003
創作論はどのような形態であるべきか

大きく分けて、創作論を構築するときは
①理論 → ②構造 → ③方法
の段階が必須であると考える。
きっかけは別にどこでもいい。
主に構造分析から入って、左右に枝葉を広げているのが早いとは思う。

まずは①理論について説明する。

①理論
脳科学、心理学を経た感情起因の論理のこと。
(フロイトさんとかの心理学はあまり信じてはいけないが)

現代に生きる基本教養を持っている人間ならわかっていることだとは思うが、脳に霊魂は詰まっていないし、宇宙の彼方から降り注ぐ神のミラクルパワーの影響も受けていない。
よって、脳の意識・感情はすべて電気信号と化学反応によって起こされているし、昨今の研究では「意思に自己決定権など存在しない」とまでわかっている。
我々は脳の操り人形でしかないのだ。

脳と言っても、それはただの生体情報処理装置だ。
思考実験として脳A・脳Bという同一の状態の脳を用意したとき、そこに同一のインプットが行われた場合、同一のアウトプットがされるのは確定事項である。
これがどういうことかといえば、「面白い」と感じさせる方程式が必ず存在するということに他ならない。

とはいっても現実では脳の状態が同一なことは考えにくい。
それは性別や年齢などの個体差はもちろん、文化や知識といった要因が大きいと思われる。
たとえば日本文化がわからない者に武士道を主題にした話をしても、理解されないようなものだろう。もっと極端な話、日本語がわからなければ日本語の小説を楽しむことはできない。

だが文化的要因すらも操作する、もしくは排除する、もしくは一定の文化領域に狭めたとき、「最大公約数での面白さ」=「可能な限り面白くする方法」というのが存在するのは確実に予見できる。
ここで重要なのは、「誰もが面白い話」を作ることはできないかもしれないが「誰もが面白い方程式」は存在するということだ。
実際に話を作ることは文化の壁があるので、LCLの海で液体人間として融合でもしなければ、絶対に無理である。
だが「文化Aが理解され、感情Bの状態の人間は、Cの物語を体験すると面白い」という類の条件付きでの「面白い確率の高い話を作る方程式」は、存在すると考えられる。

この条件式を完全解明するには、脳の構造がすべて明らかにされなければ無理だろう。
よって現代では最後まで方程式を定義することは不可能だ。
だがそれに対して、部分的にでもアプローチをすることはできる。
今でも脳科学で解明されていることはあるし、我々自身が感情という経験はすぐに実験できるからだ。(もちろん「脳の仕組み>体験する感情」という信頼性の違いは存在するが)

ここで重要なのはただ一つ、「その創作論には受け手の感情・脳の状態の遷移が考慮されているか?」という点だ。
この視点が欠如した創作論は、ただの妄想の一種に過ぎないと思われる。

2017/11/02 04:53

002
神は捨てろ

私が創作論を語るにあたり、神秘主義については一切考慮しない。
そうでなければ論ずる意味がないからだ。
異論がある方は是非、神様に天才にしてもらって欲しい。

と、しゃべログタイトルにも天才とあるがべつに天才が嫌いなわけではない。
ただ単に、自分が凡才という自覚があるだけだ。

私の最終目標地点はすべての人間を(創作の)天才に引き上げることで、もっと言えばAIでも面白い話が書けるようになる地点だ。

でも困ったな。生きてるうちに辿り着けそうにない。

2017/11/02 04:49

001
創作論を綴るのはなぜか。

真理を目指したいから、というある意味中二病的な理由である。
とはいえ物理や数学の学者はみんなそれを行っているのだから、恥ずべきことでもないと思う。

私の定義する創作は今のところ「エンタメ的物語」だ。
「そこに共通解となる答えなんてあるのか?」と聞かれれば、「ある」と断言しよう。

なぜ番号を振り始めたかというと、創作論は目の前の執筆があるとつい後回しにしがちで、いつまで経っても進まず、かといって気がついた時に書くのであれば散文のようになってしまうからだ。
後からまとめたいと思うのだが、まとめる方法について考える必要がある為に番号を振った。

