ボドゲは自分の都合くときに、ひとりでできるものではないのでなあ……。
ゲームするときだけ「友だちがたくさん欲しい」って吐血するんですわな。

ゲーム友だちは常に募集しています。
女性だとすごく嬉しいよ。

2017/07/15 21:00

ボードゲームのダンゲロスしてきました。
やってみたかったのだけどプレイヤーにハードゲーマーが多いなら敷居高いので二の足踏んでたら、架神先生が「女子卓の場があるよ」と主催者さん情報を教えてくださったので、ツイッターで見て、女子卓に入れていただきました。

おもしろかったです。

感想。
完全なるボドゲ初心者にはちょっとハードル高いと思った。

でも数回でもゲームしてるなら、一回やったらなんとなく把握できます。たぶん。
私ができたということは普通の初心者は大丈夫。

でも通常の人は「そもそもボードゲームをしていない」と思うので(ゲームしてる人が多いのは私がこういう仕事だからと思ってるんだけど、どうですかね……作家やっててもゲームしてる人も少ないけど、どうなのですか……)単にダンゲロスの読書体験があるだけでゲームしたことのない人がやるのは難しいと感じた。

ただしその部分はゲーマスさん次第だと感じます。
ゲーマスという「呼称」はダンゲロスには不在なのかなあ、だとしたらゲーマスさんではなく「主催者さん次第」ということなのかな。

私、ダンゲロス一冊だけ読んでるのでそれで大丈夫かなと思ったけど、読んで、キャラを知ってるのと、カードの能力を知るのとは別物なので、ゲーマスさん的なアドバイザーさんに「そのカードの能力はこれだから、いまあなたはこういう能力が発動できるよ」アドバイスをいただけるのはありがたかった。
今回、主催者さんに、いろいろとアドバイスいただけたのでよかったのです。
これがない状態だと、ハードル高いなって。

あと三回くらいやってみたいです。
なぜ三回なのかは、なんとなくだよ。笑。
三回以上はします。
上限は定めませんが。ゲームは人が集まるかどうかもあるので、最低三回はしましょうということですという私の目安的な補足。すみません。やってくれる人がいれば、やりたい。

今日いちばんひやっとしたのは、主催者さんに「佐々木さんとサハゲの話をしたことがある○○さんは知り合いです」って言われたこと。世間狭いし、本当に、悪いことできないなって。悪いことは一切してないですが。
最近この「友だちがあなたと話したことあって」系が多すぎて、世間狭すぎて……。
もっと知り合いのいない世間になにかしらの「輪」を広げなくてはと思いました…………。

…………サバゲしたいので、そういえばよろしくって言えばよかった。
サバゲしようぜ。女子サバゲ。

2017/07/15 20:30

放射線照射前に、まずすること。

照射位置を決めるために、
機械にのっていろいろと計測する。
照射位置を毎回同じに固定するために患者の身体にマーキングする。

直に身体に線とか丸とかを「取れづらい」特別なインクで描かれます。

これがとても重要らしくて、かなり時間かかると思ってください。
短くて一時間くらいみておいたほうが……。

まず黒マジック。
そのあとで赤い染料。

あとで検索してみたけれどマーキング、みんな色は同じみたいですね。
赤の染料は固定なんですね。特殊なインクらしいから。

ただ病院ごと、もしくはその患者の照射位置ごとに違いがあるのかな……私の身体に描かれたのはかなり呪術的文様のように私には見えました。

「アートが私の身体に出現した」

みたいな感じでした。

鎖骨までアートなんですよ……。鎖骨まわりのところに余裕でラインついてるんですよね。謎の。

放射線でマーキングするって一般的知識ですかね。
私はそういう情報をもってなくて、自分が体験してはじめて知って、驚きました。
「抗がん剤は副作用でハゲルことがある」は広く浸透してますが「放射線はまず身体に直書きでマーキングする」も浸透してもいい気がします。
そのラインを放射線照射が終わるまでは絶対に消してはならないという知識と共に。

鎖骨まで赤いラインが描かれてると……服がね、困る。
私、襟のつまった服をほぼ持ってなかったのでそのシーズンのあいだだけの服をあわてて買いに行きました……。
あとスカーフみたいな軽めの巻きものも持ってなかったので買いにいきました。

