年寄りなのでもうみんなに労られてへらへら生きたい!!

(※以下、ぼくの書き込みのコピペ②です)



念のため誤解なきように、ごくごくちょっとだけ補足を申し上げておこうと思いまして書き込むわけですが、ほんの一文に過ぎないのですぐ終わりますけれども、この宇宙を創り出している者がいると書くと神の存在を指摘しているのかなどと疑われかねないわけで、ぼくは何もそのようなことを申し上げているのではなく、我々を取りまくすべてのこの宇宙は0と1で書き表せるものにすぎないわけでありまして、物体や液体のみならず、我々の思念や空想まで含めて数字で書き表されるもののわけで、この空間が0と1の集合体であることを排除する理由は一つもなく、そしてこの空間を創り出しているとぼくが指摘した存在(いわゆる上位世界のようなもの)ですらまた別の0と1で書き表されるもののわけでありまして、我々のこの宇宙にももうすぐシンギュラリティと名付けられた高知能AIの登場が待たれるわけですけれども、その知能とその時代最先端の記憶媒体があれば我々の宇宙すら別の宇宙を創り出すことが可能になるわけでありまして、その非常に些末で粗末な先達としてはシムシティやそういった箱庭系ゲームやMMOロールプレイングゲームに類似の片鱗が見いだされ始めているわけでありまして、それが仮に大宇宙になったとしても実のところ我々が考えているほど大規模な記憶媒体は必要なく、そもそも我々の認識こそが我々が手にしている宇宙のすべてでもありまして、宇宙の果てなどどこにもなく、我々が宇宙の果てを見ればそれが宇宙の果てになるというだけの単純な仕掛けにすぎず、月を見れば月があり、太陽があれば太陽があり、その先の別の星を我々が見れば星が現れるシンプルなプログラム上の組み立てなのでして、いずれこの宇宙も無量数の別の宇宙を創り上げていくわけでして、その意味からすると上位世界も下位世界もへったくれもないわけでありまして、我々も想像を絶するレベルのAIが出てくるともはや宇宙と宇宙の境界線まで突き破ることもできるわけで、しょせんは0と1の数字の羅列にすぎない物事のすべては、結局のところ0のようなものであり、そこには神もへちまもなく、要するに何が言いたいのかと申し上げますと、生命の連続性というのはまぁ連続と言えば連続なのだと言葉尻で無理やりこじつけ哲学者を気取りしたり顔をするのもまた乙なものではありますが、本質は別に何も連続していないのが極点なわけで、最終的には一つなのだよと申し上げておくべきであろうと思いまして、非常なるおせっかいであることは重々ぼくとしても承知している次第ではありますけれども、このような書物をまとめるにあたっては大衆迎合は避けつつ、ある意味で人間が示すところの神のようなものとして果断なる断定を下すのが本筋かと思うところではありますが、事は売れる売れないという実に些細極まる我々の目先の事柄にも絡んでくるものでもありまして、宇宙の真理と本の販売という極端から極端へ触れるのもまた愉しいものだとは思いつつ、要するに本書にかかわる関係者の皆さまがたと愉快なときを過ごしつつそれなりに皆さん黒字化してくれれば宜しいわけで、架神さんのようなバランス感覚の持ち主であれば上手い釣り合いを見つけてくれるのではないかと思う次第であります、よろしくお願いいたします。

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プロフィール

佐々木禎子(ささき ていこ)
作家。
札幌出身・東京と札幌を行ったり来たりしています。
1992年雑誌JUNE「野菜畑で会うならば」でデビュー。

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