2017/11/02 04:44

ユーザー座談会の方で先日言った「物語とは何か?」について。
・発想基点
 ハウツー本での「物語は行って帰る物」という記述。

・仮説
 物語は「①日常→②非日常→③日常」の遷移状態のことを指す。

・概論
 物語を構成する要素を考えると、「特別なことが起こった」ということの提示になると考えられる。
 逆に言えば、非日常でない出来事は「特記事項無し」となるからでもある。

①開始時の日常、これはつまり主人公含む世界観の提示になる。
 世界観設定の提示、主人公(基幹人物)の設定提示などの前提知識の提示と行っても良い。

②そして非日常が起こる。
 これは「普通ではないこと」であり、日常と異なることである必要がある。

③最後の「日常」は、「新たに始まる日常」を指す。
 世界が救われた、主人公が心に傷を負った、といった新たに日常を提示することで物語は終わりを迎える。

 これらが不足すると、物語としての体をなさなくなる。
 もちろんわざと①を省略する場合、受け手に対して「ゼロの状態」を作り出す叙述トリックのような状態を作ることもできる。
 ただし②や③を省略した場合、非常に文学的な作品になるだろう。
 エンターテイメント的な側面(いわゆる王道、大衆受け)から見た場合は望ましくはない。

2017/11/02 03:09

いきなりはじめて三週間でアピール出来るとは思いますよ。だいじょぶ。

共幻社さんのは、ぶっちゃけ即決系だから……(数ふえたらそうもいかなくなるかも)

自分の事例はなんかネタにでもなればと思って書いてみました(´・ω・`)

2017/11/01 15:23

>東雲さん
うーん三週間は弱いかなー。
まあなろうは日刊週間入って2万ぐらい稼げばいいので、2週間~4週間連載して書籍化は結構ゴロゴロいるんですけどね。
アピールできるポイントもあんまりないので、なろうを知ってから執筆期間含め三週間ということで……。

2017/11/01 15:01

こんにちは。こないだの共幻社さんの私の受賞ですが、22日にエントリーした旨のメールを送って、26日には返事が来ました(´・ω・`) 実質四日ですね。
(あの作品はファミ通文庫短編集用コンペのために書いたものなので、書いたのは5月頃ですが、短編なのでそれほど時間はかかっていません)

2017/11/01 14:49

改案
・Web小説家に”なった”! ~ゼロから始める三週間で小説家になる方法~

 以前トークメーカーで開かれた「Web小説家になる方法」座談会。
 その内容を実践して座談会終了翌日から初めての小説連載を開始した結果、『異世界の果てで開拓ごはん!~座敷わらしと目指す快適スローライフ~』が11月10日に発売となりました。
 それを受け、前回の座談会から新木伸先生、架神恭介先生をお迎えして前回の内容について再度検証!

 小説家になるチャンスは今、実際に目の前に転がっています!
 あとは行動するかどうか、ただそれだけ!
 そして今回の座談会では、前回の中で話が及ばなかった「『次』に繋がる技術論」や「業界の世渡りの仕方」などの、実際に行動した後についてもお聞きしていきたいと思います!

内容
☆小説家になるのは簡単!? Web小説でデビューする方法
・Web作家座談会を受けてやってみた。三週間で書籍化打診の来た経緯
・前回語りきれなかった内容を分析・補足! 実体験からの徹底検証
・デビューに必要な能力は? 身につけるべき技術と力

☆はじめての書籍化・契約!? 出版業界のあれこれや気をつけるべきところ
・実際に書籍化打診が来た流れを紹介!
・出版の時『ここだけは確認しておけ』! 現役作家の語る契約前の注意点
・これから作家として生きていく為の、出版社との賢い付き合い方

☆書籍化はゴールじゃなくてスタートだ! 続刊への道!
・Web小説で続けるべき内容とは? 読者に長く親しまれる作品の作り方
・書籍化した後にすべきこと!? 作家がするべき処世術とは?
・これからの出版業界で生き残るには? あれから半年、業界の今!

