年寄りなのでもうみんなに労られてへらへら生きたい!!

>ゴールド


本当の危機勃発の瞬間は、流動性への逃避が大規模に発生するので、ドル(おそらく円も)が上昇し、その反動でかなり売られる可能性はあります。事実、リーマンショックの直後がこの現象でかなり売り込まれました。

ゴールド価格を決めているのは現物ではなく証券ですから、瞬間的に凍り付くほど売り込まれる可能性があります(ドルが急上昇を演じれば十中八九そういう状況が瞬間的に出現します)。そのため、価格の大きな変動をご理解のうえのほうが宜しいかと思います。ぼくは個人的にゴールドには様々な見地から魅力を感じているので、価格の上下動など関係なく一定程度の長期保有をしています。



>散骨とか逆に遺族にとって手続きや金やら負担かかるし


ぼくは墓には押し込まれたくないと思っておりまして、海にまいてもらうのが最善だと思っております。

佐々木先生と同じく葬儀も不要です。

ぼくはまだ人生の半ばも過ぎていないので、自分が真剣にそれを悩む将来の想定としては、散骨はすでに一般的なことになっているし、今よりもっとシームレスな処理方式が確立されているであろうと確信しています。でなければ日本社会全体としても、国家財政としても、確実に対応できません。だから自分の望む形で対応できると考えており、万が一そうなっていなかったとしても、それを行うだけのお金は残しておきます。

これは自分の世代における想定でありまして、他の世代の方々の死に方はまた別の対応を要するであろうと考えるところですので、あくまでぼく個人的なお話として。



>人間嫌い


昔は人間嫌いだと思っていた時期もありましたし、世間から離れて暮らしていきたいと思っていた時期もありました。それがまったくなくなったわけではございませんが、そうかといって今では口にするほど嫌いではなくなり、「まぁいいんじゃない」と受け入れるようになりました。何でもOKです、何が起こってもOKです。この本質は、世間への無関心なのだと思います。



話を前に戻してしまって恐縮ですが、

一つのケースとして佐々木先生は「あなたに死んで欲しくない」という事例を挙げられました。

本件で感じたことなのですが、佐々木先生は佐々木先生なりに深く悩んで何らかの方針に至り、ぼくは結構ぞんざいかつ理屈から一つの結論に至り……こうしたアプローチの仕方がまったく違っていても、でもその到達点は意外に近いのではないのかなと思いました。

2017/07/14 21:10

>ゴールド

単に見て「なんか綺麗」みたいなところがありますよね。
子どものときに親戚に金を見せてもらって「あらまあ綺麗」みたいに思った記憶のまま……。

>散骨
年齢的に私のときはまだ散骨がスムーズに進まないような気がします。
でも至道先生の年代だと「自分の終末のプロデュース」もいろいろと選択肢が増えていそうですね。
私の死ぬくらいの時代に、私の求める類の選択肢もいくつか組み込まてるかなあ……。
などと言う人に限ってけっこう長生きして、実際は、私のときにも変わってくれてたりするかもしれないですね。笑。
ある年代になったら、そのまま生きるか、あるいは年単位で選択して安楽死できるような制度ができているといいな。未来。
どうかなあ。

……別に早く死にたいわけではありません。

>アプローチの仕方がまったく違っていても、でもその到達点は意外に近いのではないのかなと思いました。

何度も話に出してしまって申し訳ないのですが……。
海猫沢先生と至道先生の対談を読んでいて「でもこのおふたりともに、まだ生きていらっしゃる。四十代になっても生きていらっゃるふたりだ」というのは、読ませていただいて、私にとっては「よい」部分のひとつでありました。

生きていくことに意味があろうが、なかろうが、そのへんはもうどうでもいいのですが、生きていればもしかしたらなにかの「いいこと」もあるかもしれないし「目的」を見つける人もいるのだろうと思えるのは、とても希望のある話だと感じています。