2017/07/15 09:38

>ゴールド


本当の危機勃発の瞬間は、流動性への逃避が大規模に発生するので、ドル(おそらく円も)が上昇し、その反動でかなり売られる可能性はあります。事実、リーマンショックの直後がこの現象でかなり売り込まれました。

ゴールド価格を決めているのは現物ではなく証券ですから、瞬間的に凍り付くほど売り込まれる可能性があります(ドルが急上昇を演じれば十中八九そういう状況が瞬間的に出現します)。そのため、価格の大きな変動をご理解のうえのほうが宜しいかと思います。ぼくは個人的にゴールドには様々な見地から魅力を感じているので、価格の上下動など関係なく一定程度の長期保有をしています。



>散骨とか逆に遺族にとって手続きや金やら負担かかるし


ぼくは墓には押し込まれたくないと思っておりまして、海にまいてもらうのが最善だと思っております。

佐々木先生と同じく葬儀も不要です。

ぼくはまだ人生の半ばも過ぎていないので、自分が真剣にそれを悩む将来の想定としては、散骨はすでに一般的なことになっているし、今よりもっとシームレスな処理方式が確立されているであろうと確信しています。でなければ日本社会全体としても、国家財政としても、確実に対応できません。だから自分の望む形で対応できると考えており、万が一そうなっていなかったとしても、それを行うだけのお金は残しておきます。

これは自分の世代における想定でありまして、他の世代の方々の死に方はまた別の対応を要するであろうと考えるところですので、あくまでぼく個人的なお話として。



>人間嫌い


昔は人間嫌いだと思っていた時期もありましたし、世間から離れて暮らしていきたいと思っていた時期もありました。それがまったくなくなったわけではございませんが、そうかといって今では口にするほど嫌いではなくなり、「まぁいいんじゃない」と受け入れるようになりました。何でもOKです、何が起こってもOKです。この本質は、世間への無関心なのだと思います。



話を前に戻してしまって恐縮ですが、

一つのケースとして佐々木先生は「あなたに死んで欲しくない」という事例を挙げられました。

本件で感じたことなのですが、佐々木先生は佐々木先生なりに深く悩んで何らかの方針に至り、ぼくは結構ぞんざいかつ理屈から一つの結論に至り……こうしたアプローチの仕方がまったく違っていても、でもその到達点は意外に近いのではないのかなと思いました。

そして「人間嫌い」だとわりとずっとリアルでも言っているしあちこちで書きちらかしてもいるのですが、今日の夕焼け空がとても綺麗だったので「空が綺麗なときは、空が綺麗だねと言う人がいることの幸福」について考えたし、そういう日常を身近な人に伝える幸福というのが私のなかにあるので、ひとりで隠遁生活は「ない」なとも思いました。
花が咲いたよとか、空が綺麗だったよとか、そういうのを身近にいる人に言って「そうなんだ」と返ってくることを幸福だと感じる回路が私にはある。
言われた人はどう感じているのは……どうなんかね。それはまた別だな。

昔、男性の先生が「きみたちのこれからつきあう彼女が可愛いことと、きみが彼女を好きだと思うことと、彼女の話すことがきみにとっておもしろいかどうかは、まったく別なものだと思いなさい」って男子生徒に言ってました。思いだしました。

学生時代からの友人と谷中銀座をぶらついてきました。
暑いね。
友だちのひとりが乳がん治療で仕事を辞めていて、最近無事に治療を終えたので、また働くぞーって就職活動をするんだよーなんていう話など。「抗がん剤終わってからどれくらいたってから、カツラを脱いだ?」なんていう質問されたりとか、私からは最近のハローワーク事情を聞いたりとかねー。

ところで谷中の人はみんな優しかった。
道聞くのに交番に寄ったら「涼んでいきなよ」って言われたり、いろんな人が優しかった。いい街ですね……。

友だちはなんだか、いいものですね。
とも思いました。

2017/07/13 19:17

友だちと死に場所について語ったりしたんですが。

つまり、なまじ墓があったり、血縁がいると、どうしても墓まで移動しないとならないわけで。
葬儀を親族の多い場でとか、墓までをどうするのか遺体で移動して墓に近いところで葬儀か、葬儀は生きてる血縁にとって近い場でやってからお骨持って墓に移動してもらうとか、考えてみたら「死期が近くなったら、墓がある人って、墓の側で死んだほうがいいんじゃないの」話題。

