年寄りなのでもうみんなに労られてへらへら生きたい!!

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たまたま札幌に夏来てみて実感していること。


涼しい。


自分の身体が完璧にガタガタになる前の、動ける範囲の時期は「夏の長期を札幌で過ごす」を想定して生きていくのもいいのかもしれないとこの夏真剣に感じました。

現在、使ってもいいらしい軽自動車があるのでそれに乗ればもう少し機動力もあがる。だいたいいまは出かけたついに帰り際に飲酒してしまうので車で出ないのですが。


今後五年間くらいは夏に札幌にいる期間をもう少し長く考えたい。

そうするにあたって自分の病院通院のタイミング整えたり、薬長めに出してもらったり医者と相談なくちゃだなー。


自由とはなにかなーっていうのをまだずーっと考えてたりもするんだけど。


私は、自分の生き方が自分コントロールで完全に自由だったことが……ないですね。そういえば。

心そのものは自由なんですが。

生活としていつも「誰か」を支える部分を見据えて動いていて、そのために不自由になったり、そのために我慢したり逃がした「なにか」もいくつかあるような。

ただその不自由が不幸だと考える部分も薄いなあ。


自分にできる範囲で、自分の身の回りの人の手伝いができたり、役に立つことが、私にとっての「幸福」の要素のひとつでもあんですよね……。

まあ、いま、漠然と想定しているのは育児と介護と結婚生活などがチラチラと脳裏に浮かんでの発言なんですけどねー。


それぞれ経験しての納得感もぼんやりと思う。

育児→好き。いま思えば、おもしろかった。子どもがどう思ってるかは別問題。

介護→好き嫌いの範疇とは違うなにか。死に向かっていく身近な人を補助するものなので「やり遂げた」感がなく、終わると喪失しかなく、あまり得意ではないが、といってしないでいたら自分で自分が嫌いになるだろう。

結婚→向いてなかった。あとどうも制度として苦手かもしれない。名義変更その他が面倒くさくて嫌なので二回目はないと思う。いろんな意味で自立してない人と共同生活するのは不向きだなあということだけは、わかった。


2017/08/17 08:07

年寄りなのでVALUについても気になって眺めてました。

私には危ないっぽいなーと眺めてたら、まんまとアレでしたね。

検索したらこれがわかりやすかった。


年を取るということはこういうことみんな眺めて「へー」って言わないとならないので、目をいつまでも大事にしておきたいものです。


クリエイターの人に対して善意でなにかしらの応援が素直にできるシステムには興味はあるのだよ。

でもVALUは私には、ちょっと違うなあ……。


善意でまわる世界ってこの世にはそんなにないのかね。ぼやき。裏読みとかそういうことしないで生きていく世界がいいです。年とると考えるの面倒じゃね?  年とらなくても考えるの好きじゃなかったけど。

2017/08/16 12:09

東雲さんは「自由である」ということに重きを置かれて過ごしていらっしゃるのですね。

たしかに自分でコントロールできる「自由」は幸福と密着しているよう思えますね。


お金があって時間もあって好きに過ごしているはずなのに、なんたか心は満たされないのだ……みたいな人も、そういえば、いるね。

そういうときの自由はもしかしたらポカーンとした心の檻になっているのかもしれないけれど。


望んでいるものになれないと、人は、自由を感じられないのだろうか。


抽象的だな。

そなことを東雲さんの「幸福論」から考えたりした夏の午後です。



2017/08/10 16:19

>至道先生には、ぜひとも幸せになっていただきたいです。


ありがとうございます!