目的なんてなくてもそれはそれでもいいんですけどね……。

2017/07/17 18:24

そういえばこのあいだ学生時代からの友だち三人と谷中をぶらぶら歩いてまわって「人生に必要なのは結局は愛よ」という人と「え、必要なのは金だよ」という人と、それを聞いて「私の残り人生に必要なのは大根とかかな」という私とで三人にわかれました。
大根が特別好きなわけではない。米であっても肉であってもいいけど、食い物と水があればいいときっと私は思ってるのかな。

「つまり米を買える金ってことで、あんたは金派」と金派に入れられました。
派閥……? 派閥でいいや。

いい年をしても「愛で米が買えるか」「愛は金では買えない唯一のものよ」と語りあい結論は出ずに「どーでもいいかー」となりました。

両方、そこそこに欲しいですね……。
そこそこに欲しいからいま貯めておくね。愛も貯蓄する。

2017/07/17 18:40

お骨の話題が出たのでちょっと参加させていただきます。
うちは、プレートとかジェムにしようかと言ってます。場所も取らないしいいかなと。

2017/07/18 06:02

東雲さん

こんにちは。ナチュラルに「ひとでさん」と書きそうになり「いや、違う。筆名は違う」と、途中で消して、書き直しました。ヒトデのアイコンのインパクト強いです。


ダイヤモンドにするという案もありますが、ご家族はそれでもよいとおっしゃってますか?

下手に形をもってしまうとかえってさらに自分の死後もずっとなにかが残っていって精神的に邪魔という「だったら骨にして墓に埋めるのがいちばんらくなのでは」と振り出しに戻ったり。「配偶者の骨のダイヤモンド」「親の骨のダイヤモンド」なども「微妙」という意見がありました。


ジェムってなんだ。検索してこよう。

2017/07/18 11:24

ジェムは宝石なのですね。

整理下手な家族が「そんなものになったらたぶんほかのものに混じって捨てるとかなくすとかするし、形にならないでくれるほうがありがたい」といってました……。

骨にしてから木っ端みじんに爆発させる盛大な散骨形式の「爆発葬」というのも考えたのですが「迷惑だ」と言われました。迷惑だろうと私も思う。でも爆発してみたくないてすか?  死んだらもう痛くもないわけでだったら爆発してみてもいいんじゃないかなーって真剣に考えたんですけどね。

普通に共同墓地で、安くしあげて、合同でお墓入ってみたいなのか無難かなと思っています。

親が私に望んでるのもそういうのなんですよね。一番安くあがって、子孫がいなくなっても特にたれも困らないみたいな形にしてくれって。

2017/07/18 11:32

自分は「人生自体が必要ない派」ですね~。

こだわりが一切なくなって、チャレンジ精神もかえって旺盛になります。


爆発葬面白いです!

核爆発葬とかもいいかもです。

死んだ先の満足など興味ないので、その辺に撒いてもらえれば個人的には一番好ましいんですけどねー。



>親が私に望んでるのもそういうのなんですよね。一番安くあがって、子孫がいなくなっても特にたれも困らないみたいな形にしてくれって。


非常によく出来た親御さんだと感じます。

2017/07/18 15:43

ヒトデさんでもOKですよ(・∀・)


うちはもう実家とはほぼ絶縁状態ですし、相談する必要もなにもないですね。お願いされても聞き入れる理由もない。


現在の肉体は、現世をゲームサーバーと仮定すると、PC(プレイヤーキャラクター)ボディなんですね。プレイヤー(魂)が入るための器。なので死んだらもう用済みです。(だからといってぞんざいに扱っていいとは思ってないですが)

せいぜい、連れ合いが生きている間ぐらいは話しかける対象として、ジェムなりプレートなりがあればよくて、夫婦両方が死んでしまえば、あとは普通の廃棄物になるだけ、みなさんにご迷惑もかからないという仕組みです。

そしてまた新しいPCボディでこの地上に戻ってくる。それだけの話です。

2017/07/18 16:11

>「人生自体が必要ない派」
そうなってくるともう本当に「人生とは……」となってしまいます。
至道先生の生き方は私にはとても難しい……。おっしゃっていることのとっかかりとか、手触りとかはわかるような気がするのですが、でもちゃんと把握できてないなー私はなーって思います。

東雲さんのは一気にSFですね。

私、生まれかわりたくはないんですよね。輪廻転生みたいなのはもう勘弁してくれと思ってます。
あと、悪いことしたら墜ちる系のやつだと「畜生なことをして畜生道に落ちて、金持ちの家でちやほや生きる猫か犬になりたい。もう人は、いいや」って考えてます。畜生道最高!!

