漫画原作チャレンジ

漫画原作を考察する。

・「間」について。

コマ割での表現や余白の空間を差している、読むテンポの事だと思われる。
しかしそれを分析するに、それは「……」を示しているわけではない。ただ読解時間のテンポ操作の意味はあるだろう。

実際に漫画を読めばわかるが、読者の読解スピードの操作中には何が画面に写り込んでいるのか? を分析すればわかりやすい。
大抵は背景や登場人物の表情が写り込んでいる。

これはつまり、「間」はおおよそ「文字以外での描写」のことだ。
もちろん文字の場合も含められる。
それを入れるのであれば、「テンポの緩急」と言い換えてもいいだろう。

文字を使わずに表現する。
これは確かに漫画家には必要な能力だろう。
文字だらけの漫画は稚拙だ。

ではこれは「漫画原作者」には重要なことなのだろうか?

絵だけで伝えたいことを表現するには、登場人物の表情や背景・小物、コマ割り以外にも表現する方法はたくさんある。
例えばカイジやドラゴン桜なんかを思い浮かべてもらえればわかりやすいかもしれない。

あれらの漫画は、直接的な表現をしている。
「先人の知識を借りる」という表現を「巨人の背中に乗る」と言い換え、それを実際に「巨人の肩に乗っている情景」を描写している。

これは文章表現で言うなら「例えば○○だ」みたいな直接比喩表現と言えるだろう。
逆に、前述した「間」での表現は暗喩表現に近い。
登場人物がもどかしげな表情をして黙る。それは彼の心情を表している。そしてその間の取り方によって、物語の緩急を付けているのだ。

つまりあくまでも「表現技法の一つ」でしかない。
それ以上でもそれ以下でもなく、逆にドラゴン桜やカイジの例を取るに「直接比喩」も立派な表現手段の一つであると言えよう。
この「間」は本当に「漫画原作者」に必要なスキルなのだろうか?

例えば「総理大臣が原作者の場合」を考えてみれば「有用なスキル」ではあっても、決して「必須なスキル」ではないことがわかる。

「間」よりも重要な能力が、漫画原作者にはある。
これは確定的だ。

テクニックとしてこれを習熟するのは漫画家にとって無駄には決してならないだろう。
だが、漫画技法を研究したことのないような漫画原作者志望に求めるのはいささか無理がある。
むしろこれは技術の一つであるので、後追いで良いので必要に応じて研究・習熟するような代物だろう。


よって、「間」の技法は、漫画原作者には必須ではない。

と結論付ける。

むしろ三田先生の例を見るに、直喩表現の方が素人には楽にも思える。
要は「絵面として映える」「視覚で訴えかける」という点が漫画は小説媒体などよりも重要なのだろう。

さて、とりあえず研究ルートを封鎖して後回しにした。
これをもって「漫画は分析できない」と思考放棄するか、「一歩前に進んだ」と考えるかは人それぞれ。
私はもちろん後者である。

2017/06/20 20:31

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滝口流です。滝口、たきぐち等という名前で活動している事もあります。
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