>世相
エンターテイメントの作品において、「ネガティブな世相を反映させ、それに打ち勝つ物語をつくる」のは、成功しやすい手法のひとつだと言えるのではないでしょうか。
たとえば、今の日本を少し長めのスパンで見渡したとき、「3.11以降」という時代の流れは間違いなくあるはずです。
創作物の中にしろ、たとえば「自分たちの街があるとき突然壊滅してしまう」という場面に出くわしたならば、「3.11」を想起せずにはいられないのが今の日本人だと思います。
(※以下、各作品のネタバレを含みますので、これから楽しもうとされている方はスルーしてください)
『君の名は。』も『シン・ゴジラ』も、こうした世相を反映させたからヒットした、という向きはあるかと思います。
隕石によって滅んだはずの町を、好きになった女の子を助けたいという若い情動で救ってしまった『君の名は。』。
冒頭、未知の災害に遭遇した名もない日本人たちのシーンから始まり、最後には、いかにも日本人らしい対応で国難を乗り越えた『シン・ゴジラ』。
どちらも、本来は抗いようのない大きな力に打ち勝つ物語でした。
世相を、「ある文化において多くの人が持つ共通認識」と換言するとしたら、世相を反映することで、より簡単に(というと語弊がありますが)、より多くの、そしてより強い共感を生むことができる、のかもしれません。
HUNTER×HUNTERの選挙編を考えてみると、「人気取りに終始する選挙活動」や、「実力の伴わない理想論者」などを風刺しつつ、それらの「世相」を、仲間を想い合う主人公サイドが打ち破る――という図式にカタルシスが生まれた、とも読めます。
他方で、
>エゴを極限まで薄めたら大流行
というのもまた真実だと思います。
古い作品を引き合いに出すなら、スタジオジブリの『平成狸合戦ぽんぽこ』では、「ニュータウン建設と自然破壊」という世相をあまりに直截的に描きすぎたため、また、最後には、観客が感情移入して見ていた狸サイドが、(したたかに生き残ってはいるとしても)敗北してしまうという展開があまりに生々しすぎて、エンターテイメントとしてはすっきりと楽しめない造りになっていたようにも感じます。
もちろん、このテーマに真っ向から向き合った作品としては十二分に高い価値があるのでしょうけれど。
翻って、いくら「3.11以降」の日本だからといって、その復興の様子をありのまま描いたのでは、エンターテイメントとして接するにはやはり重すぎる気がしますしね。そうしてしまうと、もう、「登場人物のストーリー」というラインを飛び越えて、「現実を生きる私たちのストーリー」に近づき過ぎてしまう、と言いますか。
……まあ、『君の名は。』の場合は、恋愛こそが主軸であって、隕石はギミックに過ぎなかったのかもしれませんが――それでも、あの出来事に意味を見い出してしまうのが、現代の世相に生きる私たちだ、だからこそ長く太いヒットになったのだ――なんて、後づけをしてみるのも楽しいです。
ともあれ、「多くの人が息苦しいと感じている世相を作品に反映させ、しかもそれも直截的すぎずに描き、最後にはその閉塞感を打ち破るストーリー」は、エンターテイメントにおけるひとつの王道になり得る(なり得ている)のかもしれないな、と思った次第でした。