……老後の話じゃなく来世の話じゃのう、おばあちゃんや。

ひとりで老後を過ごすのはけっこうつらいような気もしますね。
友だちでも夫婦でも恋人でも兄弟姉妹でも、誰かが欲しいような気がします。
not子ども。
親子関係はどこかで解消したほうが、なんとなくいいもののような気がする。
それは私の家族の問題で、一般的にもそうなのかどうかは、わからない。でも親を抱えるのも、子どもに抱えさせるのも、いやですね。自分が。我が儘ですかね~。

2017/07/24 01:23

>そうなってくるともう本当に「人生とは……」となってしまいます。


ちょうど佐々木先生が輪廻転生の話も出されたので、ぼくがトークメーカーで架神さんとのやり取りのなかで前に書いた内容を次にコピペしておきますね。

別の議論のなかでの書き込みなのですが、まぁだいだい合ってるので。

2017/07/24 13:52

(※以下、ぼくの書き込みのコピペ①です。)



以下はぼくの勝手な話なので、超・完全スルーでいいです。横からちょっと自分の考えを書いておきますって程度ですので。


>生命の連続性


この「生命の連続性」という類の抽象的概念が幅を利かせていますよね。しかもこの生命の連続性なるシロモノは、社会的正義・政治的正義と大いに合致しているから始末に置けないところがあると感じていました。

自分、そういう政治的正義が絡んだものは胡散臭く見てしまうタチで、いつもならその時点で思考を放り投げてササッと身を隠してしまうのですが、ここでは作品作りということもあるため、自分が思うところをつらつらと書いてみます。


ラッセルさんは体制側の方なので、この生命の連続性という視点は、哲学として言い切ってしまっているように思います。

ですがこの問題は哲学であるべきじゃなく、究極的には科学として究明されるべきじゃないかと思うのですね。哲学0%、科学100%の割合で検討されるべき議題かなと思うのです。


そこで遠大な連続性ということを想定したときに、そもそも人はどこから来てどこへ行くのかみたいなまるでNHK特番チックでこれまた胡散臭いロマンチックな話になりがちなのですが、そうじゃなくて、自分はこのあたりは量子論が答えに近い(少なくとも現時点の科学では)と考えていまして、その観点からいくと、歴史というのはそもそも一方通行じゃないわけですよ。過去も未来も現在も、直線状に、一方に流れているものではなくて、一つのプログラムとして描き出されたものが我々の目の前に提示されているだけであって、連続性なる視点が科学的に間違っているのではないかなと思えるわけです。我々の意識は漠然とした連続性があると思いこむようにプログラムされているかもしれませんが、そこが究極的根源というわけでありません。


今回我々が取り組もうとしているのは人生のゲーム化ですが、実際のところ本当に我々の現実はその手のシロモノでもありまして、宇宙は無限大に存在していて、どこかの何者かが無限の宇宙を勝手に創り出していると想定されまして、もしかしたら未来の誰かのスマホみたいなもののなかで100恒河沙もの宇宙と、そこに住む生命の意識が、とくにスマホの持ち主の意志などに関係なく、勝手に生成され押し広げられているだけではないかと考えることもできまして、プログラムですから過去とか未来とかぼくらが意識しているものも架空のものである可能性だって検討せねばならないわけで、何はともあれ巷で跋扈する「生命の連続性」なるシロモノから、政治性は排除すべきであり、真相を突き止めたければ哲学や宗教など介在させないべきであり、科学としての視点から着実に検討を重ねていくべきではないかなと思うわけです。