2017/11/01 13:13

あっ! 今更だけども、多少流れぶった切ってでも、ユーザー座談会の方に書き込んでもらったほうが良かったかもでしたね。>座談会感想
(事前に書き込みの相談はあり、了承した上で書き込んでもらってます)

2017/11/01 01:48

コネの座談会の内容がとても面白く、感想を書こうと思いました。

座談会の感想はみんなで共有できる場所に書いたほうがおもしろいんじゃないかと思いましたので、たきぐち先生のしゃべログに書かせてもらいます。


人のしゃべログに自由に感想を残していく、なかなか恐れ多いことですが、これもコネのなせる技ですね……!



>コネとは、多重婚自由の恋愛である


これが僕のコネの座談会の結論になりました。

コネと恋愛は似ているという坂場さんのコメントは目から鱗でした。


この例えでさらに考えてみると、コネで仕事を取るとは、結婚することなんじゃないかなと。

んでコネを活かすとは、メリットのある人と結婚しまくることなんじゃないかなと。

つまり、多くの人と結婚できる人が、コネ作りの強い人なんじゃないかなと。



・坂場さんのコネ作りは、モテまくりの自由恋愛タイプ


坂場さんの戦略性というか、計算されつくしたコネ作りのノウハウはとても凄かったです。

「あ~! こういうメール貰ったらおれ嬉しいな~!」って思いましたもん。


モテる人はマメであるという話を聞きますが、まさにだなと思うほど素晴らしかったです。


坂場さんのコネ作りは、多くの相手にモテる=結婚相手候補を増やすというスタイルだなと思いました。

色んな結婚相手候補たちと遊んで、相手をよく知って、お話が転がり、「この人となら上手くやれそうだな」と思った相手と結婚する(仕事を成立させる)。


そういうスタイルだと思いました。

コネ作りを恋愛で考えた時、これは最適解だなって思いましたよ……。



・至道先生はお見合いスタイル


至道先生はこの座談会にふさわしくないとおっしゃっていましたが、僕は至道先生のスタイルも、コネ=恋愛で考えると最適解だなと思いましたね。


「僕はこういう能力があります。年収はこれぐらいあります。あなたに対してこれだけのメリットを与えられます。僕と仕事(結婚)しませんか?」


と至道先生は初対面の相手に全て提示していくスタイルです。


これ恋愛で言うとお見合いですよね。

家柄、仕事、年収、性格、趣味、容姿……もう全ての個人情報を出して、お互いに納得できる相手とあって話をする。


このスタイルはとにかく話が早い。自由恋愛のように、一緒あそんで、相手を知って……とキャッキャウフフの期間がなく、いきなり結婚(仕事)まで話が飛びます


最近の恋愛の主流は自由恋愛ですが、お見合いは結婚というシステムにおいてとても効果的です。


坂場さんは自由を恋愛を極め、至道先生はお見合いを極めたのかなと、そう思える座談会でした。

以上、『第14回トークメーカー座談会『おれたちはまだコネのなんたるかを知らない』の感想でした。



2017/10/30 23:26

>moonintears16tさん
ありがとうございます! 修正しました!

2017/10/30 22:06

全然関係ない話題失礼します。
ここでなんか書くのも場違いかもしれませんが、『異世界の果てで開拓ごはん! ~座敷わらしと目指す快適スローライフ~』のセーム・アルベスクの顔が、ちょくちょく公式アイコンに変わってるみたいです。ご確認いただければ幸いです。

2017/10/29 20:52

コネ。
たとえばSNS一つで言っても「おめでとう!」とかで祝福していくことから親しみを持っていただけるのはありだよなぁ、とそこまで思ってただのコミュニケーションの基本だということに気付いた

2017/10/25 22:23

なるほど……。

構造的に見て分解をしていくと、世相というのは共感が重要なのかもしれませんね。
加圧ストレスに対しての共感のフックとして使うというか。

隕石やゴジラという災害にリアリティを持てるのは、東日本大震災を経験した現代の我々だからこそ、という話ですね。
世相から受けるストレスを擬似的に開放することで、「ウケる」……とまで解釈するとちょっと恣意的過ぎるかもしれませんが、共感という点で世相が重要ということなのかもしれません。

