歯の話。

乳がんになって最初にいったほうがいい場所のうちのひとつが歯医者です。
これは医師もそのようにすすめます。

万が一の骨転移があったときの治療薬が、使用したときに歯科治療をすると激しい副作用があるから……というのもあるのですが。

そこまでいかなくても抗がん剤の口内炎で口のなかが荒れるので。
抵抗力が落ちるからなのか。
急に歯が痛くなったり、歯周病になったりすることがあるらしい。

抗がん剤は、身体に負担がかかるものなので、手術のすぐ後にはじめるわけではないのです。ある程度の体力を戻してから治療に入ります。というわけで、他の治療前に歯医者さんにいくことをだいたいの医師は勧めてくれるでしょう。
勧めてくれなかったとしても、絶対にいったほうがいいですよ!!


という治療の副作用だなんだと書いてますが、人によっては「そもそもの治療なんてしたくない」っていう人もいるんだよね。
自然にまかせたいという人。
また違う、西洋治療とは別なものを選ぶ人。

それぞれです。

「抗がん剤なんてやるな。あれは毒だ」って言ってくる人、けっこういました。
毒なのかもしれない。強い薬ですしね。よくないのかもしれない。でもそれでも私は抗がん剤を選んだ。

私自身がとても抗がん剤が嫌いだった。笑。好き嫌いってあるんだよー。風邪薬とか注射にだって好き嫌いあるんだもん。あるに決まってるじゃーん。私は抗がん剤あんまのり好きじゃないよー。でも、やった。やるまで本当にいやだったよー。だって指先痛くなってキーボード打てない事例とか出てきてたんだもん。検索で。
切実に「仕事ができないでそのままずっと治療しつづける」という未来を想定したら頭真っ白になったんだよね。他の治療は怖くないのに、抗がん剤だけ、とても怖かったのです。

やってみたら、そんなことなかったんで。
やってみれば本当に。

治療はね。
やれるだけのことをやれば、
まわりの人がね、ホッとするでしょ。
というのも、ありました。治療してると、親とか子どもとかパートナーとか、ホッとするでしょ。
私自身もですね。なにもしないでいるより、やることしてたほうが気持ちはラクだよ。たぶん。

治療のいくつかについて。
それが嫌いだという人の、その嫌いとか、科学的な根拠とかは私は否定できないです。わからんし! 医療従事者じゃないし。
ただ。だからこそ、あまり強い言葉で「そんなのは死期を近しくするものだ」というような言い方は、しないようにしてくださるとちょっとだけ嬉しいなーと思ってました。

「やります」と思ってスタートする前とか、その後でも、周囲で「そんなものはダメだ」という声があると、迷うこともあるよ。人間だもの。
本人だけじゃなく家族に対しても「あの治療はダメだ」とかね。
よほどのことがないと、言わないで欲しいなと思います。
子どもとかは、驚くからね。優しくしたってなーって思うよ。親もパートナーも迷うだろうしね。

私は自分が生存するために西洋治療を選択しましたが、そうじゃない人もいるのであろう。
本人と、本人の周囲の皆さんが、納得されればそれでいいことだと思います。

歯の話からそれたが。

歯医者にはいっておくべき!!


2017/06/29 23:34

六月最終日。
隙を見て広島に旅行しようと思っていたのに行けないままだった六月。
私にしては忙しい月だった。
今月は文庫一冊の初稿を終え、打ち合わせ三件。資料読みは雑多に。
それだけで「忙しい」と感じている私の感覚はおかしいのかとweb作家の方たちの座談会を眺めたりしている。
ところでワークスタイル最前線の女性座談会は本当に参加できてよかった。いろいろと考えた。

七月末からひと月くらい札幌にいる予定なので飛行機チケットをとりボチボチと東京の冷凍庫の整理をしていた。昨日トンカツを揚げ肉関係の冷凍はクリアした。
今日はお芝居を観にいくのです。雨ですなあ。

今日明日はプロットと領収書の整理をする予定。
うん。これはあれだ。日記だね。日記。

2017/06/30 10:29

至道先生のめっちゃコワイ話のあとに書き込むのは気が引けるのですが…
その5です。

私は以前、実話系恐怖漫画雑誌を出している出版社に勤めていました。
グラビアページに、読者から寄せられた心霊写真のコーナーがあって、当時はデータで送られてくるのではなくて、毎月何通も、現像した写真が送られてくるのですね。
なかには見た瞬間に、霊感のない私でも「これはヤバイ…?」と背筋がぞくっとするものがあったり。
そんな心霊写真関係で、コワイな~と思ったことが一度ありました。
投稿された心霊写真をまとめて単行本にしようという企画が進行していた時。
担当編集の男性が、真っ青な顔をして同僚たちに告げてきたんです。