一種の基地外じみたお話だと受け止める人もいるでしょうし、どう受け止められようと別に構わないのですが、幸福なるシロモノを追求していくのならば、哲学と科学を平行したほうが、少しでも近いところに到達できるのではないかなという気もするわけです。まして生命の連続性という命題になってくれば、それは科学として見つめられるべきものであると考えるところであります。

2017/07/24 13:54

(※以下、ぼくの書き込みのコピペ②です)



念のため誤解なきように、ごくごくちょっとだけ補足を申し上げておこうと思いまして書き込むわけですが、ほんの一文に過ぎないのですぐ終わりますけれども、この宇宙を創り出している者がいると書くと神の存在を指摘しているのかなどと疑われかねないわけで、ぼくは何もそのようなことを申し上げているのではなく、我々を取りまくすべてのこの宇宙は0と1で書き表せるものにすぎないわけでありまして、物体や液体のみならず、我々の思念や空想まで含めて数字で書き表されるもののわけで、この空間が0と1の集合体であることを排除する理由は一つもなく、そしてこの空間を創り出しているとぼくが指摘した存在(いわゆる上位世界のようなもの)ですらまた別の0と1で書き表されるもののわけでありまして、我々のこの宇宙にももうすぐシンギュラリティと名付けられた高知能AIの登場が待たれるわけですけれども、その知能とその時代最先端の記憶媒体があれば我々の宇宙すら別の宇宙を創り出すことが可能になるわけでありまして、その非常に些末で粗末な先達としてはシムシティやそういった箱庭系ゲームやMMOロールプレイングゲームに類似の片鱗が見いだされ始めているわけでありまして、それが仮に大宇宙になったとしても実のところ我々が考えているほど大規模な記憶媒体は必要なく、そもそも我々の認識こそが我々が手にしている宇宙のすべてでもありまして、宇宙の果てなどどこにもなく、我々が宇宙の果てを見ればそれが宇宙の果てになるというだけの単純な仕掛けにすぎず、月を見れば月があり、太陽があれば太陽があり、その先の別の星を我々が見れば星が現れるシンプルなプログラム上の組み立てなのでして、いずれこの宇宙も無量数の別の宇宙を創り上げていくわけでして、その意味からすると上位世界も下位世界もへったくれもないわけでありまして、我々も想像を絶するレベルのAIが出てくるともはや宇宙と宇宙の境界線まで突き破ることもできるわけで、しょせんは0と1の数字の羅列にすぎない物事のすべては、結局のところ0のようなものであり、そこには神もへちまもなく、要するに何が言いたいのかと申し上げますと、生命の連続性というのはまぁ連続と言えば連続なのだと言葉尻で無理やりこじつけ哲学者を気取りしたり顔をするのもまた乙なものではありますが、本質は別に何も連続していないのが極点なわけで、最終的には一つなのだよと申し上げておくべきであろうと思いまして、非常なるおせっかいであることは重々ぼくとしても承知している次第ではありますけれども、このような書物をまとめるにあたっては大衆迎合は避けつつ、ある意味で人間が示すところの神のようなものとして果断なる断定を下すのが本筋かと思うところではありますが、事は売れる売れないという実に些細極まる我々の目先の事柄にも絡んでくるものでもありまして、宇宙の真理と本の販売という極端から極端へ触れるのもまた愉しいものだとは思いつつ、要するに本書にかかわる関係者の皆さまがたと愉快なときを過ごしつつそれなりに皆さん黒字化してくれれば宜しいわけで、架神さんのようなバランス感覚の持ち主であれば上手い釣り合いを見つけてくれるのではないかと思う次第であります、よろしくお願いいたします。

2017/07/24 13:55

至道先生は、二重スリット実験については、どう思われますか?