幸せといえば幸せですし、不幸なこともいっぱいありますし、色々ですね~。

2017/08/10 00:18

幸せとは、心が自由なことや、自分の生き方を自由にコントロール出来る状態(程度はありますが)だと思います。ざっくりですが。

2017/08/09 20:12

至道先生には、ぜひとも幸せになっていただきたいです。うっとうしくてお節介な近所のおばちゃん視線か……。いや、すでに幸せでいらっしゃるのでしょうけれども。


幸せとはなにか……。


ということを考えます。

2017/08/09 07:50

そのウィキペディアに出ていた「世界でもっとも孤独な鯨」というのは良い表現ですね~。自分のことなのかなと思いました。なんか自分かわいそうですね。

2017/08/01 00:23

男女差もあるのでしょうが……知能差もあるのでしょうが……至道先生は52ヘルツのクジラ的なところがあるように見えてきてしかたがないのでした。


いや、そこまで孤独ではないでしょう。ないでしょう。うん。


私はとても情緒的に女性的な人間なんで、そんなふうに感じてしまうだけなのかもしれないですね。

2017/07/31 23:35

>至道先生、いつもお話が、私の想定しているものよりずっと大きくなる……。見ている未来がでかすぎるよ。人生についてもうちょっとでかく考えます。わたしも。



前にも「性差」について出したので蒸し返しみたいになって恐縮なのですが、この点における佐々木先生とぼくとの違いというのは「性差」が如実に表れている部分なのかなと感じていました。このプチ座談会を通して、最初の時点からずっと感じており、客観視して興味深く思っていたところです。


「女性は今日を生きている人たちで、男性は未来を生きる人たち」というのがぼくの理解しているところです。もちろんぼくが正しいと言い切るつもりはなくて、これは自分の意見です。

女性は繊細で周りの多くのことに気づきますし、目に見える部分を信用される方々だなと感じています。一方の男性は、無精で、周りのことに関心は低目ですが、将来の方向を見たがる人たちなのかなと。


とくに我々人類が非常に長きにわたる生活を営んできた狩猟採集時代においては、まだ見ぬ獲物をどこまでも採りに行く役目は男性のものでした。残った女性たちが目に見える木の実や野草を刈り取る役目でした。男性は意志力や理論に力を発揮する左脳が優勢で、女性は感情やコミュニケーションに重きをおく右脳が優勢です。

優勢という言葉では軽々しく聞こえますが、もうまったく別のアプローチで物事を考えていると思います


とくにぼくなどは男性のなかでも極度なまでに男性側に寄ってしまっていて、女性に叱られないと周りのことがわからないし何もできないレベルの残念な人間です。

だからぼくが常に宇宙全般、世界全体、人間の生涯みたいなスパンから話が入っていくのは、これは自分のこうした特性を考えると、自然なことなのだろうなと自分では理解しています。だからぼくなど、女性から見たら異次元の人だと思われます。妹とか、母親と話をしていても、この根本から全然違っているなと常日頃から感じています。

こんな超極端なタイプでもせめてマシなのは、いちおう自分のダメさ加減・異常さ加減についての理解があるということでご納得していただけないでしょうか(笑)

2017/07/31 23:07

佐々木先生が小説を愛する気持ちがすごく強く伝わってきて、思わず微笑んでしまうようなお話でした。こちらが嬉しくなるような、そんな気持ちになりましたね。


佐々木先生が「こうであってほしい」と感じていた部分を、京極先生が代弁してくださったんでしょうね。崇高に小説を愛する人たちの思いというのは似通ってくるのかもしれません。


その点で自分は特定の居住地がないような人間かもしれず、こうした純粋さを前にすると、上手く言葉にできないのですが、邪魔しちゃいけないなというか、自分などは一歩引くどころか二歩も三歩も引いてスーパー謙虚にいなくてはならないなという気持ちにさせられます。

古来より人間が崇拝するところの神っていうのは、そういうむき出しの純粋さがあって、その純粋さに心を揺さぶられたり、当てられたりする人たちが一つの大きな動きになっていくのかなとか、そういう色々に思いを馳せております。

2017/07/31 22:58

至道先生


読んでくださり、ありがとうございます。

至道先生の心にはヒットしませんでしたか。それはそれで「なるほど」という感じがします。


あの話はすべて正論で、かつ、私は京極先生の小説がとても好きだという前提があり。

私の胸に一番刺さったたのは「本が出ないという人は、そもそもなにも書いてない」みたいな部分でした。すみません。いま札幌で、東京に幽を置いてきたので、ぼんやりとした「こんな部分ありましたよね」の概略です。


私はジョナサン・キャロルという作家さんか大好きで、ずっと「ジョナサン・キャロルみたいな小説出したいのですが」とあちこちに言ってますが、一度として「書いていいよ」と言われたことがない、でも、つまり一度として書いてないんですよ。笑。

笑、じゃないんですよ。笑っちゃだめだなあ……ってなりました。

本当に出してもらいたかったら「書いて」「これはおもしろいですね。出しましょう」と言っていたたるようにするべきだったんです。〆切りがないと書けないなんて幻想ですよね。もっと若くて、もっと無理がきくときに、どうして私は、〆切り以外のものを書かなかったのか。