「1枚だけ、どうしてもスキャンできない写真がある…」と。

「何度スキャンしなおしても、妙なかすれが出たり、機械がエラーになったりして、データにならない」というのです。その写真、見せてもらいましたが、よくある、普通の、心霊写真でした。
でも、こういうのが本物なのかもしれない…と思ったのでした。

編集部では、ときどき写真たちのお祓いをしていたように記憶しています。

2017/06/30 11:50

その6
怖いというより少し不思議、ぐらいの話なんですけど。

僕の家は青森とはいえ結構開発はされているところにあって、周りに自然とか仏閣とかはあんまりないアスファルトで覆われたよくある下町、ぐらいの田舎なんですよね。もっと外れに行けば当然、結構田んぼとかはあるんですけど。
そんな家の近く、歩いて2~3分ぐらいの場所に駄菓子屋があって、僕は5歳ぐらいの頃にお小遣いをもらってそこに行こうと外に出たんです。

そうして隣の隣の家ぐらいの前を通った時。
そこでちょっとだけ年齢が上ぐらいの、坊主頭の少年が箒を持って掃き掃除をしてたんです。
全然知り合いでもなんでもないんですけど、そのときに「遊ぼうよ!」って話しかけられまして。
では僕は当時めっちゃ嫌な子どもで、とても人見知りする子だったんですよね。なので理由もなくとにかく嫌で嫌でしょうがなくて断ったんですけど、本当にしつこくって。
あんまりしつこいんで「じゃあ買い物してから!」って言い残して駄菓子屋に行ったんですよね。「絶対ね!」「待ってるから!」って何度も言われつつ。
そうして駄菓子屋でお菓子を買ったんですけど、やっぱり嫌で。
我ながら酷いんですけど僕はぐるっと家を迂回して、その家の前を通らずにそろりそろり逆方向から帰った……というだけのオチも何もないクソガキのお話でした。

ただ強烈に印象に残ってるのが、なぜかその子の格好が袈裟を着た坊主姿だったことなんですよね。近くに神社もお寺も宗教施設は何もないんですけど、まるで一休さんみたいな坊主頭と袈裟姿。

結局それ以後、その子を見たことは一度もありません。
掃き掃除までしてたっていうのに、たぶんその家の子じゃなかったんだよな……と思うと少し不思議なお話でした。

2017/06/30 15:54

その7です。

自分の話じゃありませんので、前のものより短いです。

過酷な生き様をたどった経営者から直接聞いた話です。この男、人様に誇れないような実に悪辣な商売をしており、頭の先からつま先までリアリズムに満ちた男です。理屈で説明できないことは絶対受け入れないタイプです。

たまたまこの男に、ぼくの先の体験談を話す機会があったんですよ。
そしたら案の定興味なさげな顔で、でも笑い飛ばしもせず、「ふーん」という感じでした。まぁぼくは(経営者としては)かなり生真面目な人間なんで(※自称です)、つまらん冗談や世辞は言わないことは理解していたでしょう。
でもぼくは、この男が笑い飛ばさなかったのが意外で、「もしかして社長も何か体験したことあんの?」くらいの話を返したように記憶してます。

その男が語ったところによると……
「一度だけ、生霊を見たことがあるかもしれん」

さらに突っ込んでみたんですよ、「どんな生霊だったんだ?」と。そりゃ聞くでしょう。

さらに男が続けます。
「一人暮らしだったときに、自室でシャワーを浴びようとしたんだよ。そして風呂場に行ったら、誰か入ってたんだよな」

今度はぼくが「ふーん」です。で、続けて「誰が入ってたんだ?」と聞いたところ、オウム返しで応じてきます。
「誰が入ってたと思う?」

「女とか言ったら俺は帰ろう」みたいなことを言ったと記憶してます。
しばらく沈黙があって、ようやく男が語りだします。
「風呂場のドアを開けたらさ……自分がシャワー浴びてたんだよな。そして、目があいやがったんだよ」
みたいに、他人事みたいに語りました。

ぼく
「つまらない冗談だな」
その男
「冗談だったらしょぼすぎる話だよな」
ぼく
「目があってどうしたんだよ」
その男
「全身が凍り付いたように感じたんだけど、何事もなかったようにドアを閉めて、それから家を飛び出した。神社行ってお祓いをして戻った。別に何ともなかったし、なんか変わったこともなかった」
ぼく
「それだけ?」
その男
「それだけだ。幻じゃなかったな」