そう考えると世相はつまり、何かの事件(震災、トランプ政権、EU離脱、そうでなくても昨今のクリエイター事情だとか囲碁のAIが人類の棋譜を無意味と断じた出来事だとか、つまりなんでも良いきっかけ)があればそれをフックとして用いる……ということが重要なのかもしれません。
もちろんそれが生々しくなりすぎないような「フィクションのオブラートに包む」という作業は必要なのだと思いますが。

2017/10/23 23:39

>世相


エンターテイメントの作品において、「ネガティブな世相を反映させ、それに打ち勝つ物語をつくる」のは、成功しやすい手法のひとつだと言えるのではないでしょうか。


たとえば、今の日本を少し長めのスパンで見渡したとき、「3.11以降」という時代の流れは間違いなくあるはずです。

創作物の中にしろ、たとえば「自分たちの街があるとき突然壊滅してしまう」という場面に出くわしたならば、「3.11」を想起せずにはいられないのが今の日本人だと思います。


(※以下、各作品のネタバレを含みますので、これから楽しもうとされている方はスルーしてください)


『君の名は。』も『シン・ゴジラ』も、こうした世相を反映させたからヒットした、という向きはあるかと思います。


隕石によって滅んだはずの町を、好きになった女の子を助けたいという若い情動で救ってしまった『君の名は。』。

冒頭、未知の災害に遭遇した名もない日本人たちのシーンから始まり、最後には、いかにも日本人らしい対応で国難を乗り越えた『シン・ゴジラ』。


どちらも、本来は抗いようのない大きな力に打ち勝つ物語でした。


世相を、「ある文化において多くの人が持つ共通認識」と換言するとしたら、世相を反映することで、より簡単に(というと語弊がありますが)、より多くの、そしてより強い共感を生むことができる、のかもしれません。


HUNTER×HUNTERの選挙編を考えてみると、「人気取りに終始する選挙活動」や、「実力の伴わない理想論者」などを風刺しつつ、それらの「世相」を、仲間を想い合う主人公サイドが打ち破る――という図式にカタルシスが生まれた、とも読めます。



他方で、

>エゴを極限まで薄めたら大流行

というのもまた真実だと思います。


古い作品を引き合いに出すなら、スタジオジブリの『平成狸合戦ぽんぽこ』では、「ニュータウン建設と自然破壊」という世相をあまりに直截的に描きすぎたため、また、最後には、観客が感情移入して見ていた狸サイドが、(したたかに生き残ってはいるとしても)敗北してしまうという展開があまりに生々しすぎて、エンターテイメントとしてはすっきりと楽しめない造りになっていたようにも感じます。

もちろん、このテーマに真っ向から向き合った作品としては十二分に高い価値があるのでしょうけれど。


翻って、いくら「3.11以降」の日本だからといって、その復興の様子をありのまま描いたのでは、エンターテイメントとして接するにはやはり重すぎる気がしますしね。そうしてしまうと、もう、「登場人物のストーリー」というラインを飛び越えて、「現実を生きる私たちのストーリー」に近づき過ぎてしまう、と言いますか。


……まあ、『君の名は。』の場合は、恋愛こそが主軸であって、隕石はギミックに過ぎなかったのかもしれませんが――それでも、あの出来事に意味を見い出してしまうのが、現代の世相に生きる私たちだ、だからこそ長く太いヒットになったのだ――なんて、後づけをしてみるのも楽しいです。


ともあれ、「多くの人が息苦しいと感じている世相を作品に反映させ、しかもそれも直截的すぎずに描き、最後にはその閉塞感を打ち破るストーリー」は、エンターテイメントにおけるひとつの王道になり得る(なり得ている)のかもしれないな、と思った次第でした。

2017/10/23 19:45

>世相を見る必要はあるのか

このテーマに対する返答は創作アンサーでいいのかな?
まあここに書いちゃうぜ!