生活の糧として書いて出すのとは別に、よほど書きたいなら、書くべきだったのです。しかも、ちゃんとおもしろいものを。

という反省をしました。


あと、私、本当に小説が好きなんですよー。

漫画より、映画より、アニメより小説です。

「私の好きな小説を、文章を、受けとって、私の脳内て想像したもの」は、どんな漫画より、なにより、最高におもしろくて圧倒的に美しくて残酷ですさまじいものなので、私は、娯楽として小説を超えるようなもしろいものをいまだ受け取ったことがないです。

違う意見のかたはたくさんいらっしゃることは承知しております。


けれどとにかく小説好きとしては、大御所さんにこういうことをおっしゃっていただけるとホッとするんです。


自分が書く側ではなく、受け取る側としても、小説は……私の愛して信頼して「どんなもよりすごい」と信じている媒体が、生き残ってくれることを望んでいます。

書いてる側がそれを信じないで、誰がなにを信じられるというのかと思う。


といいつつ、京極先生がそこまで小説とか本を信じてるかどうかは定かではいですけどね~。


同人誌と商業誌とのくだりについては「でも、同人誌でもいいものはいいし、同人誌になっちゃって困るのは実は作家ではなく、大きな版元さんで、社員たくさんいる大企業は利益出さないと難しいってことだよな」と思って読んでました。

が、そんなこと言い出す私は、版元さん的には、あまりよろしくない……ですね。笑。


ただ「書こう」と感じました。

〆切りのあるものと、それ以外のものも。

会社から出版されるであろう本になるものと、もしかしたらそうならないものも。


なにもしないで「出ないんですよね」と言う、たやすい日々を送るのは、そろそろやめにしないと、残り時間ないじゃないですか。私。


人生全体としては……人生全体か……人生。


人生……人生!?


至道先生、いつもお話が、私の想定しているものよりずっと大きくなる……。見ている未来がでかすぎるよ。人生についてもうちょっとでかく考えます。わたしも。


2017/07/31 19:09

午前中に業務で渋谷に寄った帰りにようやく入手し、拝読させていただきました。


京極先生のような小説家の先輩のお言葉ですし、お話の内容も正しく、その通りであることばかりで、異論はございませんでした。

ただ胸に迫るような部分があったかと問われると、自分はそういう受け止め方にはならなかったなと思います。正論なので反論というわけではないのは前提のうえでになりますが、自分にはやや正義の色合いが強すぎたかなと感じています。

内容それはその通りなのですが、では熱く魂を燃やし信じる道を貫けばその人は正しく評価されるのかと問われれば、そういう世の中でもないことは京極先生ご自身もお分かりになったうえでの怒りや正義感なのではないかなと受け止めました。

道は一つではないし、自らの正義や理念を貫くのもクリエイターの道の一つですが、もっとカーブした道とか、ゆるい道とか、坂道とか、そんな多様性を笑って受け入れていくような側面もあってもいいのではないかなと個人的には思います。

古い出版界は死にゆく方向に進んでいることは書かれていた通りで、ならばこそまったく新しい道というのはあると思うのです。サムライのように作家のあるべき姿を求道するのは美しくもありますが、革命の先にある未来はまったく一変しているはずで、それは求道の延長線上ではなく、今まで誰も想定していなかったようなものだと思います。個別作品に向かい合う魂のことを申し上げているのではありません。人生全体の有り様とか、考え方について言及させて頂きました。

2017/07/31 12:41

幽はまだ読めてないです、きっと読みます!

近所の本屋になくて、八重洲や新宿とかのアポのときに買おうと思っていたのですが寄る時間がなく。佐々木先生の心を捉えるほどの京極先生の言葉は、ぼくも読まねばと感じております。

2017/07/31 00:20

自分の老後の資産見積もりとか、家族とか、葬儀とか、そんなんはまあそれはそれとして。
そっちもぽつぽつと書いていきますけれども。

「適度に楽しくものを書いていきたいのだよ」という今後の自分の生き方についてですよ。
書きたいのだよと思うのだとしたら、単に、書くしかないだけですよね。
結論はそれだけだ。

幽という雑誌の京極先生のお言葉を読んで「そのとおりだなー」と思いましたが、あれを読んでる方はもしゃべログにはあまりいらっしゃらない?

