東雲さんは「自由である」ということに重きを置かれて過ごしていらっしゃるのですね。
たしかに自分でコントロールできる「自由」は幸福と密着しているよう思えますね。
お金があって時間もあって好きに過ごしているはずなのに、なんたか心は満たされないのだ……みたいな人も、そういえば、いるね。
そういうときの自由はもしかしたらポカーンとした心の檻になっているのかもしれないけれど。
望んでいるものになれないと、人は、自由を感じられないのだろうか。
抽象的だな。
そなことを東雲さんの「幸福論」から考えたりした夏の午後です。