ちょうど、今年の三月に出してもらった「ディバインゲート」というアニメとゲームのノベライズを書くにあたって、量子力学とか二重スリットについてとかいろいろ考えて調べていたので、それを思いだしながら至道先生の書き込みを「ほうほう」と読みました。

統治者というか、政治的ななにかがらみで、システムの都合上いちばんよろしい感じに宗教が組み込まれたのだとしても……というか、まあそうなんでしょうけれど、でもそれで「生きやすく」なるシンプルな人間はみんな幸せであると思う。
あ、なんだか誤解をまねく書き方になりそうだな。
うまく言えないな……。

2017/07/27 14:30

我々の宇宙のあらゆる物事の行方は明確な確率によって決められています。我々が直接確認していないものにはすべての可能性が存在しており(※別の見方をすれば、我々が直接確認していないものは存在していないということと同義)、確認することで確率によって物事が定まります。これはプログラム上の組み立てでして、とてもシンプルです。

そして物体が大きくなるほど、それは無量数の量子が集まって構成されたものなので、さまざまな可能性が折り重なることにより集約されていくことになります。

一つのシステムとして、とても理解しやすい世界構造だと言えます。

2017/07/27 16:12

間違ってるかもしれないけれど、至道先生が「人生そのものが必要ない派」なことについて、ぼやーんとした理解のきっかけをもらったような気がしてきました。

でもなんだかちょっと切ない気持ちになる……なんでだろうな……。
それは私の問題だなあ。なんでだろうな。

2017/07/28 20:26

私の場合は老後の計画なのですが。

もうちょっと若いと子どもの有無についてどう考えるかは重要なんだろうなあ。

とてもお世話になっている親族の墓と葬式についても「私がやったほうがもしかしてスムーズなのかな」などと考えたりする最近です。まだまだ先の話で、自分の親を見取ったあとになることなのに。
子どものいない親族のことを考える。

絶縁されているとそういうことは考えなくてもいいのでしょうね。

ひとつひとつ、そんなに直前ではないタイミングで、かといってあまりにも先のことすぎない段階で、関係者各自と連携をとったうえで、たしかめて確定して、それぞれにとって納得するものとしてエンディングを迎えられたらいいなと考えたりします。
……考えすぎなのかもしれない。

介護とか、葬儀とか、墓について私は考えすぎなのかもしれない……??

2017/07/29 14:37

自分の老後の資産見積もりとか、家族とか、葬儀とか、そんなんはまあそれはそれとして。
そっちもぽつぽつと書いていきますけれども。

「適度に楽しくものを書いていきたいのだよ」という今後の自分の生き方についてですよ。
書きたいのだよと思うのだとしたら、単に、書くしかないだけですよね。
結論はそれだけだ。

幽という雑誌の京極先生のお言葉を読んで「そのとおりだなー」と思いましたが、あれを読んでる方はもしゃべログにはあまりいらっしゃらない?

やるしかないのである。楽しいなと思うんですけどね。

2017/07/30 20:47

幽はまだ読めてないです、きっと読みます!

近所の本屋になくて、八重洲や新宿とかのアポのときに買おうと思っていたのですが寄る時間がなく。佐々木先生の心を捉えるほどの京極先生の言葉は、ぼくも読まねばと感じております。

2017/07/31 00:20

午前中に業務で渋谷に寄った帰りにようやく入手し、拝読させていただきました。


京極先生のような小説家の先輩のお言葉ですし、お話の内容も正しく、その通りであることばかりで、異論はございませんでした。

ただ胸に迫るような部分があったかと問われると、自分はそういう受け止め方にはならなかったなと思います。正論なので反論というわけではないのは前提のうえでになりますが、自分にはやや正義の色合いが強すぎたかなと感じています。

内容それはその通りなのですが、では熱く魂を燃やし信じる道を貫けばその人は正しく評価されるのかと問われれば、そういう世の中でもないことは京極先生ご自身もお分かりになったうえでの怒りや正義感なのではないかなと受け止めました。