私は墓はないのだが、自分ちの庭に埋めてもらうわけにもいかないし、散骨とか逆に遺族にとって手続きや金やら負担かかるしで「もしかしたら、自由に動けるうちは好き菜場所で暮らしていいが、死に際は、けっこう死に場所を固定されるのでは」問題。

階段の幅の狭い団地なんかで死ぬと、棺桶が曲がりきれなくて、階下までおろせない問題もあるって聞くし「死に際って、わりと場所選ぶかも」と思いました。

葬儀なんてしなくてもいいけど、遺体をどうするかは、どうにかしないとならないんで、あれだ。
一番らくなのは病院で死ぬことだなあ。
自宅で死ぬと、あとの人が大変そうだなあ。

死ぬことを想定して、どこで暮らすか老後を定めたほうがいいなあ……。
至道先生

自分の性格からして興味があるならとっくになにかしてると思うので、ここまでなんにもしなかった=やりたくないことのひとつが資産運用なんだろうなーと思いました。
やりたくないことは、しない今後を考えているし、だったらノーガードでいいなと思いました。

ゴールドについてだけはけっこう前から考えてたので、それだけちょっと考えてみます。
ありがとうございます。

すみませんこんな公な場で答えづらいことを聞いてしまって……。
リスクヘッジに振り分けられる余力は千差万別で、一人として同じ状況の人はいないので、したり顔でぼくが「こうしたほうがいい」というご案内をするのは憚られます。
まして、先の書き込みでも書いたように、必ずそのときは来ますし、迫っていることは事実ですが、タイミングについてはその瞬間が決めることです。それまではまだ既存の資産価格が上昇する方向でしょうし、現時点での振り分けが損失になってしまうこともあります。誰かの意見で右往左往するのではなく、自分の考えでご判断いただくしかありません。
急激な信用収縮の最序盤だけはドル(おそらく円も)が一瞬強く見えるでしょうが、それは本当は砂上の楼閣なので、その後のことは、信用創造が猛烈な速度で逆回転をすればどういう世界が現出しているかを冷静にお考えになってみてください。

また、無理に焦って対策を打つと、かえって上手くいかないものです。だからもし佐々木先生が運用などに慣れていらっしゃらないのなら、何もしないことのほうが結果的にマシになる可能性があります。

ノーガード戦法というものがあります。ええじゃないか戦法と言い換えてもいいでしょうか。
ほとんどの人が右往左往して沈没するばかりなので、逆に言えば、とくに備えをしなくとも、みんなと同じだと開き直ることもできます。
放射線の話にうつりますね。

私は三十五日だったか四十日だったか標準より長く照射してました。何グレイだったかなあ。こういう数値をメモってなかった。

病院が休みの日以外はほぼ毎日通院して照射してもらいます。
予約をするので待ち時間そのものはたいしてないです。
毎日一定の時間を通院しなくてはならないので、仕事しながら、家事をしながら、などの生活サイクルに組み込まれるのがちょっと大変。

これからしばらくは放射線について、困ったこと、副作用などのメモを残していきますね。

2017/07/13 09:27

今後へらへら生きていくために、私はどういう類の備えをしたらいいのでしょう。
経済的に。
一般庶民の個人の無能のひとりができる範囲の対策しかできないのですがアドバイスいただけましたら嬉しいです。

最近、何人かの人にリップルについて聞きました。しかし「よくわからないし、どうなんだろう」というぼやーんとした印象しかないです。ビットコインもだけど。うーん……。みんなどうしてるんだろうね。これからのこと。
>世界的な金融危機に対して