ぼくも特に驚かず、「そういうこともあるのか」くらいの受け止め方でした。
正直、こうした話を他人から聞いても、半信半疑なのは拭い去れないものですね。しかしこの男は、ぼくから見ても異様に生命力に満ちているような恐るべき野郎だったので、わからなくもないような気もしました。
最後までそっけない会話でした。


以下まとめると……

★自分の実体験については当たり前だけどちゃんと確認している。

★人様のこうした話は、どんな真面目な顔をした会話であっても、話半分程度にしか受け止められない。

★リアルな実体験を得ていない人にこうした事柄を語っても、「ちょっと怪しい人」だと思われがち。妙な実体験を経ているぼくでさえ、他人のこうした話はまともに受け入れられない部分もある。ただ、完全否定するつもりはなくなっているのも確か。

★時間を空けた今だからわかるのは、この相手の男も、ぼくの話を同じように受け止めていて、話半分だけれども完全否定でもなく、「そんなこともあるよね」「そういうパターンもあるのか」くらいの受け止め方だったのではないか。

2017/06/30 21:11

その8

私が通っていた小学校の近くでは、秋になるとバザーが開かれていました。
小学生の私が、友達とバザーの商品を覗いて歩いていると、
おじさんに「値段も安くするし、おまけにお菓子をたくさんあげるよ」と声をかけられました。
夕方ということもあり、閉店セール状態だったのでしょう。


私は、干支の鶏と牛の置物(両手がふさがるほどの大きさ)を買いました。
確か2つで百円?で、百円以上のお菓子をもらえたので、とても満足して家に帰った記憶があります。


親には「気持ち悪い。捨てて!」と言われました。
私は「縁起物だし、なんかご利益ありそうだなー」と思って買ったので、当然拒否して部屋に飾って寝ました。

が、次の朝目を覚ますと置物がない!でも、すぐに見つかりました。
自分の部屋内の、昨晩とは違う場所に飾ってあったのです。


家族の誰かが動かしたのかな?と思ったのですが、家族の返事は「動かしていない」「気持ち悪いから触りたくもない」。


私も気味が悪くなって、その日の朝に置物を捨てました。


置物が動いた理由としては、家族のイタズラの可能性が一番あるのですが、家族にそういうイタズラをされたことが一度もないので、改めて何だったんだろうと思います。

2017/06/30 21:53

抗がん剤の話をもう少し。

抗がん剤の薬の使用量は、使う個人の身体の表面積というか体積というかそううものから算出されるのです。私は知らなくて「へ?」ってなりました。でもいわれてみれば納得ですね。
なので身長と体重によって各々の薬の使用量が違うのでした。
そのため同じ抗がん剤の治療を受けていても、身長が高い人は治療代が高くなったりするみたいだよ。

2017/07/01 10:32

その9

怖くはないです。不思議な話。

私が子どものときの話です。
小学校の三年か四年くらいだったと思います。
ある日、私は、普通に手を洗っていた。なんなく、ぎゅっと両手を強く握りしめた。そうしたら手からにょろりと白くて長い虫が出てきた。ぎゅっと握れば握るだけ無数の虫が私の手から滲み出た。思わず手のひらを確認したけれど、ただ濡れているだけで、虫など手の上のどこにも見えない。水は透明のいつもの水だ。そこは台所で、私たち家族はその蛇口から出てくる水を飲用にも調理にも使っていた。札幌の上水道です。昭和時代とはいえ、もうとっくに世界は清潔で、上水道の蛇口から虫なんて湧かない。
しかし流水にまた手さらし、手のひらを圧迫すればするだけ、虫が水に流れていく。どんどんどんどん無数の虫が、流水にその身をくねらせて、細い白い糸がねじれるように蠢きながら流れていく。五十、八十……もしかしたら百くらい?
私の肌から虫が湧いて流れているのだとしたら、その虫は汗腺とかそういうようなものよりはずっと太い。肌の下にそれだけの動くものを入れている感覚はない。そもそもどうやって滲み出ているのかわからない。出てくる瞬間は目視できない。