道は一つではないし、自らの正義や理念を貫くのもクリエイターの道の一つですが、もっとカーブした道とか、ゆるい道とか、坂道とか、そんな多様性を笑って受け入れていくような側面もあってもいいのではないかなと個人的には思います。

古い出版界は死にゆく方向に進んでいることは書かれていた通りで、ならばこそまったく新しい道というのはあると思うのです。サムライのように作家のあるべき姿を求道するのは美しくもありますが、革命の先にある未来はまったく一変しているはずで、それは求道の延長線上ではなく、今まで誰も想定していなかったようなものだと思います。個別作品に向かい合う魂のことを申し上げているのではありません。人生全体の有り様とか、考え方について言及させて頂きました。

2017/07/31 12:41

至道先生


読んでくださり、ありがとうございます。

至道先生の心にはヒットしませんでしたか。それはそれで「なるほど」という感じがします。


あの話はすべて正論で、かつ、私は京極先生の小説がとても好きだという前提があり。

私の胸に一番刺さったたのは「本が出ないという人は、そもそもなにも書いてない」みたいな部分でした。すみません。いま札幌で、東京に幽を置いてきたので、ぼんやりとした「こんな部分ありましたよね」の概略です。


私はジョナサン・キャロルという作家さんか大好きで、ずっと「ジョナサン・キャロルみたいな小説出したいのですが」とあちこちに言ってますが、一度として「書いていいよ」と言われたことがない、でも、つまり一度として書いてないんですよ。笑。

笑、じゃないんですよ。笑っちゃだめだなあ……ってなりました。

本当に出してもらいたかったら「書いて」「これはおもしろいですね。出しましょう」と言っていたたるようにするべきだったんです。〆切りがないと書けないなんて幻想ですよね。もっと若くて、もっと無理がきくときに、どうして私は、〆切り以外のものを書かなかったのか。


生活の糧として書いて出すのとは別に、よほど書きたいなら、書くべきだったのです。しかも、ちゃんとおもしろいものを。

という反省をしました。


あと、私、本当に小説が好きなんですよー。

漫画より、映画より、アニメより小説です。

「私の好きな小説を、文章を、受けとって、私の脳内て想像したもの」は、どんな漫画より、なにより、最高におもしろくて圧倒的に美しくて残酷ですさまじいものなので、私は、娯楽として小説を超えるようなもしろいものをいまだ受け取ったことがないです。

違う意見のかたはたくさんいらっしゃることは承知しております。


けれどとにかく小説好きとしては、大御所さんにこういうことをおっしゃっていただけるとホッとするんです。


自分が書く側ではなく、受け取る側としても、小説は……私の愛して信頼して「どんなもよりすごい」と信じている媒体が、生き残ってくれることを望んでいます。

書いてる側がそれを信じないで、誰がなにを信じられるというのかと思う。


といいつつ、京極先生がそこまで小説とか本を信じてるかどうかは定かではいですけどね~。


同人誌と商業誌とのくだりについては「でも、同人誌でもいいものはいいし、同人誌になっちゃって困るのは実は作家ではなく、大きな版元さんで、社員たくさんいる大企業は利益出さないと難しいってことだよな」と思って読んでました。

が、そんなこと言い出す私は、版元さん的には、あまりよろしくない……ですね。笑。


ただ「書こう」と感じました。

〆切りのあるものと、それ以外のものも。

会社から出版されるであろう本になるものと、もしかしたらそうならないものも。


なにもしないで「出ないんですよね」と言う、たやすい日々を送るのは、そろそろやめにしないと、残り時間ないじゃないですか。私。


人生全体としては……人生全体か……人生。


人生……人生!?


至道先生、いつもお話が、私の想定しているものよりずっと大きくなる……。見ている未来がでかすぎるよ。人生についてもうちょっとでかく考えます。わたしも。


2017/07/31 19:09

プロフィール

佐々木禎子(ささき ていこ)
作家。
札幌出身・東京と札幌を行ったり来たりしています。
1992年雑誌JUNE「野菜畑で会うならば」でデビュー。

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完成テーマ

完成テーマはありません

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