次の危機は、リーマンショックを凌駕する巨大な信用収縮になりますよ。すでに従来の経済環境ならば、崩壊しているはずの場所が多く存在しています。中国の金融システム、ドイツ銀行、ウニクレディト……ものすごい勢いで各政府が裏側で支えていますので、今は抑制されています。あとどのくらい、保たせることができるでしょうか。皆、最初のババを引きたくないのです。どこかに最初にババを引いてほしい。限界まで歯を食いしばって先伸ばす。自分が発火点になってしまえば、まるで自分のところが世界金融を崩壊させたみたいに攻撃対象になってしまうから。
タイミングまでは読めませんし、量子のようなもので、こればかりはその時点になってみないと可能性が定まりません。ただし崩壊しているという可能性は至るところに実在しており、その現実がどの時点において定まるか――それは、その瞬間が決めることです。次にその瞬間が訪れたときの劇的な始まりは、世界史に重大な出来事として刻まれるでしょうね。
ぼくが数年前、とあるシリーズで書いた世界金融システムの崩壊、そしてパラダイムシフトが、もうすぐ現実のものとなるということです。待っていました。


>現代社会で生きてる意味ってなんだ

別にないんじゃないですか。ぼくはそう受け止めています。「現代社会で」という枕詞も不必要だと思います。

こればかりは答えなど実在しません。
あえて意味づけしたいのでしたらどのようにでもご自身を納得させればいいと思うところです。哲学書をお読みになられて自分なりの答えを見つけるのもよし、人様が歌う「自分だけの花」とかいう歌詞を聞いて自分を納得させるもよし……ご自身の納得性が得られるかどうかだけの問題でありまして、どれほど探し求めても、答えが置いてある場所はどこにもありません。そのため本件について、もう悩まれる必要はございません。

自分がこうだ、と思えばそれが答え――それでオッケーじゃないでしょうか。そして死ぬ間際に、自分が勝手に納得して、幸せを感じられれば、それで満点認定していいんじゃないっすかね。イエス、100点満点です!
まぁぼくは、はなっからないと思っているので、答えを探すようなことには興味がありません。


>あなたに死んで欲しくない

これはまさに、佐々木先生の本当の本心なのだと感じられます。ぼくも、同じように言うと思います。
これ以上に正確な言葉を、佐々木先生と同様に、自分にも紡ぎだせませんね。
大切な人に伝える厳密な言葉として、これはベストなのだろうと感じます。
私は二元論すぎるな!!

そして私は世界的な金融危機に対してはなんら対策してないので、わーいってなりました。わーい。
どうしよう。このあいだチヒロさんとビットコインとかゴールドの話をしたけど酒飲んでたので途中でどうでもよくなりましたね……。ダメ度高い。

至道先生は、あまねくすべての人に対して鷹揚ですよね。

私は世界は苦手ですし、人間もおおざっぱに不得手ですが、人類に対しての愛と希望は持ちたいし、世捨て人になるには自分でいうのもなんですが優しすぎます。
世の中でいちばん好きで、信頼できる生物はたぶん昔もいまも「自分と暮らす犬」ですが、犬はもう亡くなってしまいました。

現在の社会では生きていく→金がないと大変
金が必要→働いたほうがいい
働く→朝から晩まで大変
朝から晩まで大変な思いをして働かないと生きていけない→生きてる意味ある?

という設問を数年前に問われてから「現代社会で生きてる意味ってなんだ」で明快な答えが出てこないんですよね。

もうみんな高等遊民みたいなもんじゃないかな現代日本人と思ってるので、自分のなかで意味づけしないと生きてけないのかなーつてすごい暗い気分になっただけで……どうしたらいいのかいまだわかんないです。こたえは出してない。

ただ、じゃあ生きてることに意味はないのかと問われると、身近な人には死んで欲しくないんですよね。そういう部分では情という部分の意味はあります。
「あなたに死んで欲しくない」という言葉以外に説得力のある言葉は出せなかったので、どう相手を納得させるべきかはいまだ考えています。
その相手は現状、生きてはいますが。

問いかけた人が私なんかは突き抜けて勝手に悟ってくれるとラクだなあって思ってますけど。
>至道先生は……じゃああまり世界に対してあきらめてはいらっしゃらない?