ただ、流れ落ちた水には、白い虫が無数に蠢いている。

でも子どもだったし、それはいまでもそうかもしれないんですが、その不気味だけど見たことのない眺めがとてもおもしろくて、私はずっと、虫が途切れるまで、流水に手をさらしてぎゅっと強く手を圧迫して洗い続けたのです。
蛇口を開けはなしたまま水にさらして手を洗っていたので、とうとう白い虫はいなくなり、跡形もなく流れていった。
虫がいなくなってから「あ、虫をここに流したら、母に怒られるのでは」と考えた。普段使いの台所なので。そのとき出かけていた母が戻ってきてから報告をした。怒られるとおそるおそるでした。
母は薄気味悪そうに一応、流しまわりを点検し掃除してました。
身ぎれいしていて、この手のことについては口うるさくしていた母でしたが、あまり怒られなくてほっとしました。

あとで聞いた話ですが、その時期の私は、人見知りの激しい子どもであり、少し癖があったため、母はそういう私にやや手をやいていた。「虫がいるから」と近所の誰かに言われたらしく、民間伝承の虫封じのおまじないを聞いていて私にほどこしたのだとか。「それだったのかしら」と言われたけど「知らない」と答えるしかない子どもでした。

でも本当に私は手を洗うはしから水と共にシンクに落下し、流れていく虫がうねうねしているのを見たのです。
とても気持ちが悪く不思議な光景でした。

わたしの手があまりにも不潔すぎて虫が湧いていたのだとしたら……それはそれでやっぱり、そっちのほうがぞぞぞぞぞと怖い話です…………。

2017/07/01 10:39

皆さんの怖い話が興味深い。
それぞれ自分の記憶に残っているということは、ちょっとした「ズレ」が体験時にあったんでしょうね。私もなんですが。
「なんか、おかしいなあ。いつもと、なにかが違うなあ」という、どこかが歪んでしまってうまく閉じられない引き戸とか引き出し似た「そういうことがありました」のひとことで閉じられない感じのガタピシした感覚があって、いまでもたまに思いだします。
「見たんだけどあれ、なんだったのかなあ」と。私の過ごすこの世界の引き出しでは、ぴったりとおさまらない歪みを肌で感じたから覚えているのだとしか。

昨日は新感線見てきました。髑髏城の七人。オレの粟根が(好きすぎるので所有格つけてしまう)今回もいいメガネであった。小悪人てメガネ役の粟根さんが大好きでたまらん。
続く、秋公演のチケットも取りたいなと思うくらいに楽しかったです。

2017/07/01 11:22

その10

20年ぐらい前、私がとあるイベントを開催した時の話です。

イベントが終わり、会場を出て、手伝いをしてくれた皆さんと一緒に、新宿へあそびに行くことになりました。

地下鉄を降り、西口駅前の地上に出ました。

たしかスバルビルの前だったと思います。とりあえずご飯を食べようという話になり、人数も多かったので、全員で人数を数えました。

みなで、一人二人三人……と数え、私をふくめ全員が『11人いる』と答えました。
数も確認したので、11人で入れそうな店へと移動しました。

私は適当な店を見つけ、入り口で店員さんに、
『11人です』
と告げました。

ところが、店に入ってみると――――10人しかいないのです。

一体だれがいなくなったのか?

全員に聞いてみたのですが、誰ひとりとして、「誰かがいなくなった」とはいいませんでした。もちろん、私も、いなくなった人がいる、という認識にはならなかったのです。

あの時多かった一人とはいったい誰だったのか。
全員が数え間違えたとは思えません。

唯一思い当たることといえば、その中の一人が「医学生」で、献体の解剖をしていたことぐらいです。
あれってやっぱり……

2017/07/02 01:28

抗がん剤の白血球減少の副作用について、しゃべログを読んでくださっている治療中の方から「ジーラスタ」というお薬のお話を教えていただきました。
調べてみたらこの数年で使われはじめたお薬のようですね。
「がん化学療法による発熱性好中球減少症の発症抑制」のためのお薬で、使い方は、「がん化学療法剤投与終了後の翌日以降、化学療法1サイクルあたり1回皮下投与する」とのこと。
教えてくださった方も、皮下注射で、打っていただいていたとのこと。
腕とかお腹とか脂肪あるところにつまんで注射すると痛みが軽減するらしい。
毎回こちらを打ってもらうと白血球値が下がらずスムーズに抗がん剤ラストまでいきつける確率が上がるのかな。

