サンバ①
これが世に出たのは1970年代(文庫化1974年)。「奇蹟を求めて」が1981年。「ビューティフル・ドリーマー」が1984年。『鉄鼠の檻』が1996年。そして「マトリックス」が1999年である。
先行する関連としては『普勧坐禅儀』があるw。1227年。これが本邦初の『迷宮』におけるその脱出方法としての解が説かれたものだ。いきなりの『解』だ!。少なくとも道元さん自身は、ことを成し遂げられている。経験者は語るだ。
*(そこにある暦差は743年間!)
方や、筒井氏は純然たる市井の出自であり、仏門の係累系統では全くない。裕福な家柄のモダーンボーイである。だから迷宮について語られはするが、その解は作品内において遂にぞ辿り着かれることはない。
されど、その分析による着目は慧眼もいいとこ。〈情報〉〈時間〉〈空間〉と、よくぞ取りまとめられたなと思う。これに〈○○〉の概念が活かされれば、あとはもう何も浮かばない...。
あそこにある脱出への希求は誰にとってもの実存的なものだ。*(抜粋部はしっかり読んでください)。見事としか言いようが無い内容かと思います。
所詮は、この脱出は、知性ではなんともならないことなのだ。マインド自体が迷宮の生成機なのだから。そのマインドをもってこれを突破するが適うわけがない。あがけばあがくほど囚われは深まるばかりとなる。迷宮としてのその恐ろしき真価がいかんなく発揮するばかりとなる。面白くてスリリングが疾走するばかりとなる。
ストーリーが進むにつれ、その展開はメチャクチャな様相を見せ始める。
そしてクライマックスは、雪のキリマンジャロでの銃を使っての、○○による○○の殺害だ。
限界まで行き着かれている...。
これはこれで、ドタバタ劇(スラップスティック・コメディ)としては圧巻の出来映え。
『 だが冗談ごとではないのだ!』。 ことは ...
〈続く〉
序でに...
『グレンラガン』は2007年。
アイデアとしての「多元宇宙迷宮」は久方ぶりの迷宮の映像表現なのだが、それの突破は、あまりに御都合主義。端折り過ぎ。執着する、夢見るものを手放す/放棄するは正しい。
しかし精々、仄かな感傷的な味わいを観るものに残すまで。やはりイデオンにならざるを...
追記:
一時、量子力学やらホログラフィックなんちゃらやで、仮想現実ネタの映画が雨の後のタケノコ状態で作られてた。もう飽きたのか最近はあまり聞かない。
追記2:
10/6本屋さんで新刊を見かけた。自身による作品解説だった。
死にものぐるいでのおふざけにチャレンジされたとあった。
こういうの言葉は裏腹でもあると思う。
それやる為には相当シリアスなテーマでなきゃダメ...。