ぼくは「世界をあきらめる」「世界をあきらめない」という二元論で考えたことはないかもしれません。

佐々木先生がよく持ち出される「ぼくと海猫沢さんとの対談」で、海猫沢さんが世界に対して「絶望しきっている」「すっかり絶望している」と何度も仰っていましたよね。たぶんそのイメージに引っ張られていると想定するのですが、それは海猫沢さんのご意見です。
そりゃぼくとて血反吐はくほど絶望したことは一度や二度じゃ済みませんけれども、幾ばくか限定された範囲内・時間内のことでありまして、全体として世界のすべてを絶望しているとか、あきらめているという風に二元論的にはとくに思考しておりません。

なるべく今の気持ちを正確に言うと、「まぁ、いいんじゃないの」とか「そんなものですよね~」みたいな感じでしょうか。
世間様が憤慨していたり、メディアで怒りが充満していたり、一部の人が高らかに声を上げていらっしゃっても、ぼくのほうは基本は何でも「オッケーです!」と受け止めております。
世論の動き、さまざまな報道、政治や経済や金融や外交に関するさまざまな危機……そのすべてが興味深いです。そして自分は、そろそろ間近に見えてきた世界的金融危機、地域紛争のような出来事、インフレや災害などに向けて、ささやかですが可能な範囲で備えをしていますので、世界のすべてを観客席にいるような気持ちで拝見させていただくことができます。

その対談では、ぼくは「核戦争が起こってどれほど世間が大変なことになっていても、ぼくだけは肯定してますよ~」みたいなニュアンスのことを書いたように記憶しています。
ぼくと海猫沢さんは同じ考えのところもあり、まったく正反対のところもあり、要するに別の人間なので意見も違います。海猫沢さんのご意見と、ぼくの意見を混同しないようにお願いできましたらと思います。大筋として海猫沢さんは命には重要な価値があるという万人共通の価値観を持っていらっしゃるのではないかなと思いましたし、一方でぼくは人間には等しく(教育されているような)価値はないという大前提に立っていますので、根幹は違う部分が小さくないかもしれないと思いますよ。
誤解を恐れずざっくり言うと、「文学の方」と、「商売人」という違いがありそうに感じます。

ではご質問を返すようですが、佐々木先生は世界に対してどのようなお考えを抱いているのでしょうか?
世界が嫌いですか、絶望していますか、愛していますか、世捨て人みたいに生きていきたいですか。
クリエイターも創作物もクソほど生きてくうえで役に立たねーよってわかってる人がそれでもうっかりなんかの拍子に誰かを救ったり癒やしたり痛い気持をわかちあったりできることを信じてないとやってらんないだろうなーと通り過ぎていけたらいいですね。

2017/07/12 16:15

「そっちじゃないなー」と思う夕暮れ間近。じゃあどっちだよ。
あとかたもなくうっかり消える感じの方向だよ。

本日も生きのばしながら会員制の馬肉を食いにいこう。あとで読んでも意味不明なこと書いていこう。

ところで、私世代の女性みんな年下女性に「自活しろ自活しろ」よく言うね。
自活しないと大変だってこの世代は強く感じてるんだろうか。
ツイッター眺めて思った。
まあ男女問わず自分の食い扶持はある程度は自分で稼げたほうがいいと思うよ。
あと畑耕したりとか釣りできたりとか焚き火起こしたりとかもできるといいと思うよ。なんとなく。なんとなくの話だ。

2017/07/12 16:06

至道先生

ご説明ありがとうございます。
たしかに私の前提が間違ってましたね。
「ドロップアウトするとは」という部分で、私がすごく狭い定義で固まったものを想定していることら気づきました。

何度も丁寧にかみ砕いて説明くださり、ありがとうございます。
こういうところに自分の頭の悪さを感じる。初回でピンと来ないんですよね。

いかんなあ。
そのあたりにも自分の年を感じました。笑。
笑いごとではないのじゃが。

至道先生は……じゃああまり世界に対してあきらめてはいらっしゃらない?