・どのようなアプローチで進めればいいか

おれの結論としては、「もうたきぐち先生やってね?」ってところですね。
これ、なろうの流行サーチと一緒だと思うんスよ。

まず世相いうてますけど、ようはこれ流行りだと思うんスよ。

・ハンターハンター

ハンターハンターで総選挙をやったのは、AKBで総選挙をやって、選挙が楽しいものってイメージが大衆に与えられたからじゃないかなと。

冨樫先生が幽遊白書のページの合間で言ってましたね。
パクるときは元ネタがバレないところからにしましょうと。
なので冨樫先生は、何かのアイディアを考える時は、別のネタから発想していると思われます。
そのネタを、パクリだとわからないように自分の世界に落とし込んで、エンタメ作品に仕上げているのだと思います。

んでこれ、なろうの流行サーチと一緒じゃねって話ですね。
他の作品を見て、共通事項を抜き出して、なぜそれが受けたのかを考えて、自分ならどう作品に落とし込むかを考える。

世相サーチは、
今の世界を見て、話題になってる要素を見つけて、なぜそれが受けたのかを考えて、自分なら作品にどう落とし込むかを考える。

ってことなんじゃないかと。
要は、冨樫先生は最新の要素でブレストをやってるんだと思いますね。

・ズートピア

ディズニーはまたちょっと違う気がするんだよなあ。
あれ多人数で作ってますからねえ。

あれは売るためってより、シナリオライターのエゴだと思いますね。
ありきたりの話をやってもつまらないんで、そこに自分の感性に通じる、鋭いものを乗せているのかな~と。

お話を書く時って、一部部分でもいいから自分で肯定できるストーリーじゃないと筆のらないじゃないですか。その当たりなんじゃないかなって思うんスよねえ。
売るために世相を反映してるってより、お話を書く人のエゴを大衆に受けいられるようにマイルドにしたらウケたってパターンなんじゃねえかな。
君の名はもそうでしたね。新海監督のエゴを極限まで薄めたら大流行しましたね。

あってるかどうかはわかりませんが、僕の世相に関する認識はこんな感じですね。

2017/10/23 17:40

・世相を見る必要はあるのか。
以前からいろいろな創作物の批評を見るに、作品は「世相を反映しているから当たった」というような言説が見られます。
果たしてこれは正しいのでしょうか?

たとえば「ズートピアは出る杭を打つ、無能が天才を殺す世相。トランプ政権やイギリスのEU離脱といった世相を示唆している」「ハンターハンターはAKB総選挙でハンター協会選挙、異世界転生で暗黒世界と次々世相を反映している」というみたいな言説ですね。
正直言うとこれは「後出しのこじつけではないか?」とも思う反面、もしも本当に世相を反映させているのだとしたら、その技巧を習得したいわけでもあります。

もし真実だと仮定した場合、どのようなアプローチで分析を進めればいいのか?
また、そのアプローチからみた現在の世相とは?
……のようなご意見をいろいろ聞いてみたいです。
友人が言っていた「タイトルと俳句の親和性」について。

タイトルを俳句のように付けると良い、という話があり、たしかにそうだと感覚的に共感をしたのでそれを分解してみる。
最近はテレビでもゴールデンタイムに俳句の講評などが行われてそこそこ知識がある人も増えた印象。
俳句とは五七五調の季語のあるもの、というルールで詠われる定型詩だ。

五-七句が日本語として音読リズムが良いというのは有名なので、タイトルに「リズム」という要素が必要ということであるとは思う。
また、季語はすなわち現代でいうところの「パワーワード」だろう。これでどういう季節=ジャンルかが示唆されるとも言える。

更に踏み込んで考える。
俳句の講評でよく言われることに、「曖昧な表現はNG」「具体的な音や情景が想像ができるものがよい」という物がある。
これはつまり「具体的に何が起こるか想像できる」という点があるだろう。
そのタイトルを読んだだけで、「ああこんな話なのかな」と情景が浮かぶのが強いタイトルだと思われる。
逆にぼんやりとした表現――「きらめく」とか「彩り」とか――はあまり良くないと言える。「すーぱーすごい面白ストーリー!」なんてタイトル、誰も読もうと思わないですよね。

私は俳句に対して門外漢なのでこれ以上言えることはないが、つまり俳人=スーパーコピーライター……の資質があるのではないだろうか?

2017/10/22 10:34

書影が出たよワーイ

2017/10/20 16:24

takigutir

2017/10/20 16:15

プロフィール

滝口流です。滝口、たきぐち等という名前で活動している事もあります。
Twitter @TakigutiR

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