治療はどんどん進歩していってますね。ありがたいことです。
そして教えてくださいましたMさん、情報くださって、ありがとうございます。助かります。

また、今回、ジーラスタを検索して調べているうちに、乳がん治療に特化した自己管理的なノートブック「BC-Note」というノートブックの存在を知りました。

治療の副作用メモというのは、メモする習慣がないと忘れがち。
そして長い期間治療にかかるのもあり、すべての治療について「何日目にこんな症状になりました」という報告は次回の通院時にしておいたほうがいいし、その際に処方された薬についても自己管理としてメモしておいたほうが安心。
私はこのノートのことを知りませんでしたので(もしかしたら当時はまだなかったのかもしれない。わからないけれど)使ってませんが、もし知っていたら購入し記載したと思います。

2017/07/02 12:08

昨日はどうしても生牡蛎が食べたくて夜に友だちと生牡蛎食べてきました。冷えた白ワインと生牡蛎という組み合わせは私の好物である。このまま一生アレルギーにはならずに生牡蛎を食べ続けたいものである。

2017/07/02 18:11

その11

やはり怖くはない話です。
うちの初代兄弟猫がまだ元気に生きていた頃の話。
なぜか盆の時期の仏間にいると猫は尻尾をぼわっと膨らませていた。
他の時期は同じ部屋でも普通です。
蝋燭とか雪洞とかあっても普通です。ただ盆の時期だけタヌキみたいにぼわぼわと尻尾を膨らませて仏間を歩くので「いるのかなあ。でも親族だから別にいても怖くないなあ。むしろおじいちゃんには会いたいなあ」と猫の視線を追いかけてなにも見えないけど「いるなら、ゆっくりしてって」と声をかけました。
写真撮っておけばよかったな……。

2017/07/03 11:51

ところでジーラスタはちょっとお高いお薬のようです。
これね、抗がん剤もそうなんだけど「新しくできて、効き目がいいの」っていうお薬はだいたいお高いのです。その薬ができるに至るまでの開発費みたいなののせいなんですかね。1度理由を聞いたのだけれど覚えてないや。
ただ「最新の薬は高い」。

でも治療されるのだったら最新の薬がいいですよね。

そして日本では高額医療費の制度がありました、月にある金額以上の医療費がかかったら、残りは負担してもらえるのだ。この制度には助けられました……。
私は八万ちょっとまでで、それ以上かかった部分は補助してもらえました。手術と入院は補助してもらってます。

乳がん治療の医療費補助制度・支援

それでも治療費は高いですが……補助なしで全額自分で払うのと比べるとありがたい……。

とはいえ、八万までは自分で払うのよね。
まあCMFはタキソより安かったけど、それでも毎月ン万が飛び。さらに検査費だ別な薬だなんだかんだと飛びますね。
抗がん剤の時期は通院と抗がん剤の治療費が必須で、周囲に「仕事休まなくていいんですか」と言われましたが「治療費がどこまでかさむか不明なので毎月休むのは怖いなあ。ちょっと働いておかないとこのあとが不安です」と地道に働いてました。

でもいま思ってもあのときは働いててよかったんだなと思う。
そのときに働いていたおかげで、いま、書けてる仕事先もあるわけだし……。
ちょうどそのときに重版かけてもらったりのシリーズもあったりで、なんとかやれていましたね。

2017/07/03 19:39

乳がんの記録が「わかりやすい」と言っていただけで図に乗っています。自分が乳がんのときに検索でうろうろとしていたので「もっとこう、身構えないですむわかりやすくて、ゆるーいブログないかなー」ってしていたので。誰かの役に立てばいいな。検診にいこうと思ってもらったり、検診にいかないまでも自分の身体に気をつける習慣の見直しになってくれたら……。
「誰かの、なにかの役に立つかもな-」というのは嬉しいなー。

2017/07/03 20:59

リンパ郭清した人は、リンパがなくなってしまいます。
しかし人間の身体というのは不思議なもので、別なものがなくなった部分の仕事を補佐するようになるのです。皮膚の薄い下に細い細いリンパの流れができて、ちゃんと体内にリンパを巡らせてくれるようになる。
が、それはとても細やかで繊細な流れなのである。
いままでのように扱うとそのリンパ管はつぶれてしまいます。

で、間違うとリンパ浮腫になる。浮腫んでしまう。リンパが流れないというのはとても大変。医者が真顔で「本当に大変なんだ。リンパ浮腫」って言いました。めったに真顔にならない担当医が。

というわけで、術後すぐに、友だちが退院祝いとして私に「正しいリンパマッサージの方法のトレーニング」に連れていってくれました。予防ですね。

心愛治療院

さわさわさわさわさわさわさわさわさわさわさわさわ。
みたいな触り方なんだ。

「こんなに優しくしないと肌の下のリンパの管って壊れてしまうんですか?」
「そうですよ」
実技指導で「さわさわさわさわさわさわさわさわさわわさわ」を習う。
想定しているのの半分くらいの「ふわっと」感でマッサージって感じはしない。

通常のマッサージよりさらに価格は高いですが、ガチで浮腫んでしまうと、高いも安いもないのですよ。本当にリンパ浮腫はなってしまうと大変なので。予防しましょう!

