持つ。
また曖昧なるではなく、言葉による明確な指示を与えられることもした。
『始めに言葉ありき』
でもさ、モーゼの時代においても多くの人々は戒律から離れた行いをしていた。
多分、大勢が道を外れることは規定路線でしかなかったのだろう…。
取り敢えず、神は激怒して試練を増し加える。
ここで言いたいのは、この民族が特段に優れていたから
神に選ばれたって訳ではなかったんじゃないの?ってな話し。
どの民族グループだってよかったのだ。
重要なのは
一つを選ぶことだった。
これを元型とする為に。
やがて他の全ての民族/国家は、
この元型たる民族の行った道を同じく辿るようになるから。
同じ試練を経て、同じ結末を迎えるようになる…。
この民族にとっては、分岐点としてイエスの信任がある。
これも同じ。
拒絶するか、それとも主を認め、新たな道に追従するのか。
各個人/各民族/各国家も、どちらかを選択するようになってゆく。
否、これはもう完全に個人レベルでの選択/追従しかないのかも?…。
もしくは教会単位?。これは無理無理...。』
〈続く〉
”転写”という言葉も近年耳に届いてきたフレーズである。
日本も世界に何やら転写する立場であるそうだ。
確かにいつの間にやらアニメは世界潮流となってしまっているねw。