作品考察

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「ここは今から倫理です」考察1

ここは今から倫理です」が面白いと話題になったので、その面白さを友人と分析した。

そこから得られた知見をまとめる。


【結論】

・主人公に「現代の価値観」を反映させると、共感しやすいキャラクターとなる

・キャラ付けで最も重要なのは「キャラクターコンセプトをまとめ、簡潔に明示する『セリフ』」


【経緯】

まずこの作品の、話の流れを追った。

ビッチJKが先生に恋→主人公拒否&その解説→JK更生しようと勉強する→不良仲間に乱暴される→主人公が止めに入る→JK感謝しつつ〆

という王道どころか陳腐に片足突っ込んでいるような展開である。

しかしまったく陳腐さは感じず、むしろ新鮮で面白い。

そしてその面白さの中核には、主人公の先生の存在がある。

これはつまり「主人公のキャラクターがカッコイイ」というのが、この物語の基軸ということである。


つぎにキャラクターを分析する。

それぞれのコマを分析し、明確に既存作品との違いを決定付けるコマを相談した。

そこで共通の見解に至ったのが、主人公がヒロインに「”教養”がない」と言い切る場面のコマ。

ここでは主人公がビッチJKがいかに魅力がないかを語る場面となっており、それにより彼女のプライドを刺激して改心させる伏線となっている。

ではどうしてその言葉が、我々に突き刺さったのか?

それについて討論したとき、そのセリフが「我々の価値観に合致した」という点があげらえた。

これこそ座談会で新木先生が言っていた「そうそうそれを俺たちは待ってたんだよ!」という印象でもあったと思える。


この作品を一冊分読むと、主人公がどんなキャラクターなのかが見えてくる。

主人公は生徒に暴力を振るわない、丁寧語で語りかけ、生徒の為だとしても女生徒には一切触れない。

それは良くも悪くも、現代の標準的な「正しさ」なのである。

これこそ現代社会の我々が求める「正しい先生」であり、つまりはこの人「現代の倫理観を擬人化したようなキャラクター」なのである。


だからこそこのキャラクターは、既存のキャラクターたちと一線を画している。

なぜならこれまでに存在するキャラクターは、過去の時代の倫理観を反映しているキャラクターだから。

GTOや金八先生なんかと比較すれば、その違いがよくわかると思う。

あの時代はあれが正義だったし、共感された。

だが今は、こっちのキャラクターの方が正義で、共感されるだろう。

※補足:もちろん人々の根底には根源的欲求があるし、因果応報を望む欲求もある。いくら法治国家であれ、私刑を行いたいという欲求があるのは当然、というかむしろ抑圧されるからこそ欲求は増大するかもしれない。デスノートなんかがまさにその時代感を反映したお話だろう。


そこで「時流を読むということ」というお話になる。

奇しくも、以前創作クエスチョンでも出した「時流を読むこととは?」という議題に対して、この作品は明確なアンサーになっていた。

時流というのは、(流行や最新のニュースなどもあるが)「価値観を反映させること」にその本質があると思われる。

これはどういうことかというと、時代時代の主人公というのは、その時代の価値観を反映させているということだ。

わかりやすいところでいえば、ジョジョの各部の主人公だろうか。連載時期の読者の価値観に沿っていると言えよう。承太郎は、現代の主人公としては硬派過ぎるのかもしれない。


現代の価値観を反映させた主人公にしてその価値観に共感しやすくすると、その作品はどうなるのか?

それは、現代を生きる読者の為の作品になる。現代を生きる読者に「これはあなた向けの作品ですよ」と宣言しているのだ。

そしてそれは前述したように、既存の作品への明確なアンチテーゼにもなっている。

なぜなら既存のキャラクターというのはこれまでの社会の価値観を反映して作られているので、新たな価値観はそれまでの価値観を持つキャラクターを否定するのである。

「この有名作品はこんなこと言ってるけど、俺はこう思うんだよなぁ」というのを作品で表現できたとき、読者は「そうそう! これだよ!これを待ってた!」という感情を感じるのだと思う。


個人的な感想ではあるが、銀魂が出たときに(というか空知英秋先生の読み切りがジャンプに掲載されたときに)この作品と似たような感情を抱いたことを思い出した。


続く。

2017/12/15 11:50

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