おもしろいと思ったのは「ない左側のかわりに」浮腫を「左の太もも」と「右の脇のリンパ」に流すという動きですね。「なくなったら他のとこを使う」んだなあって。使えるもんなんだなあって。
私は痛いといいっても、浮腫といっても、ちょっとした程度なのでまあまあぼちぼちやれてます。普通の手術痕とか傷跡が痛むみたいなのと同じ程度。台風の前とかちょっと痛いし浮腫むこともあるし、肩こりはひどいけど、パソコン使ってる人はだいたいこんな感じの肩こりのような……。乳がん関係ないような?

ところで郭清した左には指輪もブレスレットもつけてはならぬというお達しで、つけないで過ごしてます。

ささやかにたいしてつらくはないけど、ちと残念な制限が入ってくる。左手によくブレスレットやバングルつけてたもので……。

浮腫が本気でつらくなったかたはここ、おすすめです。


2017/07/04 22:42

通院日。病院で半日過ごすと疲れるねー。なにしてるっていうわけでもないのにどーして疲れるのかねー。不思議です。今日はだからお休みー。

2017/07/05 17:11

ツイッターで話題にでてましたので「幽」Vol27を入手。掲載されている京極夏彦先生の文学賞のスピーチを詠みました。これは滾りますね。すごくワクワクして嬉しくなりましたね。がんばりたいですね。なにかを。笑。

2017/07/06 11:08

突然はじめます。
ここでのテーマは「これからどう生きるか」です。
私が!

第一希望。これ。

年寄りなのでもうみんなに労られてへらへら生きたい!

もう年を取りましたので周囲からは人ではなく老いた『なにか』として愛玩され労られて尽くされときには「おばあちゃんさっきもそれ言ってたよ」とたしなめられながら日々暴言を重ね無能であることを個性かつ特技として生きていく枠に入りたいので。



そのためにいまからできる努力や術について地道に考えていきたい。



残り時間がロスタイムに入ったときに、どう生きていくのか。

つーかその枠は「なにか成し遂げた」ものが入る枠なので周囲に尊敬されないとへらへら好きなようにして労られたりしないんだよなあ。たぶん。どうなんすかね。
そんなことないんですかね。


んで、今日は「幽」という雑誌のvol27の京極夏彦先生のスピーチ全文を読みました。これ、作家さんたちはみんな読むといいと思うよ。滾るものがあるよね。おっしゃるとおりのことですよ。
テーマ「これからどう生きるか」は様々意味があって、幅広すぎるだけに、まったり色んな方面に議論を広げていくのにとても良いですね。ぜひ議論に参加させてください。
このあたりの感覚は、もしかしたら女性と男性での大きな隔たりがあるのかもしれません。勝手ながら年齢を増すほどに、女性は悟っていく人が多いような印象を受けていますし、男性はバカだからどこか子どもっぽさが残るんですよね。

ぼくはいま40歳ちょうどなんですが、なんというか気持ち的には20歳のころと何も変わっていないんです。体力もまったく同じままだと感じておりますし、まだまだこれからだなという印象が漠然とあります。
老練化したなと思うのは知識とか経験の方面でして、それが積み重なるほどに自分の領域が広がってきてくれているようにも思います。
妙な話なんですが、日本ではまだ「若手経営者」の範疇なんですよね(笑)青年実業家らしいです。何が青年なんだかと思いますが、世間ではそういうことなので。

個々人の性格もあるでしょう。ぼくは元来「人生はゲームみたいなもの」という意識があり、やぶれかぶれで何でもやらなきゃ損だとも考えていますので、まだやりたいこと、やらねばならぬことが山ほどあります。それがなくなったらリゾートにでも引きこもってしまうかもしれませんが、まだまだ先のことであるように感じています。

京極先生のスピーチも後日拝読してみます。感想はまた書いてみようと思います。

プロフィール

佐々木禎子(ささき ていこ)
作家。
札幌出身・東京と札幌を行ったり来たりしています。
1992年雑誌JUNE「野菜畑で会うならば」でデビュー。

更新中のテーマ

完成テーマ

完成テーマはありません

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