やるしかないのである。楽しいなと思うんですけどね。

2017/07/30 20:47

私の場合は老後の計画なのですが。

もうちょっと若いと子どもの有無についてどう考えるかは重要なんだろうなあ。

とてもお世話になっている親族の墓と葬式についても「私がやったほうがもしかしてスムーズなのかな」などと考えたりする最近です。まだまだ先の話で、自分の親を見取ったあとになることなのに。
子どものいない親族のことを考える。

絶縁されているとそういうことは考えなくてもいいのでしょうね。

ひとつひとつ、そんなに直前ではないタイミングで、かといってあまりにも先のことすぎない段階で、関係者各自と連携をとったうえで、たしかめて確定して、それぞれにとって納得するものとしてエンディングを迎えられたらいいなと考えたりします。
……考えすぎなのかもしれない。

介護とか、葬儀とか、墓について私は考えすぎなのかもしれない……??

2017/07/29 14:37

間違ってるかもしれないけれど、至道先生が「人生そのものが必要ない派」なことについて、ぼやーんとした理解のきっかけをもらったような気がしてきました。

でもなんだかちょっと切ない気持ちになる……なんでだろうな……。
それは私の問題だなあ。なんでだろうな。

2017/07/28 20:26

我々の宇宙のあらゆる物事の行方は明確な確率によって決められています。我々が直接確認していないものにはすべての可能性が存在しており(※別の見方をすれば、我々が直接確認していないものは存在していないということと同義)、確認することで確率によって物事が定まります。これはプログラム上の組み立てでして、とてもシンプルです。

そして物体が大きくなるほど、それは無量数の量子が集まって構成されたものなので、さまざまな可能性が折り重なることにより集約されていくことになります。

一つのシステムとして、とても理解しやすい世界構造だと言えます。

2017/07/27 16:12

至道先生は、二重スリット実験については、どう思われますか?

ちょうど、今年の三月に出してもらった「ディバインゲート」というアニメとゲームのノベライズを書くにあたって、量子力学とか二重スリットについてとかいろいろ考えて調べていたので、それを思いだしながら至道先生の書き込みを「ほうほう」と読みました。

統治者というか、政治的ななにかがらみで、システムの都合上いちばんよろしい感じに宗教が組み込まれたのだとしても……というか、まあそうなんでしょうけれど、でもそれで「生きやすく」なるシンプルな人間はみんな幸せであると思う。
あ、なんだか誤解をまねく書き方になりそうだな。
うまく言えないな……。

2017/07/27 14:30

(※以下、ぼくの書き込みのコピペ②です)



念のため誤解なきように、ごくごくちょっとだけ補足を申し上げておこうと思いまして書き込むわけですが、ほんの一文に過ぎないのですぐ終わりますけれども、この宇宙を創り出している者がいると書くと神の存在を指摘しているのかなどと疑われかねないわけで、ぼくは何もそのようなことを申し上げているのではなく、我々を取りまくすべてのこの宇宙は0と1で書き表せるものにすぎないわけでありまして、物体や液体のみならず、我々の思念や空想まで含めて数字で書き表されるもののわけで、この空間が0と1の集合体であることを排除する理由は一つもなく、そしてこの空間を創り出しているとぼくが指摘した存在(いわゆる上位世界のようなもの)ですらまた別の0と1で書き表されるもののわけでありまして、我々のこの宇宙にももうすぐシンギュラリティと名付けられた高知能AIの登場が待たれるわけですけれども、その知能とその時代最先端の記憶媒体があれば我々の宇宙すら別の宇宙を創り出すことが可能になるわけでありまして、その非常に些末で粗末な先達としてはシムシティやそういった箱庭系ゲームやMMOロールプレイングゲームに類似の片鱗が見いだされ始めているわけでありまして、それが仮に大宇宙になったとしても実のところ我々が考えているほど大規模な記憶媒体は必要なく、そもそも我々の認識こそが我々が手にしている宇宙のすべてでもありまして、宇宙の果てなどどこにもなく、我々が宇宙の果てを見ればそれが宇宙の果てになるというだけの単純な仕掛けにすぎず、月を見れば月があり、太陽があれば太陽があり、その先の別の星を我々が見れば星が現れるシンプルなプログラム上の組み立てなのでして、いずれこの宇宙も無量数の別の宇宙を創り上げていくわけでして、その意味からすると上位世界も下位世界もへったくれもないわけでありまして、我々も想像を絶するレベルのAIが出てくるともはや宇宙と宇宙の境界線まで突き破ることもできるわけで、しょせんは0と1の数字の羅列にすぎない物事のすべては、結局のところ0のようなものであり、そこには神もへちまもなく、要するに何が言いたいのかと申し上げますと、生命の連続性というのはまぁ連続と言えば連続なのだと言葉尻で無理やりこじつけ哲学者を気取りしたり顔をするのもまた乙なものではありますが、本質は別に何も連続していないのが極点なわけで、最終的には一つなのだよと申し上げておくべきであろうと思いまして、非常なるおせっかいであることは重々ぼくとしても承知している次第ではありますけれども、このような書物をまとめるにあたっては大衆迎合は避けつつ、ある意味で人間が示すところの神のようなものとして果断なる断定を下すのが本筋かと思うところではありますが、事は売れる売れないという実に些細極まる我々の目先の事柄にも絡んでくるものでもありまして、宇宙の真理と本の販売という極端から極端へ触れるのもまた愉しいものだとは思いつつ、要するに本書にかかわる関係者の皆さまがたと愉快なときを過ごしつつそれなりに皆さん黒字化してくれれば宜しいわけで、架神さんのようなバランス感覚の持ち主であれば上手い釣り合いを見つけてくれるのではないかと思う次第であります、よろしくお願いいたします。