>A「ドロップアウトする」とB「弱肉強食の世界に関わる」は相反するものでもなく、AはBに含まれることもある……みたいな……。


ここは違っているのではないかなと考えております。
ぼくはB「弱肉強食の世界に関わる」とは距離を置いてしまっています。厳密にはA「ドロップアウトする」なのではないでしょうか。

もちろん「お前はBだ」と言われたら、否定しませんし、それでいいと思います。自分としても説明しやすいので、ちょっとしたトークの場では誤解のないように流れのなかでそう言うかもしれません。いやでも弱肉強食という表現を使うかな……? 使うのでしょうか、流れで使うことがあるかもしれませんが、自分は弱肉強食の真っただ中というよりも、ぬるま湯の引きこもりかもですよ。

もしぼくがBだとするなら、野心全開でガツガツしていると思いますよ。
たぶん、トークメーカーを弊社で運営しようとは考えなかったかもしれませんね。トークメーカーは他のクリエイターさんに開放しつつ末永く地道に育てるべきものなので、短期的な野心とはあまり相性がよくありません。

もっと具体的に言うと、皆さまを納得させるようなビジネスモデルを組み上げ、分厚い事業計画書を持ち歩き、プレゼンさせていただき、遥か彼方の事業展開を目指すと思います。
企業さまから億単位の資金を集め、ささやかな弊社保有不動産など売り払って事業資金にあて、M&AやらIPOやら目指して全力疾走することでしょう。今風の事業家連中と付き合い、そういう場所に出向き、もしかしたらそういうのが好きな女の子と付き合ったりしているのかもしれませんね。そういう方向もまた興味深いものだと思いますし、知識・ノウハウも一定程度ありますし、強い野心がそちらに向くのは不自然なことではありません。
ぼくにとっては、そうした世界がBです。
佐々木先生が記したAとBの対比では、自分はA。引きこもっている状態だという表現が、そんなに違っているとは思いませんでした。

上記の前提部分に誤解があるような気がしたので、まとめてみました。
私は「人生で成功したい」とか「なにかを成し遂げたい」という部分が人よりちょっと足りないのかなーと、そのへんを考えながら、トークメーカーの座談会のあちこちを眺めてきた。
いや、成功してるのか。すでに。うーん。

もしかしてここで闘争心みたいなものを入手したほうが今後の老後はかえって楽しいのかなあ……。思ったままをそのまま垂れ流すログ。
>「引きこもる」のも、「何でもやってみる」というのも、表現手段の違いだけではないでしょうか?
たまたまぼくは今の表現手段を選んでいるだけで、ドロップアウトして引きこもっている人とそれほど変わるとは思わないですね~。

そうなのですか? そうなのかな……。
と、じっと考えてみて「そうなのかも」と思いました。

A「ドロップアウトする」とB「弱肉強食の世界に関わる」は相反するものでもなく、AはBに含まれることもある……みたいな……。

死なない限り生きなくてはならないというか、死なない限り最低限「いまの社会」に含まれなくてはならない。それが生きていくことだからみたいな理解になって、なぜか切ない気持ちになりました。あれ、なんで私は切なくなるのかな……。

海猫沢さんは世界を憎悪しているような部分もあるのかもしれないですが、至道先生は世界と世間に関してはもう諦観の境地なのですか?

……私はなにを聞いてるんだろうという気にもなる質問だ。

小説を書きはじめたごく初期に気づいたことは、私はあまり世界が好きではないし世間もそんなに好きではないですしおそらく根本は人間もそんなに好きではないのですが、それでも人類愛はあるし世界も世間も愛おしいと思いたいなあと、強くそれを希求して生きているようだ……ということでした。
書いてみて気づくというのも、ぼんやりとした話です。
あんまり日常に生きてて、世界をどう思ってるかなんて気にしている暇もなかったので、小説を書いて「へー、私はそういう気持ちでしたか」と他人事のように感じたのでした。
至道先生は、もう十代のときには、好き嫌いを把握し心の形とか思考の形とかも固まって、どう生きていくかも、決めていた……んですよね。

すごいなあと思うけれど、どっちかっていうと私のほうが疎いというか、とろいだけなのかな、これは。

プロフィール

佐々木禎子(ささき ていこ)
作家。
札幌出身・東京と札幌を行ったり来たりしています。
1992年雑誌JUNE「野菜畑で会うならば」でデビュー。

更新中のテーマ

完成テーマ

完成テーマはありません

アーカイブ

ページトップへ