2017/07/24 13:55

(※以下、ぼくの書き込みのコピペ①です。)



以下はぼくの勝手な話なので、超・完全スルーでいいです。横からちょっと自分の考えを書いておきますって程度ですので。


>生命の連続性


この「生命の連続性」という類の抽象的概念が幅を利かせていますよね。しかもこの生命の連続性なるシロモノは、社会的正義・政治的正義と大いに合致しているから始末に置けないところがあると感じていました。

自分、そういう政治的正義が絡んだものは胡散臭く見てしまうタチで、いつもならその時点で思考を放り投げてササッと身を隠してしまうのですが、ここでは作品作りということもあるため、自分が思うところをつらつらと書いてみます。


ラッセルさんは体制側の方なので、この生命の連続性という視点は、哲学として言い切ってしまっているように思います。

ですがこの問題は哲学であるべきじゃなく、究極的には科学として究明されるべきじゃないかと思うのですね。哲学0%、科学100%の割合で検討されるべき議題かなと思うのです。


そこで遠大な連続性ということを想定したときに、そもそも人はどこから来てどこへ行くのかみたいなまるでNHK特番チックでこれまた胡散臭いロマンチックな話になりがちなのですが、そうじゃなくて、自分はこのあたりは量子論が答えに近い(少なくとも現時点の科学では)と考えていまして、その観点からいくと、歴史というのはそもそも一方通行じゃないわけですよ。過去も未来も現在も、直線状に、一方に流れているものではなくて、一つのプログラムとして描き出されたものが我々の目の前に提示されているだけであって、連続性なる視点が科学的に間違っているのではないかなと思えるわけです。我々の意識は漠然とした連続性があると思いこむようにプログラムされているかもしれませんが、そこが究極的根源というわけでありません。


今回我々が取り組もうとしているのは人生のゲーム化ですが、実際のところ本当に我々の現実はその手のシロモノでもありまして、宇宙は無限大に存在していて、どこかの何者かが無限の宇宙を勝手に創り出していると想定されまして、もしかしたら未来の誰かのスマホみたいなもののなかで100恒河沙もの宇宙と、そこに住む生命の意識が、とくにスマホの持ち主の意志などに関係なく、勝手に生成され押し広げられているだけではないかと考えることもできまして、プログラムですから過去とか未来とかぼくらが意識しているものも架空のものである可能性だって検討せねばならないわけで、何はともあれ巷で跋扈する「生命の連続性」なるシロモノから、政治性は排除すべきであり、真相を突き止めたければ哲学や宗教など介在させないべきであり、科学としての視点から着実に検討を重ねていくべきではないかなと思うわけです。


一種の基地外じみたお話だと受け止める人もいるでしょうし、どう受け止められようと別に構わないのですが、幸福なるシロモノを追求していくのならば、哲学と科学を平行したほうが、少しでも近いところに到達できるのではないかなという気もするわけです。まして生命の連続性という命題になってくれば、それは科学として見つめられるべきものであると考えるところであります。

2017/07/24 13:54

プロフィール

佐々木禎子(ささき ていこ)
作家。
札幌出身・東京と札幌を行ったり来たりしています。
1992年雑誌JUNE「野菜畑で会うならば」でデビュー。

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